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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【安全保障】 難波先生より

2012-04-13 12:27:50 | 難波紘二先生
難波先生のメールです。

私の出身大学は、広島大学と多くの部で対抗戦を行っていた。
そんなんで、学生当時、西条という愛媛にもある町の名の、だだっ広い田舎町に
試合に出かけたことがある。
その町が、今や18万都市。

大学を核に、成長しているのでしょうが、
地形・地理・地勢、
東北の大震災を見ても、
そもそも、人が住むのにふさわしい場所がどこなのかを考えた都市計画を作らなければならない
と思っています。
埋め立てや大規模造成は、安価に土地を増やしてくれるけれども、
自然が牙をむいたとき、
無力な人間には、その場に立ってなすすべがないことを知らなければならないと思います。

安い物にはなにか問題がある。
「値ほどの物」とは良く言ったもの、
原子力発電も、実際にはもっともっとコストのかかる発電技術であるようです。
それを、十分な安全設備を作らぬまま、
燃えかすの廃棄物の処理も十分に考えないまま
推進してきたところに大きな問題があったのです。

危険に対するコスト意識、もっと強く持たなければなりません。
いえ、難波先生も私も、綜合警備保障の回し者ではありません(笑)。

//ここから

【安全保障】「日本人は水と安全はタダだと思っている」と書いたのは、イザヤ・ベンダサンという筆名を使った、山本七平『日本人とユダヤ人』だったか?


 このところ、2回ほど「綜合警備保障会社」の外商が「セキュリティ・サービス」のセールスに来た。聞けば東広島市のブールバールに沿った高台の団地に住んでいて、元学長や広島大教授などが多く住んでいるそうだ。その場所なら、知っている。その学長の家に招かれたこともあるし、その前に、住宅地を購入予定で下見に行ったこともある。
 1995年頃、坪単価50万円だったが、今は40%下落して30万円だそうだ。それでも広島市中心部の地価下落率よりは低い。


 聞けば、東広島市は広島県で一番成長の速度がはやく、人口も増えており、若者の占める割合が高いそうだ。外国人も多く、犯罪発生率は呉市にくらべると二倍あるそうだ。先日、死体検案医をしているH先生が、自分が扱った変死体の統計をメールで送ってくれたのを見たが、5年間で61件もあるから、個人の開業医の仕事としてはずいぶん多い。もちろん事件性のあるものは、その一部だ。


 いずれ「総合死因究明センター」を作り、死体検案、法医・行政解剖、病理解剖を一元的、総合的に扱うような施設が必要になるだろう。この春、広島大医学部の教授を定年で退任した病理学のI名誉教授が立ち上げた「画像診断センター」がどうなるか、関心をもっている。ぜひ、この問題も将来的課題として考えてもらいたいと思う。


 4/11に呉の病院に行く途中で昼食したファミレスから、3月には沢山いた若者の姿が消えていた。「ああ、あれは大学生だったのだ。新学期が始まったのだな…」と思った。そこから呉に行くには、正方形の広島大学キャンパスの、北と西の2辺に沿って走らないといけない。広島大のキャンパスは一辺が1キロメートルあり、徒歩で一周すると1時間かかる。ほぼ古の都市国家アテネの大きさである。(ペイラエウスという港があるが、あれは昔はアテネの外港で、城壁外にある別の町だった。)


 キャンパスの周囲の土手には、植えられた桜の木が大きくなって、美事な花を咲かせていた。これは1995年秋の「統合移転完了」の後、あまりにも殺風景な自然環境を憂えた当時の学長、オペラ歌手としても有名なH夫先生が音頭をとって、「1001本の桜植樹」構想を提唱し、教職員が苗木購入費を寄付して、キャンパス内と周囲を取り巻く道路際に植えたものだ。「やがて桜の名所になるだろう」と学長は言っていたが、そうなりそうだ。


 キャンパスの東隣に、東広島市の「鏡山公園」があり、ここには中世の山城址と、その下に上水道の貯水池と、桜の木が沢山植わった庭園がある。ここも花が満開だった。東広島医療センターの近くのJR山陽本線には、「寺家駅」を八本松駅と西条駅の間に新設するための工事が進捗している。これができると、駅から病院まで徒歩で行けるから、患者が増えるだろう。医療センターも新築中で、今は仮玄関で営業している。


 ここは元結核療養所だから、自然環境は最高で、病院敷地が広い貯水池を抱え込むような感じになっている。白鳥(白鷺?)や鴨などの水鳥が沢山いる。池のほとりには、やはり桜の樹が花を咲かせている。医学生の頃、夏休みに内科実習に行った頃は、松林の中に木造のオンボロ病棟があり、看護婦宿舎が林のなかに点在していた。堀辰雄の「風立ちぬ」に出てくる「サナトリウム」を思わせる雰囲気があったが、いまはすっかり変わった。


