【万元戸】昨年7月のロイターが、中国で収賄罪にとわれた公務員に死刑が執行されたことを伝えている。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22263220110719
江戸時代の日本にも「経済犯に対する死刑」があり、「十両盗めば首が飛ぶ」といわれていた。しかもこれは「累積額」で、累犯にも適用された。
いま、この規定をもっているのは「北朝鮮」だけだ。経済犯に死刑を適用しているのは中国・北朝鮮など少数の「文明国」だけだ。
起源は、1920年代におけるレーニン指導下のソ連邦にある。農業政策の失敗をカバーするため、富裕農民を片端から銃殺した。
1年後、11月の共産党大会を前にして、英国人殺害の罪により妻が「執行猶予付き」死刑判決を受けている、重慶市の共産党幹部が、高額な収賄により「無期懲役」になるという(「日経」)。http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2903Z_Z20C12A9FF8000/
<薄氏の収賄は2億5000万円超 重慶市関係者明かす
2012/9/29 21:00
【北京=多部田俊輔】中国の重慶市関係者は29日、共産党が28日に重大な規律違反があったとして党籍を剥奪した元重慶市トップの薄熙来氏が受け取った賄賂の金額について、2千万元(約2億5千万円)を超えると明らかにした。北京市の弁護士によると、情状酌量がなければ無期懲役になる可能性が高いという。党籍剥奪を受けて、薄氏の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)代表資格の取り消しも決まった。>
この薄熙来は、11月の党大会で国家主席に就任が確実視されている集均平の「右腕」といわれていた男だ。
毛沢東の死後、国家主席となった小平が「先富論」を掲げた。はプラグマティストで、「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕るのがよい猫だ」と発言し、イデオロギーよりも「実利」を優先した。1980年代に、その「改革解放」路線を正当化するのに、用いられた理論がこの「先富論」で、「可能な者から先に裕福になり、そして落伍したものを助ければよい」というものだった。
一見、「経済倫理的主張」のように見えるが、これは本質的には「資本の本源的蓄積」のススメであり、「社会主義経済」とは異質なものだった。金持ちが貧乏人を助けるようには、人間の本性はつくられていない。
たちまち「万元戸」と呼ばれる富裕農民層が出現した。年収が1万元(約15万円)以上ある農家をそう称した。80年代では「百万長者」という意味を持っていた。
それが今では「月収1万元」が中産階級の下に属するらしい。「年収10万元(約150万円)」から所得税の課税対象になるようだ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2003&d=1022&f=column_1022_001.shtml
およそ1世代30年の間に、年収が10倍に増加したわけだ。
(これも1970年代の日本の大卒 事務系の初任給が約4万円、2000年のそれが約20万円だから、似たようなものとはいえ、伸び率はベースラインが低い中国の方が高い。いま、日本の大卒初任給はぜんぜん伸びていない。まさに「失われた20年」だ。http://profile.allabout.co.jp/w/c-57784/)いま、月給15万円で働いている若者は、日本にはいくらでもいる。「ワーキング・プア」と呼ばれ「格差社会」といわれる由縁だ。)
小平の「改革解放」路線は成功し、資本の本源的蓄積は進んだということができるだろう。かつて羨望の的であった「万元戸」という言葉もいまや死語になりつつあるという。
しかし「先富論」は前半の「可能な者から先に裕福になり」の部分は実現されたが、後半の「そして落伍したものを助ければよい」という部分が実現される気配がない。なぜなら裕福になったものとは、一党独裁の共産党幹部だけであり、富裕な者が貧しい者に自分の分け前を譲るなど、およそ人間の本性に反するからである。
それどころか、共産党幹部の収賄や殺人に関しては、一般人民に対してよりも罰則を軽減し、殺人に「執行猶予付き死刑」だの「2千万元の収賄」に「無期懲役」だのという判決を下して恥じるところがない。「法の下の平等」という法治国家の根本原則が実現されていないようでは、近代国家といえない。「王朝」である。
この「王朝」の存在が、日本にとって「内憂外患」の根源である。前にも述べたように、「中華人民共和国」の版図は、清王朝最盛時の版図にほぼ匹敵し、隙あらばさらに東西南北に拡張しようとしている。ベトナムもフィリピンもチベットもモンゴルもロシアも、隣の「困りもの」韓国でさえ迷惑している。人口膨張圧と内部矛盾を対外紛争でそらそうという政策は、どの帝国も歴史的に採用してきたので、別に不思議ではない。
しかし、今の中国は国内における基本的人権の抑圧といい、言論統制といい、スターリン亡き後のソ連共産党支配下の旧ソ連の状態と変わらない。ソ連にはソルジェニーツィンがいたが、中国には「収容所列島」を書ける作家もいない。
今の社会体制は、中国共産党が批判している「ファシズム」そのものである。「反ファシズム闘争に勝利した中国の歴史」などというスローガンを耳にすると笑ってしまう。中国人の不幸は、今の政府がファシスト政府だということに気づいていないことにある。
日本は北朝鮮、中国に対する有効な国家戦略を持ちえないでいるが、「寡頭支配制の支那王朝」を倒し、民族別の国家に再編成することを、長期的な国家戦略とするべきであろう。
それは簡単である。ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、チベット、モンゴル、満州北部のロシア領に、経済進出し、中国と北朝鮮を取り巻く「豊かな経済環」(Rich Economic Ring)をつくればよいのである。周辺国家が豊かになれば、中国国民の嫉妬はかならず自国の支配者に向けられる。それが政治的不安定の要因になり、共産党は対外進出の口実を失うだろう。
