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John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

最も小さい霊魂の会 29

2019-12-15 19:54:51 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。


全ての人のうちにイエズスを見、イエズスのように取り扱い、微笑みを与えること

 

愛の掟は神に対する愛と、隣人愛を含んでいるが、実際にはただ一つの愛である。隣人愛にそむくことをやめないなら、完徳への進歩は不可能になる。

修道者にしろ、世間にあるものにしろ、いくらか苦行して信心に励んではいても、人から手伝いを頼まれて断るのを全然罪と思わない事がたびたびある。



また、貞潔に対する小さな誘惑にも非常に不安に感じるのに、人の悪口、批評、暴言を吐いても平気でいる。

コンソラータは、救霊のために、神に対する愛とともに、絶え間なく隣人愛を実行した。

 

イエズス様

「神に対する愛と隣人愛の、絶え間ない愛の心をもって私に忠実に従いなさい。そうすれば私はあなたを愛と苦しみと救霊の絶頂に導いてあげよう。あるご聖体拝領から、次のご聖体拝領までの間に、神への愛と隣人愛の機会を一つも怠らないようにしなさい。」

 

全ての人の中にイエズスを見ること

 

  イエズスはコンソラータに「全ての人のうちにイエズスを見、イエズスのように取り扱い、微笑みを持って忍耐する事」を命じた。

 

イエズス様

 「誰であっても、姉妹そのものはもはやあなたにとって存在しない。存在する者は姉妹の心に下ったイエズスである。姉妹が手伝いや、心尽し、犠牲を願いに来るとき、それはイエズスだから、イエズスに拒むことが出来るだろうか?喜んでイエズスに従い、イエズスを大事にし、各瞬間全ての愛を尽くしてイエズスに自己献身しなさい。何かを言うべき時、相手はイエズスなのだから心から従順に素直に、親切な柔和な言葉を使いなさい。つまり、全ての人のうちに私を見、思い、言葉、行いによって私のように取り扱いなさい。絶え間ない愛と心とともにそれを臨終までの特別決心としなさい。」

 

 

全ての人をイエズスのように取り扱う事

 

「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。」

 

聖福音の掟をイエズス様がコンソラータに説明する。

 

「私はあなたの醜悪さを全ての愛の外套で隠した。私は、あなたの欠点を今までも、今も我慢している。私は、あなたの悪かった事を親切に理解し、いつもゆるす。



私はあなたのためにいつも優しい、温和な、愛に満ちた言葉を用意している。私はあなたの全ての困難を助け、間違えたことも直してあげる。



私はあなたが必要とするものは、全て配慮してあげる。



私はあなたを母のように最も細やかないたわりを持って愛している。



私はあなたとともに喜び、あなたとともに悲しむ。



私があなたにしたと同じように、あなたは姉妹たちを取り扱いなさい。あなたは私の浄配だから。」


 

聖母マリア

「全ての人に対していつも親切にしなさい。親切だけが心の中を支配しているように。あなたの死後、人々が、あなたの事を単に優しい人であった、ということを私は望みます。」

 

 

あるちょっと難しい性格を持っている姉妹について、聖母は仰せられた。

 

「あなたの親切によって、この姉妹の欠点を直し、それに勝ちなさい。この姉妹が、あなたに愛され。理解されているように感ずれば、あなたは愛の完成へと力強く進むでしょう。

 

毎日その姉妹のために祈って、恵みを降らしてあげなさい。ただ一つの天使祝詞だけでも私の心をその姉妹に向けるでしょう。」

 ある日、リクリエーションの時間、他の姉妹たちと過ごすために、一人の老姉妹の付き添いをちょっとやめた時、イエズスは注意された。

 

イエズス様

「あなたは隣人愛がなんであるか知っていますか。その年とった姉妹をあなたよりも好むこと!全部の時間、年とった姉妹のそばにいたならば自己放棄したのだから、より大きな隣人愛となったのに。」

