今日の運行で老人から嫌がらせを受けた運転士がいました。
老人は、この運転士の何気無い対応が気に入らなかったのか、思い切りぶつかってきたそうです。
運転士は30代半ばぐらいで、比較的真面目そうで融通の利かなそうな大人しそうな雰囲気です。
ちょうど私が帰庫した際、その事について周囲の先輩とその運転士が話していました。
その運転士曰く、「そうそう、今日、老害がいきなりぶっかってきて頭にきましたよ!」と、言いました。
横で聞いていた先輩は、「年寄りのことを悪く云うと、後で自分にそ返るんだからね。自分が年寄りになった時に若い人に言われちゃうよ!」と、返しました。
私が驚いたのは、「老害なんて云う言葉をやすやすと使うのか!?」ということです。
「ジジイ」や「ババア」なら私も影で使っていましたし、将来自分が言われても仕方ないと思います。
これは、日本のサブカルチャーみたいなもので、普通の人でも言ったことぐらいはあると思います。
また、言われた方もある種の反発が起こる言葉で、地方の親しい間柄では半分挨拶代わりに言ったりもします。
「おい!ジジイ元気か?」と言えば、返す方も「うるせえ!おめーこそ、しょんべんたれてろ。」みたいな感じです。
しかし、「老害」という言葉は「存在自体が害」と言っているようで、生命倫理の観点から軽々しく発言すべきとは思えません。
また、言われた老人も反発する気力すら奪う言葉です。
私も後10数年したら老人の仲間入りなため、刺さる気持ちになりました。
こういったある種の社会的な「忌み語」を軽々しく発言する背景にはインターネット上のやり取りに起因すると感じます。
おそらくゲーム感覚で罵倒を楽しんでいるなかから、面白おかしく発掘されたのでしょう。
ただ、このネット世代が老人や病気、失業などで弱った時にどんな言葉を投げ掛けられるのか、想像しただけでも怖くなります。
世の中やりっぱなしは無いため、相当ひどい扱いを受けると感じます。
最近の若い人に感じる印象ですが、自分が弱くなる想定はないのでしょうか?
我々世代が若い人の真似を揶揄しながら行うときに、「私、失敗しませんから。」というフレーズがあります。
最初は、若い人に嫉妬した我々おじさん世代が作ったフレーズかと思っていました。
しかし、昨今の出来事を総合的に観ると、本当に失敗を想定してないと判断されてもおかしくないと感じました。
最近、インターネット上で世代間格差を煽るものを目にするようになりました。
少し前に下火になったのにも関わらず、再熱してきた感じがします。
私は、各世代で大変なこともあれば、恵まれていると感じる部分もあり、ならせば大体同じと考えています。
各世代で、向き合うべきテーマが違うだけで、ある種の役割分担のように感じています。
「あの人は、何故あんな考えに至るのか?」と、思うことでも必ず歴史があります。
どんなに稚拙に見えるものでも、その人なりの歴史があります。
一方的で未熟な自分の世界観だけで相手を決めつけることは、自分の成熟を大いに阻害します。
私は若い頃社会正義に燃えた時期がありましたが、今は正義よりも歴史の理解に力点を傾けつつあります。
そんななかで、相互の不理解を是正するためにも、ブログを読むことは重要と感じます。
ブログ界隈には、比較的インターネットに詳しくない年配の方も多数います。
動画配信より簡単に情報発信が出来るツールがブログです。
それを織り込んで幅広い世代のものの見方とその背景を知ることは、ある種の忍耐力が必要なことかもしれませんが、成熟の糧としては有効と感じています。
このように動画配信などで片寄った感覚を是正するツールとして、ブログを利用する習慣は意味を感じます。