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<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

プロレスへの階(きざはし) Ⅱ

2011-11-15 15:00:08 | 日記
☆Ⅰ970(昭和45)年2月6日……千駄ヶ谷の東京都体育館。 AWA世界チャンピオンの"帝王”バーン・ガニアが念願の初来日を果たし,国際プロレスの"若きエース”ストロング小林のチャレンジを受けるというのですから自ずと力が入り,期待と希望が入り交じった様なワクワクした気持ちで,中央線の黄色い電車に飛び乗ったのを覚えています。

旗揚げしてすぐに,グレート東郷とのトラブルから米マット界のルートを祟れ,欧州路線に活路を求めていた国プロでしたが ……子供の頃から見慣れていたアメリカ人レスラーがあまり参戦してないのは,やっぱり寂しかったですよね。 そういった意味でもやはりガニアの来日はクリーンヒットで,これから先にどんな外人レスラーがやってくるのだろうかという"夢"を抱かせてくれました。

ガニアが参戦した東京都体育館には,カナダの "バッド・ボーイ”シールドというレスラーも出ていましたが,ラッパを鳴らしながら入場してたのが印象深く,何故だか未だに覚えているんですね。 (笑)この時にガニアに会ったのが縁で,後にブル・バリンスキーと改名してAWA入りしましたが ……〈昭和プロレス殿堂〉のレスラー名鑑にも出ていないんですよね。(笑)

さて,私のお目当ては小林 VS ガニアの試合だった事はむろん,フランスからやってきた二人のレスラーにもありました。 一人はビクトル・ユーゴの小説『ノートルダム・ド・パリ』の"せむし男”カシモド。 このカシモドは僅かⅠ60㌢程の身長でしたが,もう一人は2㍍20㌢を越す,文字どおりの”大巨人”モンスター・ロシモフ……後のアンドレ・ザ・ジャイアントでした。

ロシモフも初の日本遠征でガニアに会った事で”世界”へのチャンスを掴む事になったのですが……自分自身に取ってもまさかガニアとの出会いが人生を変えた,と言ったら些かオーバーですが,ガニアや《AWA》と深い繋がりが出来ようとは思ってもみませんでした。 この東京都体育館の試合から一ヶ月余り,私は 『プロレス&ボクシング』誌でプロレス記者として第一歩を踏み出したのでした……。 <茨城>

※写真はガニア VS 小林のAWA世界戦の一コマ