 

 

全ての人に「はい」ということ

 

イエズス様

「私があなたを愛するように、あなたは姉妹たちを愛しなさい。これは私の掟である。・・・全ての姉妹たちに、私の喜びと私の優しい微笑みを与えなさい。あなたの態度と言葉によって、私がどんなに優しく謙遜であるかを示しなさい。私のように、全く私のようになりなさい。」



 



「私は自分を――自分の全てをあなたに与える。あなたも自分の全てを人々に与え、なしうる限りの奉仕をしなさい。あなたの全生涯が、私に対し、隣人に対し、姉妹たちに対し、全ての人に対して絶え間ない愛の心となる事によって、自我を全く消滅させなさい。」



 



「私がそこまで高めてあげた純粋な愛で人々を愛しなさい。これは、私の許可、いな、命令である。天国で天使と聖人たちが互いに愛するように愛しなさい。世間的に考えず、上長の方々や姉妹たちや隣人がしたいと望んでいることばかり考えなさい。」



 

イエズス様はこの隣人愛の偉大なプログラムを、次の言葉でまとめていられる。

 

全ての人に『はい』と言いなさい。常に、また、にこにこしながら。


30

最も小さい霊魂の会 27 28

2019-12-15 19:51:09 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。


最初の「最も小さい霊魂」の奉献   ヨハナ・コムペール


 


「最も小さい霊魂」とは、霊魂が最も小さい事を示し、年齢には関係がない。


はじめ、コンソラータすらこの点について間違っていた。


この「もっも小さい霊魂」意味をはっきりさせるため、神は、最初の「最も小さい霊魂を85歳の、修道者でない者(一度も結婚せず、貞潔を汚れなく完全に守った)に定めたもうた。


 


これは、愛の生活に励む全ての霊魂に与えられた賜物である事を示すためである。


 


ヨハナ・コムペール


「神父様、私は『最も小さい霊魂』の群れに私の場所を見つけました。彼らはイエズスの十字架のまわりを小さい蚊のようにぶんぶん飛び、イエズスから生命力を吸い取るため、イエズスにとまろうとしています。『最も小さい霊魂』という言葉は私にとって言い尽くせない大きな魅力を持っています。その言葉をただ口にしただけでも、私の霊魂はキラキラ輝き、新しい道を示し、自愛心その他の空しい愚かな誘惑に対抗する難攻不落なとりでを形作ります。これが空想だとはどうしても信じられません。なぜなら小さい霊魂たちの群れの中で私が見出した静寂、平安、自由を、私はこれまでこの世で見出しうるとは思ってもみなかったからです。」


 


 


コンソラータと「最も小さい霊魂」の会


 


サーレス師とヨハナが語り合った木曜日の夜、同師はコンソラータのもとへ短い手紙を送り、ヨハナの事を知らせ、その奉献のために祈ってくれるよう頼んだ。


コンソラータが、その日、どんなに熱烈に祈ったかは想像にかたくない。


イエズス様から「最も小さい霊魂」の事を聞いた時、コンソラータは本当の子供だと考えたので、最初の「最も小さい霊魂」が85才の人だと聞いた時、微笑を禁じえなかった。


 


イエズス様


「最も小さい霊魂」はどんどん増えて数千人ばかりか数百万人、数千万人となるだろう。そして、女ばかりでなく、男の人も大勢いる。


あなたの死後、ちょうど、サン・マシモ教区の公教要理のクラスの子供たち『ベンヤミーネ』があなたの所へ駆けつけたように、『最も小さい霊魂たち』はあなたの所へ駆けつけるだろう。」


 


イエズスの聖心はどんなに喜んで全ての霊魂を聖心に納めて下さったのだろう。その群れの総数も、彼らの捧げる愛の祈りの総数も全部知り尽くしておられるイエズスは、また『最も小さい霊魂たち』が無数の霊魂を救ってくれることもご存知だったので、コンソラータの願いを聞き入れ、彼らがイエズスの愛に自分を尽くすように定めて下さった。


