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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【福島1立地】難波先生より

2013-09-13 12:59:27 | 難波紘二先生
【福島1立地】京都の豊田先生から9/7「日経」記事をお送りいただいた。ありがとう存じます。
 これは無料のHPで読めないので、添付します。(添付A)
 戦後米軍が撮影した航空写真を見ると、「福島第一原発」の位置に川があるというものです。
 この記事には肝腎の航空写真が付いていない。
 国土地理院の「航空写真アーカイブ」で閲覧可能です。(「同意する」で入れます。)
 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do


 これがダウンロードできないので、画面をカメラで撮影したが、pdfに変換できずSkimが利用できない。仕方なく印刷して2.5万地形図と照合した。1947年米軍撮影のもので、今と相当地形が違う。(添付B)
 今、原発敷地内から海に出るのは排水溝しかないが、もとはここに少なくと3本の川があった。そのうち一番長いのが、北原地区(簡易郵便局のあるところ。図の赤線とそれに続く白く見える線。)を北から南に下る谷で、これは長者原から水産種苗研究所の脇で海に注ぐ川に合流していたが、原発立地工事の際に、この谷を埋めてしまった。このため谷に平行していた地下水は流路を変えて、東向きに、つまり原子炉の方向に流れはじめたのだと思われる。
 これは私の素人解釈で、専門家の意見を確認する予定だ。
 朝鮮では「風水」ということを盛んにいうが、うっかり水脈を変えると、とんでもないことが起こるのかもしれない。
 それにしてもメディアはギャーギャー騒ぐばかりで、きちんとした調査報道がないなあ。
 
【寺田寅彦】ある人からケータイに電話があって、NHK・BS2で「関東大震災」をやっていると教えてもらった。母屋に帰って録画した。仕事場にはテレビがない。
 「報道ステーション」を見た後で、録画を見てがっかりした。これは吉村昭「関東大震災」(文春文庫」が種本だ。
 
 「地震を予知した2人の科学者」とは、東大理学部地震学教室の教授大森房吉と助教授今村恒助のことだが、「地震予知はできない」ということは、阪神大震災の前から東大のロバート・ゲラーが主張していたことだ。
 「積み木崩し」と同じで、「いつかは崩れる」とはいえても、いつ崩れるかは予測できない。なぜなら「複雑系」の現象だからだ。


 寺田寅彦は東大理学部実験物理の教授だった。夏目漱石の弟子で、同じく弟子の小宮豊隆が友人だった。寺田の家庭については、「寺田寅彦随筆集(全5巻)」(岩波文庫)第1巻にある「どんぐり」が肺結核で妻が死んだこと、その忘れ形見が6歳になったことを書いている。明治38年「ホトトギス」掲載の随筆である。
 この随筆集は、文科系の小宮の編集だから、自然科学系の重要な随筆がほとんどない。
 その点、阪神大震災の後で出た、松本哉「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」(集英社新書, 2002)は、天災、防災についての主な寅彦随筆を押さえて書いている。


 寅彦は生涯に3度結婚している。最初の妻は若くして結核で死んだ。その想い出は「どんぐり」(明治28年)に書いてある。
 明治38年には再婚している。が、大正6年に病死されて、翌年に3度目をしている。
 「断水の日」は関東大震災の前年暮れに東京で地震があり、停電と断水が続いてことを綴ったものだ。自宅に井戸がなく、奥さん(三度目の妻)からもらい水は嫌だから井戸を掘ってくれといわれて、「討議」になったと書いている。夫婦げんかのことだ。


 「流言飛語」は大災害発生時の風評の怖さとそれに乗じられることの愚かさを指摘した重要な随筆だが「岩波文庫全5冊・寅彦随筆集」に入っていない。青空文庫なら読める。

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