John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

最も小さい霊魂の会25

2019-12-15 15:45:34 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。

絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)


 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。
 

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絶え間ない愛の祈りの使徒的効果(人のため)


 


イエズス様はコンソラータに大切な約束をお与えになった。


 


「ただ一つの愛の祈りによって一人の霊魂の永遠の救かりが決定される事をよく覚えなさい。一つ一つの愛の祈りが、一人一人の霊魂の救いを決めるのだから、一度でも怠けて『イエズス、マリア、あなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と祈る事を怠れば、良心の呵責を感じるはずだ。」


 


「少しも時を無駄にしてはいけない。一つの愛の祈りが一つの霊魂なのだから」


 


聖母マリア様


「天国に行って初めて、あなたは、愛の祈りの価値と、その救霊への豊かな効果とを理解するでしょう。」


 


イエズス様


 


「コンソラータ、絶え間なく愛の祈りを唱える事に全てを集中しなさい。この唯一の決心こそ、私の犠牲への招きに全ての力を与えるのだ。」


 


「愛の祈りはそのものが十字架ではないが、どんな状態にあっても、愛の祈りを一つも怠らぬよう努力する事は十字架である。だが、この十字架が、他のすべての十字架を担うことができるように助けるだろう。コンソラータ、私はあなたの肩の上に負わせるこの十字架をたいへん好む。この十字架こそ、あなたを完全な自己放棄へ導き、会則と修道院の日課をちゃんと守らせてくれるのだ。この十字架は非常に恵み豊かなものであり、全ての十字架の中で、この愛の十字架こそ、私と霊魂の為、最も効果的なものである。」


 


苦しむ霊魂は多いが、その苦しみを自己聖化と救霊のため、有効に使う霊魂は少ない。


苦しみが愛へ導くのではなく、愛が犠牲精神へ、苦しみと感謝と喜びとをもって耐え忍ぶことへ導くのである。


そしてその尊い苦しみは、愛への増加の源となる。


 


イエズス様


「絶え間ない愛によって、来るべき苦しみに備えなさい。愛する事をもしやめたら災いなるかな! 私はあなたを愛の生贄として選んだ。コンソラータ、私はあなたを愛と苦しみの絶頂へ導くことを約束する。あなたはただ『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』と絶え間なく繰り返しなさい。ただそれだけ、そのほか、何も考えてはいけない!」


 
『イエズス・マリアあなたを愛します。霊魂を救って下さい。』
これを一回祈っただけで、霊魂を一人救ってくれるってすごいじゃないですか?
と、私は単純に考えてしまいます。
ここで、なぜ? とか、どうしてそんなことが出来るのか?とは考えないのです。
素直に考えて、素直に祈る。そして、霊魂を救うべく神様に協力する。
これが、盲目的従順だと思います。
この祈りは、本当に短く、最小限の事しか祈っていません。
でも、ぎゅっとつまっているのです。
言い換えると、単刀直入に誰に何をしてもらいたいのか、祈っているのではないでしょうか?
この祈りの価値は、私たちにはわからないのかもしれません。
私たちが、天国にいって、自分たちの救った霊魂たちと会ってはじめて、祈りの価値を実感するのかと・・・・。
でも、そんな見返りは考えずに祈った方がいいのです。
それが、イエズス様とマリア様への愛だと思うのです。
見返りを求めるのは愛ではありません。
ただただ、イエズス様とマリア様をお喜ばせするために祈りたいと思います。



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