 


イエズス様


「はい、わかりました。コンソラータ、『最も小さい霊魂』の心が、私への愛に死に、ただ私の愛にのみ燃え尽すことを定めます。被造物が創造主のために自分を尽くすのは当然の事だから。だが、多くの者は、自分の愛に死なず、肉欲の犠牲になって、自分の罪悪によって世の哀れな犠牲者によって死んでしまう。」


 


 


聖母マリアと「最も小さい霊魂」


イエズス様の聖心の御計らいにより、この会は9月の初金曜日、すなわち聖母が最も小さい御者として地上に誕生された祝日の準備の9日間中に、公式的に始められたのである。


聖母マリアは被造物中で最も謙遜なる神のつかいめとして、実際、絶対完全な「最も小さい霊魂」であられる。


その全生涯は神の隣人のための絶え間ない愛の祈りであり、神の思し召しに対する絶え間ない「はい」という承諾であった。


だから、「最も小さい霊魂」の会は、マリアという天上的なみどりごの足元に咲きでた花のようなものであり、赤ちゃんのマリア様から最初の微笑みと露を受け、最初の御祝福によって会が成功し、いつまでも続くよう保証して頂きたいのである。


 


「最も小さい霊魂」とコンソラータ


 


  「最も小さい霊魂」の会を創立し、最初の最も小さい霊魂であるヨハナを指導するため、イエズスはコンソラータを恵みの器としてお使いになった。


  だが、その会が発展し、拡張する事については、イエズスがご自身で全部計らうことを約束され、コンソラータはただ絶え間ない愛の祈りと「愛の最も小さい道」をたゆみなく続ける事だけに没頭しなければならなかった。


  1936年、この会に関するおぼしめしをお示しになったのち、イエズスは仰せられた。


 


 「あなたはただ絶え間ない愛の祈りを私に捧げなさい。そうすれば、あなたは、あなたの『兄弟』の一人一人を、また『最も小さい霊魂』の一人一人を全部私に捧げる事になると約束する。


 イエズスの聖心は、その事業のためにあなたを道具のように使った             が、この『最も小さい霊魂』 の会という不思議な事業を完成させるのはイエズスのみである。


 だから、あなたは自分を全く忘れ、ただ絶え間ない愛の祈りの他  は、何も考えてはならない。


 私が全てを考えてあげるから。」


 


 「今日、あなたは『最も小さい霊魂』を幼きマリアに捧げたから、彼らの為に祈ほかは、少しも彼らの事を考えてはならない。絶え間ない愛の祈りによって、私の所へ戻すあなたの『兄弟姉妹の事だけ考えなさい。」


 


 コンソラータは、直接この事業に関係する事は許されなかったが、み摂理によってコンソラータの事業であった。


 


イエズス様


 「私は、地上から天上まで大きな愛の波が高まりあがる事を望む。あなたは『最も小さい道』を一番先頭に立って歩んでいかなければならない。いつの日かあなたは全ての最も小さい霊魂』の模範として仰がれるようになるだろう。


  世界中の何百万もの『最も小さい霊魂』があなたにひたと目を向けるだろう。


  彼らは私の目の瞳である!



       最初の最も小さい霊魂は、85歳のおばあちゃんだった!!! 
      コンソラータもびっくりした。
  最も小さいと言えば、小さな子供と思ってしまうが、神の目は
  時として人間をびっくりさせる。

28
最初の「最も小さい霊魂」の奉献   ヨハナ・コムペール





「最も小さい霊魂」とは、霊魂が最も小さい事を示し、年齢には関係がない。


はじめ、コンソラータすらこの点について間違っていた。


この「もっも小さい霊魂」意味をはっきりさせるため、神は、最初の「最も小さい霊魂を85歳の、修道者でない者(一度も結婚せず、貞潔を汚れなく完全に守った)に定めたもうた。





