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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【火事】難波先生より

2013-02-22 12:28:02 | 難波紘二先生
【火事】2/20水曜日、広島駅からJR岡山行きに乗り、「西高屋駅」で下りると、家内が迎えに来てくれていて、「福富銀座が火事で道路が閉鎖されているため、遠回りしたので今着いたところ」という。
「福富銀座」といわれても、とっさには意味がわからなかった。
 国道375は呉市広町から始まり、三次市を抜けて江の川沿いに山陰に入り、松江市まで通じている。他の区間は道路改良工事が行われたのだが、東広島市の福富町とその北の豊栄町の部分だけは改良工事が行われず、「日本一悪い国道(酷道)」になっている。
 福富ダムの完成によりダム湖に沿う部分は国道が付け替えになり、飛躍的によくなった。「その次は残りの国道だな」と期待していたが、一向によくならない。


 ダム湖に橋が架かりバイパス道路が付くと、旧役場と郵便局、公民館などがあった町の中心部の商店街は急速にさびれてきた。もともと過疎の町で、人口の減少と高齢化が一足先に訪れていた。(そういう意味では「未来社会」を先取りしていた。)
 電器屋、薬局、喫茶店、酒屋、魚屋、酒屋が閉店し、かつては20軒くらいあった商店街も、今は空き家が目立つ。なかにはツタが家屋を覆った家もある。これがかつての「福富銀座」である。


 「物騒だな…」と思っていたら、昨夕17時頃、閉店している喫茶店の店舗兼住宅で、石油ストーブの火をつけたまま給油していて発火し、その家と南隣の2軒、合計3軒が全焼したそうだ。(添付1)今朝の新聞と夕方、現場を視察に行き、道路の反対側斜めにある雑貨店の店主と立ち話したところだ。幸い死傷者はなかった。


 道路の反対側は「JA福富支店」の建物があり、前が駐車場になっていて、20mくらい離れているのだが、熱で窓ガラスにひびが入ったそうだ。現場を見て、なぜ北隣と南隣の3軒目が類焼しなかったのか納得がいった。
 南側の家は塀はないが、距離を離して建ててある。(添付2)北側の家はコンクリート塀があり塀際に庭が設けてある。(添付3)おそらく北風が吹いていて、炎は主に南向きに流れたのだろう。北側でも1軒裏の建物の窓ガラスは割れているが、北隣の家は窓がないから穴があかず、炎が吹き込まなかっただろう。


 3軒目の家は、遠くから見ると外形が残っているが、屋根が吹き飛ばされ、内部はすっかり燃え落ちていて「全焼」である。(添付4)北側から見ると、壁は残っているのに、窓が全部吹き飛び、2階の転落防止用フェンスまで焼け落ちている。火は破れた窓から室内に延焼し、ついで天井を破って屋根に抜けたのである。そうなると二階建ての家が「煙突」になるので、内部は先に燃えるが外部は残る。しかし南隣の家がもっと接近していて、広い窓があったら類焼したかもしれない。


 都市の大火災を防ぐには「防火道路」が重要で、東京は関東大震災のあとに、後藤新平が大改造に着手したが、下町にまでは手が回らなかった。これが「東京大空襲」で犠牲者が多く出た原因だ。あの時も「家はばっと火を噴き出して燃えた」とある。
広島では原爆の後になって、100m道路(東西に走る)や中央道路、鯉城通り(ともに南北に走る)などの整備が行われた。
 しかしコンクリートや石でない限り、大火の場合は飛び火して類焼がおこるから、家の立て方も考えておかないといけない。
が、田舎では農家はわざと孤立して建ててあるが、商店街では軒を接するような建て方の家が多い。隣家との間に窓をつくらないこと、目隠しを兼ねて防火塀をつくっておくことが大事だ。


 最近の湿度は30%~35%と異常に低い。仕事場には広口の容器に水を張ってあるが、湿度は上昇しない。
 これくらい湿度が低いと、手のひらが乾燥してかさかさになる。何かの拍子に火がついたら、仕事場はひとたまりもないだろうと思う。この寒いのに焼け出されて、親類や知人の家に避難している人たちがお気の毒である。

※添付の画像は省略させていただきました。武田

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