ランニングマシン48分。
早めに上がります。
朝の街頭活動。
私達は一人一人、地域社会の中で生きている。
そのことを意識して、コストのかからない地域にしていこうという主張です。
ポイ捨てから、少年犯罪・成年刑法犯検挙率、
生活保護の問題まで、無用なコストを削減し、本当に必要なところへお金を回す。
個と公の意識の確立のお話をしました。
終わって、振り返ると、某銀行の支店長さんが聞いてくださっていました。
ありがとうございます。
しかし、私達にとって、必要なことは何なのでしょう。
何が一番大事で、
犠牲にしなければならないのは、何でしょう。
なにもかも、完璧には出来ないわけで、
何もかも完璧にしようとすると、疲れてしまうでしょう?
だから、私は、ストレスをトレーニングでかく「汗」と一緒に流してしまうんですよ(笑)。
ただでさえ要領が悪い私が、なにもかも完璧に出来るわけがないのでして、
しかし、完璧を求めなければ、八割も到達しないでしょうから、
完璧を目指したいのです。
だから、人を不愉快にさせることも多いのだろうと思います。
でも、自分としては、一生懸命生きているつもりだから、
そう思うと、とても辛くなるのです。
頑張ることで、人を不愉快にさせてしまっては、生きている価値は無い。
つまるところ、
誰かに「偉いネー」なんて、「すごいネー」なんて、
褒められることを待っているのだろうと思うのです。
まったく、子供じみた奴です。
くだらない奴です。
始末に負えないのは、
かなりのことをこなせてしまうこと。
その上に、肝心なことが何か判ったつもりで居ること。
自信過剰の自意識過剰。
本当に始末に負えない。
最近、つくづくとそう感じています。
しかし、死に場所が見つからない今は、ちょっと死んでしまうのはもったいないかな。
実は、死にたくないだけなのかも知れないけれど、
命をかける何かが出来たら、その何かの為に身体を張って生きて行こうと思っています。
良く生きるとは、良く死ぬこと。
生きることは、死ぬこと。
命をかけられる何かと対峙するために、また街頭で訴えを続けたい。
訴えることで、自分が何をしたいのか、何をするべきなのかが明らかになってくるはず、
何もかもであり、
あれもこれもであり、
これだけはなのかもしれないけれど、
全く持って、方便でしかないよ。
言葉で遊ぶ必要は無いでしょう。
口から出す言葉に責任を持ち、
言葉とともに死ぬ。
誰かの心の中に、
誰かの意識の中に、私の訴えたことが残れば良いのではないかな。
こんな人間がいたことを、覚えてくれていたら、それで良いのかな。
夜のプールは、なんとなく痛みの出た腰を治療するように姿勢に注意をして
泳ぎました。
こうして、プールにストレスを流し、
自分のちっぽけさを知るのであります。
帰宅すると、疲れているのに、妻が豚肉のピカタを作ってくれていました。
美味しかった。ご馳走様でした。
寝息を立てる妻には、いつまでも元気で居て欲しい。
たぶん、僕は、お腹の子供の人生の半分も見ていてやれないでしょう。
あなたに任せて逝くのでしょう。
その時は、寂しがらずに、龍之介くんとしっかりと生きていっておくれ。
まだ、40年は走るつもりだけどね(笑)。
早めに上がります。
朝の街頭活動。
私達は一人一人、地域社会の中で生きている。
そのことを意識して、コストのかからない地域にしていこうという主張です。
ポイ捨てから、少年犯罪・成年刑法犯検挙率、
生活保護の問題まで、無用なコストを削減し、本当に必要なところへお金を回す。
個と公の意識の確立のお話をしました。
終わって、振り返ると、某銀行の支店長さんが聞いてくださっていました。
ありがとうございます。
しかし、私達にとって、必要なことは何なのでしょう。
何が一番大事で、
犠牲にしなければならないのは、何でしょう。
なにもかも、完璧には出来ないわけで、
何もかも完璧にしようとすると、疲れてしまうでしょう?
だから、私は、ストレスをトレーニングでかく「汗」と一緒に流してしまうんですよ(笑)。
ただでさえ要領が悪い私が、なにもかも完璧に出来るわけがないのでして、
しかし、完璧を求めなければ、八割も到達しないでしょうから、
完璧を目指したいのです。
だから、人を不愉快にさせることも多いのだろうと思います。
でも、自分としては、一生懸命生きているつもりだから、
そう思うと、とても辛くなるのです。
頑張ることで、人を不愉快にさせてしまっては、生きている価値は無い。
つまるところ、
誰かに「偉いネー」なんて、「すごいネー」なんて、
褒められることを待っているのだろうと思うのです。
まったく、子供じみた奴です。
くだらない奴です。
始末に負えないのは、
かなりのことをこなせてしまうこと。
その上に、肝心なことが何か判ったつもりで居ること。
自信過剰の自意識過剰。
本当に始末に負えない。
最近、つくづくとそう感じています。
しかし、死に場所が見つからない今は、ちょっと死んでしまうのはもったいないかな。
実は、死にたくないだけなのかも知れないけれど、
命をかける何かが出来たら、その何かの為に身体を張って生きて行こうと思っています。
良く生きるとは、良く死ぬこと。
生きることは、死ぬこと。
命をかけられる何かと対峙するために、また街頭で訴えを続けたい。
訴えることで、自分が何をしたいのか、何をするべきなのかが明らかになってくるはず、
何もかもであり、
あれもこれもであり、
これだけはなのかもしれないけれど、
全く持って、方便でしかないよ。
言葉で遊ぶ必要は無いでしょう。
口から出す言葉に責任を持ち、
言葉とともに死ぬ。
誰かの心の中に、
誰かの意識の中に、私の訴えたことが残れば良いのではないかな。
こんな人間がいたことを、覚えてくれていたら、それで良いのかな。
夜のプールは、なんとなく痛みの出た腰を治療するように姿勢に注意をして
泳ぎました。
こうして、プールにストレスを流し、
自分のちっぽけさを知るのであります。
帰宅すると、疲れているのに、妻が豚肉のピカタを作ってくれていました。
美味しかった。ご馳走様でした。
寝息を立てる妻には、いつまでも元気で居て欲しい。
たぶん、僕は、お腹の子供の人生の半分も見ていてやれないでしょう。
あなたに任せて逝くのでしょう。
その時は、寂しがらずに、龍之介くんとしっかりと生きていっておくれ。
まだ、40年は走るつもりだけどね(笑)。
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