これは、愛の生活に励む全ての霊魂に与えられた賜物である事を示すためである。





ヨハナ・コムペール


「神父様、私は『最も小さい霊魂』の群れに私の場所を見つけました。彼らはイエズスの十字架のまわりを小さい蚊のようにぶんぶん飛び、イエズスから生命力を吸い取るため、イエズスにとまろうとしています。『最も小さい霊魂』という言葉は私にとって言い尽くせない大きな魅力を持っています。その言葉をただ口にしただけでも、私の霊魂はキラキラ輝き、新しい道を示し、自愛心その他の空しい愚かな誘惑に対抗する難攻不落なとりでを形作ります。これが空想だとはどうしても信じられません。なぜなら小さい霊魂たちの群れの中で私が見出した静寂、平安、自由を、私はこれまでこの世で見出しうるとは思ってもみなかったからです。」








コンソラータと「最も小さい霊魂」の会





サーレス師とヨハナが語り合った木曜日の夜、同師はコンソラータのもとへ短い手紙を送り、ヨハナの事を知らせ、その奉献のために祈ってくれるよう頼んだ。


コンソラータが、その日、どんなに熱烈に祈ったかは想像にかたくない。


イエズス様から「最も小さい霊魂」の事を聞いた時、コンソラータは本当の子供だと考えたので、最初の「最も小さい霊魂」が85才の人だと聞いた時、微笑を禁じえなかった。





イエズス様


「最も小さい霊魂」はどんどん増えて数千人ばかりか数百万人、数千万人となるだろう。そして、女ばかりでなく、男の人も大勢いる。


あなたの死後、ちょうど、サン・マシモ教区の公教要理のクラスの子供たち『ベンヤミーネ』があなたの所へ駆けつけたように、『最も小さい霊魂たち』はあなたの所へ駆けつけるだろう。」





イエズスの聖心はどんなに喜んで全ての霊魂を聖心に納めて下さったのだろう。その群れの総数も、彼らの捧げる愛の祈りの総数も全部知り尽くしておられるイエズスは、また『最も小さい霊魂たち』が無数の霊魂を救ってくれることもご存知だったので、コンソラータの願いを聞き入れ、彼らがイエズスの愛に自分を尽くすように定めて下さった。





イエズス様


「はい、わかりました。コンソラータ、『最も小さい霊魂』の心が、私への愛に死に、ただ私の愛にのみ燃え尽すことを定めます。被造物が創造主のために自分を尽くすのは当然の事だから。だが、多くの者は、自分の愛に死なず、肉欲の犠牲になって、自分の罪悪によって世の哀れな犠牲者によって死んでしまう。」








聖母マリアと「最も小さい霊魂」


イエズス様の聖心の御計らいにより、この会は9月の初金曜日、すなわち聖母が最も小さい御者として地上に誕生された祝日の準備の9日間中に、公式的に始められたのである。


聖母マリアは被造物中で最も謙遜なる神のつかいめとして、実際、絶対完全な「最も小さい霊魂」であられる。


その全生涯は神の隣人のための絶え間ない愛の祈りであり、神の思し召しに対する絶え間ない「はい」という承諾であった。


だから、「最も小さい霊魂」の会は、マリアという天上的なみどりごの足元に咲きでた花のようなものであり、赤ちゃんのマリア様から最初の微笑みと露を受け、最初の御祝福によって会が成功し、いつまでも続くよう保証して頂きたいのである。





「最も小さい霊魂」とコンソラータ





  「最も小さい霊魂」の会を創立し、最初の最も小さい霊魂であるヨハナを指導するため、イエズスはコンソラータを恵みの器としてお使いになった。


  だが、その会が発展し、拡張する事については、イエズスがご自身で全部計らうことを約束され、コンソラータはただ絶え間ない愛の祈りと「愛の最も小さい道」をたゆみなく続ける事だけに没頭しなければならなかった。


