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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【歴史認識】難波先生より

2012-11-03 10:31:44 | 難波紘二先生
【歴史認識】「NEWSポスト・セブン」という電子ニュースに「日本にはNHKと朝日があるのがうらやましい」という、韓国人記者が本音を語ったインタビューが載っている。
 http://www.news-postseven.com/archives/20121027_150777.html
 記事に対する読者からのクレームの論法が韓国と日本でまるでちがう、という指摘も興味深い。


 日本人読者の投書やメールを読むと、「いつか堪忍袋の緒を切らした日本に韓国はやられてしまうのではないか、という恐怖感すらおぼえる」という感想も妥当だろう。 日本人の好戦意識はかつてないほどたかまっている。明治の頃なら「征韓論」が台頭し、「朝鮮出兵」が叫ばれるところだ。それを押さえているのは、先の大戦に対する反省と「日本国憲法」の存在である。
 「韓国の新聞はぜんぶ日本の産経新聞と同じだ」というくだりでは、思わず笑ってしまった。


 今日の産経には月刊「正論」12月号の広告が載っている。山本夏彦は「週刊誌は買わないでも、電車の中吊り広告を読めばわかる」と書いていたが、新聞の雑誌広告を見れば中味がわかるから、私は「文藝春秋」以外は滅多に買わない。
 在日で、「在日外国人の終焉」(文春新書, 2001)を書いて、日本に帰化した首都大学教授の鄭大均が、「竹島・尖閣問題」が起こってから久しく沈黙しているな、と思っていたら「歴史捏造国家に一撃を」という特集に「韓国の<反日>とはなにか」という論文を寄せている。


 このところ、帰化した中国人、台湾人、韓国人による日本人以上に「排外愛国主義」の論調が目立つ。あるいは出版社の方で、そういう人物を意図的に起用しているのかもしれない。
 台湾出身の黄文雄「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか」(徳間書店, 2012/8)、済州島出身の呉善花「韓国併合への道:完全版」(文春新書, 2012/7)、山東省出身の呉国光「次の中国はなりふり構わない」(産経新聞出版, 2012/6)などが出ている。


 在日といえば、次期韓国大統領選挙に投票権のある人が在日韓国人が37万人いるそうだが、きちんと韓国領事館に届け出をして正規の投票資格をえた人は1万人に満たないそうだ。目と鼻の先に母国があるのに、一番大事な、国のトップを決める選挙に投票権を行使しない。そういう人に「投票権を与えよ」という運動をしている共産党も公明党も、下心は別にあると見るべきだろう。鄭大邱がいうように、在日問題の切り札は帰化である。そしたら生活保護も年金も、国民の権利なのだから、誰も文句はいうまい。


 先日のNスペで「竹島問題」について、日本側、韓国側各3人の学者・ジャーナリストによる討論会が行われていた。録画で見たのだが、一番理路整然としていて、説得力だあったのは櫻井よしこだった。神戸大の教授だか準教授だかという、日本語のおかしい男(日本側)がいちばんつまらなかった。


 韓国側はバカのひとつ覚えのようにすぐ「歴史認識」を持ち出し、「そこを日本側が歩みよらなければ」という。しかし実証主義史学の方法と立場が全然ない。
 要するに、「歴史について韓国が考えるように、日本が考えることが必要だ」というのである。


 櫻井は「歴史的事実については一致しえても、国がちがう以上、価値観が入る歴史認識の二国間一致というのはありえない。アメリカ独立戦争について、英国と米国の歴史認識は永久に一致しない。大切なことは、お互いに歴史観が違うということを認めた上で、今日そして明日、何が一緒にできるのか、ということを考えることだ」と述べた。そのとおりである。


 司会のアナウンサーが最後に韓国の教授にふったので、この発言を受けて建設的な意見を述べるかと思いきや、また「(日本による)植民地支配の歴史があり、(韓国国民は)日本の反省なくしては…」といいだしたので、メシを食いながら思わず「このバカ!」と怒鳴ってしまった。


 「朝鮮日報」は韓国政府がアップルに圧力をかけて、地図の「竹島」を「独島」に変えさせたが、(恐らく日本政府の抗議を受けて)アップルが再び「竹島」に戻したことを「日本のやり口は汚い」と伝えている。
 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/11/01/2012110100520.html


 物事を「相対化して」相手の立場から見ることのできない国民とその政府に未来はない。
 将棋と同じで、相手の立場に立って考えると「岡目八目」になれるのである。それには一に冷静、二に冷静で、やたらギャアギャア騒ぎ立てない度量と品格が必要だ。


 二国間に歴史的な対立や紛争があった場合に、第三国の人間による同時代記録、見聞録、旅行記の類がきわめて重要である。だから努めてその種の記録を集めるようにしている。江戸後期、明治初期についても同様で、ヨーロッパ人や米国人が残した記録は大切である。


 およそ記録というものは、「当たり前」のことは書いてない。「裸で夕涼み」することや「男女混浴」や母親が「人目を気にせず授乳する」ことなどは、日本人にとってあたりまえだったから、日本側の記録にはない。しかし、欧米人の目には非常に奇異な風習だったから、きちんと書いてある。
 そういう文献を集めて再構成された、渡辺京二「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)は、だから貴重な労作なのだ。


 韓国の歴史学者は「歴史認識」以前に、19世紀後半の朝鮮がどのような状況・生活レベルにあったのか、「歴史の再構成」を国外文献を用いて行ってみよ、といいたい。

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