この「戦略」については、また別の機会に詳しく述べたい。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22263220110719
江戸時代の日本にも「経済犯に対する死刑」があり、「十両盗めば首が飛ぶ」といわれていた。しかもこれは「累積額」で、累犯にも適用された。
いま、この規定をもっているのは「北朝鮮」だけだ。経済犯に死刑を適用しているのは中国・北朝鮮など少数の「文明国」だけだ。
起源は、1920年代におけるレーニン指導下のソ連邦にある。農業政策の失敗をカバーするため、富裕農民を片端から銃殺した。
1年後、11月の共産党大会を前にして、英国人殺害の罪により妻が「執行猶予付き」死刑判決を受けている、重慶市の共産党幹部が、高額な収賄により「無期懲役」になるという(「日経」)。http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2903Z_Z20C12A9FF8000/
<薄氏の収賄は2億5000万円超 重慶市関係者明かす
2012/9/29 21:00
【北京=多部田俊輔】中国の重慶市関係者は29日、共産党が28日に重大な規律違反があったとして党籍を剥奪した元重慶市トップの薄熙来氏が受け取った賄賂の金額について、2千万元(約2億5千万円)を超えると明らかにした。北京市の弁護士によると、情状酌量がなければ無期懲役になる可能性が高いという。党籍剥奪を受けて、薄氏の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)代表資格の取り消しも決まった。>
この薄熙来は、11月の党大会で国家主席に就任が確実視されている集均平の「右腕」といわれていた男だ。
毛沢東の死後、国家主席となった小平が「先富論」を掲げた。はプラグマティストで、「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕るのがよい猫だ」と発言し、イデオロギーよりも「実利」を優先した。1980年代に、その「改革解放」路線を正当化するのに、用いられた理論がこの「先富論」で、「可能な者から先に裕福になり、そして落伍したものを助ければよい」というものだった。
一見、「経済倫理的主張」のように見えるが、これは本質的には「資本の本源的蓄積」のススメであり、「社会主義経済」とは異質なものだった。金持ちが貧乏人を助けるようには、人間の本性はつくられていない。
たちまち「万元戸」と呼ばれる富裕農民層が出現した。年収が1万元(約15万円)以上ある農家をそう称した。80年代では「百万長者」という意味を持っていた。
それが今では「月収1万元」が中産階級の下に属するらしい。「年収10万元(約150万円)」から所得税の課税対象になるようだ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2003&d=1022&f=column_1022_001.shtml
およそ1世代30年の間に、年収が10倍に増加したわけだ。
(これも1970年代の日本の大卒 事務系の初任給が約4万円、2000年のそれが約20万円だから、似たようなものとはいえ、伸び率はベースラインが低い中国の方が高い。いま、日本の大卒初任給はぜんぜん伸びていない。まさに「失われた20年」だ。http://profile.allabout.co.jp/w/c-57784/)いま、月給15万円で働いている若者は、日本にはいくらでもいる。「ワーキング・プア」と呼ばれ「格差社会」といわれる由縁だ。)
小平の「改革解放」路線は成功し、資本の本源的蓄積は進んだということができるだろう。かつて羨望の的であった「万元戸」という言葉もいまや死語になりつつあるという。
しかし「先富論」は前半の「可能な者から先に裕福になり」の部分は実現されたが、後半の「そして落伍したものを助ければよい」という部分が実現される気配がない。なぜなら裕福になったものとは、一党独裁の共産党幹部だけであり、富裕な者が貧しい者に自分の分け前を譲るなど、およそ人間の本性に反するからである。
それどころか、共産党幹部の収賄や殺人に関しては、一般人民に対してよりも罰則を軽減し、殺人に「執行猶予付き死刑」だの「2千万元の収賄」に「無期懲役」だのという判決を下して恥じるところがない。「法の下の平等」という法治国家の根本原則が実現されていないようでは、近代国家といえない。「王朝」である。
この「王朝」の存在が、日本にとって「内憂外患」の根源である。前にも述べたように、「中華人民共和国」の版図は、清王朝最盛時の版図にほぼ匹敵し、隙あらばさらに東西南北に拡張しようとしている。ベトナムもフィリピンもチベットもモンゴルもロシアも、隣の「困りもの」韓国でさえ迷惑している。人口膨張圧と内部矛盾を対外紛争でそらそうという政策は、どの帝国も歴史的に採用してきたので、別に不思議ではない。
しかし、今の中国は国内における基本的人権の抑圧といい、言論統制といい、スターリン亡き後のソ連共産党支配下の旧ソ連の状態と変わらない。ソ連にはソルジェニーツィンがいたが、中国には「収容所列島」を書ける作家もいない。
今の社会体制は、中国共産党が批判している「ファシズム」そのものである。「反ファシズム闘争に勝利した中国の歴史」などというスローガンを耳にすると笑ってしまう。中国人の不幸は、今の政府がファシスト政府だということに気づいていないことにある。
日本は北朝鮮、中国に対する有効な国家戦略を持ちえないでいるが、「寡頭支配制の支那王朝」を倒し、民族別の国家に再編成することを、長期的な国家戦略とするべきであろう。
それは簡単である。ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、チベット、モンゴル、満州北部のロシア領に、経済進出し、中国と北朝鮮を取り巻く「豊かな経済環」(Rich Economic Ring)をつくればよいのである。周辺国家が豊かになれば、中国国民の嫉妬はかならず自国の支配者に向けられる。それが政治的不安定の要因になり、共産党は対外進出の口実を失うだろう。
この「戦略」については、また別の機会に詳しく述べたい。
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