  1936年、この会に関するおぼしめしをお示しになったのち、イエズスは仰せられた。





 「あなたはただ絶え間ない愛の祈りを私に捧げなさい。そうすれば、あなたは、あなたの『兄弟』の一人一人を、また『最も小さい霊魂』の一人一人を全部私に捧げる事になると約束する。


 イエズスの聖心は、その事業のためにあなたを道具のように使った             が、この『最も小さい霊魂』 の会という不思議な事業を完成させるのはイエズスのみである。


 だから、あなたは自分を全く忘れ、ただ絶え間ない愛の祈りの他  は、何も考えてはならない。


 私が全てを考えてあげるから。」





 「今日、あなたは『最も小さい霊魂』を幼きマリアに捧げたから、彼らの為に祈ほかは、少しも彼らの事を考えてはならない。絶え間ない愛の祈りによって、私の所へ戻すあなたの『兄弟姉妹の事だけ考えなさい。」





 コンソラータは、直接この事業に関係する事は許されなかったが、み摂理によってコンソラータの事業であった。





イエズス様


 「私は、地上から天上まで大きな愛の波が高まりあがる事を望む。あなたは『最も小さい道』を一番先頭に立って歩んでいかなければならない。いつの日かあなたは全ての最も小さい霊魂』の模範として仰がれるようになるだろう。


  世界中の何百万もの『最も小さい霊魂』があなたにひたと目を向けるだろう。


  彼らは私の目の瞳である!



最初の最も小さい霊魂は、85歳のおばあちゃんだった!!!
コンソラータもびっくりした。
  最も小さいと言えば、小さな子供と思ってしまうが、神の目は
  時として人間をびっくりさせる。
  大切なのは人間の評価ではない。神の評価なのだと実感する。
  人間の評価は大したことないと思っていても、神の目は違うのだ。
  たいして優秀でもないと思っていた人が、天国に行った時、とてつもなく
  高い所にいるのを体験する人が多くいるだろう。
  人間の評価など取るに足りない事がわかる。
  神様は、全てを見通している。
  人間の良い所も、悪い所も。
  神様に嘘をつくことは出来ない。
    良い事も悪い事も、全てを含め正直に神様に言おう。



最も小さい霊魂の会25

2019-12-15 15:45:34 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。

絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)


 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。
 

26
絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)


 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。



最も小さい霊魂の会25 26

2019-12-15 15:45:34 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。
絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)



 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。
 

26
絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)


 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。

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絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)


 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。
 

最も小さい霊魂の会 24

2019-12-15 15:40:39 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。


絶え間ない愛の祈りに対するイエズスの要求

 

「私は、あなたにただ一つの要求をする。絶え間ない愛の祈りのみ」と仰せになった。

最初は、「イエズス、あなたを愛します」

のちに「イエズス・マリア、あなたを愛します」

そして、

「イエズス・マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。」で完成した。

 

まず、忘れてはならない事は、愛の生活をより完全に送るため、イエズスがご自分で、この絶え間ない愛の祈りを教えて下さった事である。

それは、コンソラータが自分で考えだした言葉ではないことである。

また、魚を自ら出せば死に、水の中におけば生きてどんどん成長してゆくように、恵みの生命も、絶え間ない愛の祈りの中で成長し、完成して遂に完全な自己放棄、すなわち神秘的死に至るのである。

言い換えれば、この愛の祈りは自己放棄への最も強い助けとなり、自分の考え、ことば、希望、趣味、心配、行為などを全部なくして、愛の祈りの中に溶け込み、愛の祈りと一つになって、自分がさながら愛の祈りの象徴そのものになっていくのである。その英雄的な自己放棄に達すると、イエズスは何の障害もなく、霊魂の中で主権者として働くことがおできになる。

 

イエズス様

 

