聖母マリアは、ご自身、聖ブリジッタにこれを啓示された。
私は、天の元后であり、憐れみの元后です
私は、義者の喜びのみなもと、罪人が神に入るために開かれた門戸で、この地上でどんなに呪うべき罪人でも、生きている限り、私の慈悲を感じないものはありません。
少なくとも、悪魔の誘惑を少なくしてもらえます。悪魔の誘惑を少なくしてもらうことは、私のとりなしの賜物なのです。
聖母マリアは続けたもう。
絶対的にのろわれたもの、すなわち、地獄に落ちたものでない限り、私の助けを求めて、神に立ち返れない人、神の慈悲を見出だせない人はありません。
聖母はさらに、
憐れみの母! これは、全ての人が私に与える名称です。実際、神の人間に対する慈悲は、私を、憐れみに満ちみちたものとなさいました。
ああ、それにもかかわらず、私の助けを求めない者は、本当に不幸です。
7
聖大アルベルト
神の御子を童貞なる母胎におやどしになったとき、私達の霊魂の母となりたもうた。
聖ベルナルディノ
受胎告知の日、至聖童貞は、永遠の御子がマリアの子となるためにお待ちになっていたその同意をお与えになった時、この同意によって、異常な熱心を持って、私達の救いを求め、これを獲得してくださった。また、この同意によって、ご自身を残りなく私達のあがないのわざに捧げ、その時から、私達を、みなその子供としてご胎に宿し、最も真実に私達の母となられたのである。
聖ルカ
マリアは、そのういごを生みたもうた。
聖ルカに対してのもう一人の著述家の説明
マリアが、肉によって、イエズス以外の子供をお生みにならなかったことは、信ずべき真理である。それで、マリアは、霊によって、その他の子供をお生みになったのである。
そして、これらの子供と言うのは私達である。
8
修道院長ギョーム
マリアはおびただしい霊魂を救うために、ご自分の霊魂を死にわたしたもうた。
聖シメオン
他日御身の祝せられた霊魂は、悲しみの剣によってさしぬかれるであろう。
イエズス様は、マリア様に向かって、ヨハネをさし、「これは、汝の母である。」と仰せられた。
シエナの、聖ベルナルディノ
聖ヨハネは、この場合、全人類を代表しているのであり、マリアは、全人類に対する愛によって、その母となられたからである。
神学者シルヴェイラ
ヨハネはひとつの人名である。弟子の名であり、、普通の名である。その言葉は、マリアが全ての人に母として与えられたもうたことを示すものである。
ドミニコ会パチウッチェリ師
そうだ、なぜなら、私達の霊魂を神のみ前に美しいものとするマリアの愛は、マリアをして、その子供である私達に対し、愛情以外のなにものでもなからしめるからである。
聖ボナヴェンツーラ
私達を愛し、私達の幸福を念ずる点において、マリアに比べられる母はひとりもいない。
9
聖アンブロジオ
マリアのいとも清浄な胎は、ただ一粒の小麦、すなわち、聖主イエズス・キリストしか宿さなかった。
しかし、マリアの胎が、『小麦の山』とよばれるのは、この粒がマリアの子になるように選ばれたもののみんなの芽をふくんでいたからである。それゆえ、イエズス・キリストは、『多くの兄弟のうちのういご』と呼ばれるのである。
聖なる修道院長ギョーム
マリアは、この御ひとり子、すべての人の救い主にてましますイエズスをお生み申し上げることによって、おびただしい子供を救霊にお生みになった。マリアは、生命なる御ものをお生み申し上げる事によって、彼らに生命をお与えになったのである。
聖アウグスチヌス
マリアは、その時から、救い主の肢体の霊的聖母におなりになった。
というのは、マリアは、その愛によって、信徒を教会に生まれさせることに協力し、私たちを、私たちのかしらであるイエズス・キリストの恩恵によって、再生させる事に、協力したからである。
10
カルディナル・ベラルミノ
ああ、私達は、このような母のご保護のもとに、すっかり安心して生きることが出来るではないか。
私達が敵に攻められる時、マリアの慈しみ深い腕に逃げ込むなら、私達をその胸から引き離すことが出来るであろうか。
私達が、神の御母で我らの神なるマリアのご保護により頼む時、地獄の怒りも、情欲の嵐も、私達に打ち勝つ事は出来ないのである。
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