 西条駅の方も、全面的な改修が始まっている。バスターミナルと広島大まで向かうブールバールはすでに整備されたが、駅に北口を新設し、表玄関である南口とを陸橋でつなぎ、その上に新しい駅舎を設けるらしい。この前、県知事と話したとき、「広島市が大地震と津波で壊滅的被害を受け時に、県庁も同じように被害を受けるようではダメだ。県庁は広島市をバックアップする機能を持つべきだ」、と新庁舎を東広島市に移転すべきだという意味の意見を述べておいたが、何となく周囲がそういう雰囲気で動いているような気がする。


 私は広島大学の「統合移転計画」の中に、医学・歯学・薬学・保健関係の学部・学科がある「霞キャンパス」もふくめるべきだと考えていた。それを強力にプッシュできなかったのは、耳鼻咽喉科出身である学長には2期8年やってもらわないと、統合移転の実現とその後の箱ものの建築、全学組織等のソフトウェアの整備が終わらず、もし「霞キャンパス移転」構想を出すと、医学部・歯学部が再選反対に回り、課題が実現できなくなるからである。広島大学の学長は、大票田である霞キャンパスと工学部が手を握れば、過半数を占めて、大勢が決まるようにできている。


 昔は「尚志会」という旧広島文理科大学の流れを汲む、文学部、教育学部、理学部の同窓会が結束していて、学長の多くはここから出ていたが、その結束が崩れた1990年代以後は、医学部(2期)→理学部(2期)→医学部(1期目)と理系の学長が続いている。


 1995年秋の統合移転完了を記念した事業の一環として、記念誌「翔べフェニックス」を出し、私が編集長を務めた。この時は、出版社をやっている同窓生のKさんには、大変お世話になった。
 この時、「広島大学の未来を語る」という座談会を司会して、学長、各学部長に大いに夢を語ってもらった。それを今、読みなおすと大部分のメンバーに「未来予知能力」が欠けていることがわかる。


 例えば法学部長は「東広島市は最終的には15万人ぐらいの規模になるかもしれないが…」と言っているが、もうとっくにその数は突破した。本年3月末で18万3500人いる。たぶんいずれ呉市を追い抜くだろう。後に学長になった理学部長が、2001年までに「ノーベル賞を3つ取る」という「夢」を語っているが、これもはずれた。但し、一昨年だったか「イグ・ノーベル賞」なら1名出た。粘菌に迷路学習能力があるという、独創的な研究だ。
 その時学長が、司会の誘導質問に答えて、「50年後には、霞キャンパスも東広島に移転しているかも知れない」と発言している。2045年、今から33年後である。


 先日、元大学本部キャンパスがあった広島市千田町の、商店街の商工組合が解散になったと、地元紙「中国」が報じていた。あの商工会は大学紛争の時は、「学生の投石で商売にならない、広大は出て行ってくれ」と学長に申し入れをした。当時は西条町といった町は、広島大学を受け入れるために周辺町村と合併して「東広島市」を創った。広島市長は大学が去ることに、別に反対をしなかった。「市立大学を創ればよい」と考えていたからだ。
 いま、どっちに先見の明があったかは、いうまでもない。


 「独立行政法人化」という予期しなかった出来事がおこり、あの「国立がんセンター」でさえ独立行政法人になったのだから、私にも先見の明はなかったのだが、「もし(If what)」という仮定が許されるとすれば、「もし霞町キャンパスが、率先して移転に賛成していて、東広島医療センターを大学附属病院にし、霞町の病院を分院として残す、というオプションを採用していたら」、どうなっただろうかと思う。今の霞町キャンパスは、昔そこに高校の寮があったから地面を良く知っているのだが、元は蓮田で海抜ゼロメートル地帯である。大地震津波ではもろに被害が出て、他の救援どころではないだろう。


 その点、賀茂台地は自然災害には強いし、国際空港、新幹線駅が近くにあり、県内はおろか自動車専用道により、隣接県に1時間で行ける。中国山地の医療過疎地帯をサポートするにも容易である、という地理的な利点がある。また「教養的教育」の充実も期待でき、教養と社会的常識のある医師、歯科医師、薬剤師、看護師、医療技師の養成が可能となるだろう。


 事務職には転勤があるが、教育職、医療職にはないから、広島市を離れることには、子どもの教育の面で不安があるだろうと思う。しかし県立の中高一貫教育学校は今のところ唯一、東広島市にある。「進学校」としての評価も高まりつつある。1995年頃に比べると、大型書店、シネマ・コンプレックス、大学キャンパス内のオペラハウス、天文台、各種のショッピング・プラザも整い、ずいぶん文化的になってきた。


 町そのものが、何もないところから都市計画を始めたから、最初は「西部の開拓地」みたいな感じだったが、今は大通りの並木や大学の桜並木も成長し、かなりしっくりした雰囲気が出てきた。


 もし県庁所在地が東広島市に移れば、広島市にはすでに「市立病院」が三つもあるわけだから、医歯薬関係学部にとっても、大学病院にとっても、東広島市の「広島大学キャンパス」に移転することのメリットの方が、はるかに大きいだろう。「30年後」を見すえた大きな構想を練ってほしいものだ。
 警備保障の話が妙なところに脱線した。


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