「あなたの自己放棄の上に、私は素晴らしい事を行う。自己放棄にはどうしたら達しられるだろうか?絶え間ない愛の祈りによって!絶え間ない愛の祈りによってあなたのものは何もなくなり、全てが私のもの、私のためだけのものになる。」

 

「神へ乗り出しなさい。地上のあらゆるもの、全ての被造物に永遠の別れを告げ、絶え間ない愛の祈りによって、広い海原へ前進!前進!永遠の岸に向かって!」

 

「コンソラータ、悪魔や、情欲がありとあらゆる攻撃を試みても少しもかまわない。雷鳴、嵐、雷光など気にかけてはならない。自分に言い聞かせなさい。『私は、あるご聖体拝領から次のご聖体拝領まで、決して落胆せず、愛の祈りを続けます。それこそ、私の義務です。』

と。」

 

「絶え間ない愛の祈りはあなたの軍旗である。あなたの命にかけてこの旗を、敵に向かって守り抜きなさい。」

 

「旗手は軍旗を愛さなければならない。旗が決して敵の手に落ちないよう、何が何でも守り、旗のもとに生き、旗を胸にしっかり抱きしめて死ぬ。あなたも『絶え間ない愛の祈り』の旗を

その通りにしなさい。どんな必死の努力を要しても決してやめず、絶え間なく愛の祈りを私に捧げなさい。」

「最後まで奮闘努力しなさい。ただ一つの愛の祈りもおろそかにしないと、断固として決心しなさい。愛の祈りが途切れても勇気を落とさず、また新たな努力を持って戦闘を開始しなさい。」

 

「あなたが私の全能を信じるなら、絶え間なく愛の祈りを唱えることができるよう私があなたを助けてあげる事も信ずるだろう。」

 

神はこれほどまでの努力を、全ての人に要求されるわけではないが、もし、ある選ばれた霊魂たちにそれを要求なさるならば、必ず果たしうる助力を与えたもう。

コンソラータは愛への特別な使命を与えられ、愛の祈りを忠実に唱えるかどうかの一点にその使命の成就がかかっていた。

 

イエズス様

 

「あなたの使命の為、イエズスが要求しているだけの事を、あなたはイエズスに与えねばならない。すなわち、愛の祈り。それが、全部である。そして、この絶え間ない愛の祈りに全部がかかっている。」

 

「私に絶え間なく愛の祈りをささげるよう自分の出来る限りを尽くしなさい。失敗しても私が償ってあげるから安心しなさい。私は、いつでも優しい。」

 

「あなたが戦い、転び、また立ち上がりーつまり努力しているのを見る事は私の喜びである。

あなたがどれくらいやれるのかを見るのが好きだ。とりわけ、あなたが、たとえ何が起ころうとも、泰然自若として起き上がり、また愛の祈りを続けることを見ることが私の一番の喜びである。」

 

この愛の祈りに霊魂の総力を瞬時の休みもなく打ち込むことは、まことに全てを(とりとめない無益な思いのひとつすら)うちくだくのだから、言語に絶する十字架であった。

この困難な道を進むコンソラータを勇気づけるため、過去、未来の事を思わず、ただ現在の瞬間、愛を持って生きるよう勧められた。

 

イエズス様

「目前のその一瞬間を愛を持って生きなさい。一日ではあなたに長すぎるから。」

 

ある日、イエズス様にコンソラータが質問をする。

「同じご要求を何度も繰り返し、新しい言葉でおっしゃって、単語が足りなくなりはしませんか?」

 

イエズス様

「私は、全能だから、永遠に至るまで、同じ要求を、絶えず新しい言葉で与えることが出来るのだ。」

 

コンソラータ

「同じご要求を何度もなさって、お飽きになりませんか?」

 

イエズス様
「いや、飽きない。いつまでもいつまでも飽きないだろう。なぜなら私の望みはただ一つ  

私を愛してくれること。」