昨日の頭痛後、12時間睡眠を敢行。
朝11時起床。
実は12時半ぐらいには新大久保にたどり着かなくてはいけなかったので、
結構きちきちのスケジュールに。
ホントは早く起きて色々細かいことをこなしたかったんだけど、
流石に無理だった。
慌てて昼食(流石に今日は用心して軽め)を食べて、
軽く身支度して、電車に飛び乗り、
なんとか予定通りに新大久保へ。
向かう先は東京グローブ座。
G2演出
「ジェイルブレイカーズ」を観劇。
…あー、良く考えたら1日置いて3連荘イベントじゃんこの週末。
そりゃ疲労も溜まるってば。
それはさておき。
前評判が実に微妙で非常に気にはなってたこの公演。
いや、悪くて微妙という意味ではなくて、
「悪くはないんだけど…」的微妙さなのが非常に気になって。
「悪い」なら「悪い」ではっきりしてる場合が多いのに、
そうじゃないぶん「どういうことなんだろう?」と思ってたのですが。
その理由、見ていてすぐにわかった。
この芝居、
「ジャニーズファンで芝居初心者のための芝居入門」
だったのね。
気になったことは開演前から始まってた。
まず、普通芝居では配布されるはずの「アンケート&チラシ束」がない。
一切ない(会場内据付でチラシやアンケート置き場はあったけど)。
なんか手持ち無沙汰。
そして公演形態も「1幕75分+休憩15分+2幕75分」という、
実に観客に優しい構成。
そういえばおなじG2演出の「魔界転生」も同じような優しい構成だったな。
G2プロデュースの流行なのか?
勿論、肝心の芝居の中身も…非常にソツがない。
お話はリズムよく進んでくし、わかり易い展開で悩むこともない。
一応含みネタも多少はあるけど結構簡単にその後の展開がつかめる。
それが別につまらないわけじゃない。
実に初心者向きで優しい展開。
感動できる場面、起承転結もしっかりしていて、
基本的には非の打ち所はあまり見つからない。
役者も主役の松岡君はともかく(悪い意味じゃなくてね)、
脇を固めるところにきっちり芸達者な人間を配置して、ここもソツがない。
そして演者もしっかり楽しんで演じてるのがこちらにも伝わってきて、
悪い気は全然しない。
そう。
全然悪くない。
悪くないんだけど・・・。
うん。
微妙な判定になってる意味が良く判る。
あまりにも
「ソツがなさ過ぎる」のだ。
ある意味、このメンツならクセのある内容でも秀作になったような気がする。
何せG2常連の芸達者がきっちり集まってるし、
松岡君は「スサノオ」経験済みで、決して小劇場系とのマッチングは悪くない。
もっと「演劇的に冒険」してみてもおかしくないはずなのだけど、
結末も非常にあっさりと「落ち着くところに全てが落ち着く」終わり方で、
G2プロデュースを、小劇場を見慣れている人間としては、
どうしても物足りないのだ。
なんだろう。
それをあんまり悔しいと思わない自分が、何だか悔しい。
そんな変な感覚すら感じる。
でも一方で、最近こんな「ある意味ウェルメイドな芝居」って、
少ない気がするのは気のせいだろうか?
ひねりすぎて変な方向にねじくれ曲がったり、毒づいたり、
あるいは「簡単に理解できないことこそ高尚である」的な風潮がないとは、
絶対に言わせない。
そしてそんな演劇界の現在の風潮に閉鎖的な感じを受けて、
「芝居」というものを敬遠してしまう、そんな人が多いんじゃないかと。
これは常々私も感じていたことなのだけど。
「芝居って難しいんでしょ?」みたいな発言、現によく聞くから。
だとしたら、こういう芝居はむしろ必要なのではないかと。
「芝居なんか見ないけど、松岡君がでてるから」と言う動機で見に来たお客さん、
結構多いはず・・・というよりほとんどがそうじゃないかと。
(女性の率が相当多く、笑い方が「芝居好き」の笑い方じゃない人が
たくさんいたし。)
で、そんな人達がこの芝居を見て、「芝居の楽しさ」を感じて、
抵抗なく次の芝居(それでもジャニーズがらみになるかもしれないけど)を
見ようと、この先の「観劇ライフ」に繋がっていく人が少しでもでれば、
多分、この芝居はそれだけで「大成功」なんじゃないかと。
やっぱり日本では、芝居はまだまだ「マイナー文化」だと思う。
その人口を少しでも増やし、「芝居文化」をメジャーにしていくために、
こういう芝居も今は絶対に必要なんだ。
そう思えば、物足りなくたっていいじゃない。
ありなんだよ、絶対に。
そう感じて、微妙さ故の複雑な気分を払拭できたような気がした。
最も個人的には、久々に生の舞台に立った大高「ガジャ様」洋夫さんの
悪役っぷりに、「こりゃガジャ様の経験が生きているのか?」と思ってみたり、
カーテンコールで一番はしゃぐ大高さんに
「あー、やっぱり芝居の場が楽しいんだなぁ」と一人微笑んでしまうのですが。
ええ。
そんな大高さんを見れただけでも大満足なんです。私は。