【病気とは何か】リンネの「生物分類大系」では、基本単位は「種(Species)」である。それは「交配可能で、一代雑種(F1)を作ることができるもの」と「操作主義的」に定義されている。
これは具体的には、1)オスとメスの生殖器が交接可能で、2)卵子と精子の染色体数が同じで、2倍体になっても発生可能であることを意味している。従って「種」は実際に存在する、自然的な生物単位とみなすことができる。
この「操作主義的定義」はアリストテレスがプラトンの「イデア論」を否定するために考案したものだ。イデア論では、天空の神のそばにあらゆる物質の理想型(イデア)があらかじめ存在していて、イヌとか机とかの個物はそれらのイデアが具象化したものと考える。イデアという観念から出発して、個別の事物を説明するので「観念論」と呼ばれる。宗教はすべて観念論である。
リンネの「二項命名法」(1735初版)が成功をおさめると、病気についても同じように分類しようとする試みが現れたが、医師でもありウプサラ大学医学部教授(後学長)であったリンネは病気の系統分類には関心を示さなかった。
安田徳太郎の『世紀の狂人』(岩波新書)で知られるフランス革命の時代、パリ大学の内科教授フィリップ・ピネルは『哲学的疾病記述学』を書き、リンネの命名法にならって、内科的疾患を6綱、21目、84種に分類した。
ところがフランス革命が起こり、王も貴族も科学者(ラボアジェのように)も、反対派もギロチンに送られるようになり、恐怖にかられたピネルは精神病院に逃げ込んで、そこの医者になった。結果としてピネルは近代的精神病治療法の先駆けとなったので、いわば「怪我の功名」である。その換わり「疾病分類論」の方は忘れられた。
これに対して、プロシアの有名な病理学者ルドルフ・ウィルヒョウはベルリン大学の医学部教授として、多数の病理解剖を行い、顕微鏡を使って組織を検索し、大著『細胞病理学』をあらわした。彼は臓器や組織に認められる一定の病名に対して、名のないものに50以上の命名をおこなっている。
例えば、動物組織なのに植物のデンプンと同じ「ヨード・デンプン反応」が陽性となる病変について「アミロイド」と命名し、全身にこれが沈着する状態を「アミロイドーシス」と呼んだ。
慢性の貧血が続き、脾臓が腫れる(脾腫)症例を解剖したところ、心臓内の血液が膿のように緑白色だったので「白血病」と名づけた。これは今日の「慢性骨髄性白血病」のことである。
ウィルヒョウは病変には名前をつけたが、病名は何一つつくらなかった。(「白血病」は後世の人が病名にしたのである。言語はLeukemiaだから「白い血液」という意味で病名ではない。)それはなぜか?
この問題を真剣に取り上げた論文や著書を知らないが、ウィルヒョウの命題にこうある。
<病気とは体内に侵入した異物でも、体に根付いた寄生虫でもない。それは異なった条件下に進行する生命現象にすぎない。>(「科学的医学の立脚点」)
その「異なった条件下の生命現象」を彼は細胞のレベルにまで還元した。病的現象とは細胞レベルにまず生じると考えたのである。さらに彼は「病気」がプラトンのイデアのように、外部世界に存在し、それが病人にあらわれてくるという、「病気の存在論」的立場をとらなかった。「異なった条件下に進行する生命現象」という上記の命題が、それを如実にあらわしている。
ウィルヒョウはプラトン観念論の系譜の上にではなく、アリストテレスの操作主義の系譜を受けついでいる。生理学の法則や研究方法はすべて操作主義である。操作主義は哲学的にはプラグマティズムを支柱としている。
ウィルヒョウの還元主義は、「細胞」(それも核をもつ真核細胞)のレベルまでだった。彼の時代にはミトコンドリアもゴルジ装置も発見されておらず、まして遺伝子だのDNAは未発見だった。ヒポクラテスに始まる「体液病理学」は、18世紀にモルガーニによる「器官病理学」へ、18世紀にビシャーによる「組織病理学」へ、さらにウィルヒョウによる「細胞病理学」へと、より下位の小さな単位に病気の原因をもとめる「還元主義」の道をたどってきた。
細胞の先には、細胞内小器官があり、さらにその先には分子があり、原子があり、量子があるのだが、そこまでの洞察力をウィルヒョウに要求するのは酷だろう。しかし彼以後の病理学研究は確実にその過程をたどった。
そこで元の問題に返る。「病気は存在するのか?」
存在しない。プラトンのイデアが実在しないのと同様である。科学の法則や原理も同様だ。法則や原理それ自体を見ようと思っても見えない。それは脳の中に概念として存在しているだけだ。
「病名」というのは、ある特徴的な症状あるいは病態を呈する患者に便宜的につけているだけで、国により時代により呼び名は変わる。「悪性リンパ腫」という病気は私が大学院生の頃は、4病型しかなかった。その後10病型に増え、最新のWHO分類では60近くの病型に分かれている。今でも、(大学病院でさえ)悪性リンパ腫の新患を年間50人診るところは少ないだろう。病人の数より「病気の数」の方が多いわけだ。
ヒトには3万個くらいの遺伝子がある。その遺伝子のひとつひとつに、SNPと呼ばれる点突然変異がいくつもある。かつて「世界中に同じ指紋をもつ個人は二人といない」といわれたが、今は「同じ遺伝子をもつ個人も二人といない」といえる。一卵性双生児でも「免疫遺伝子」は異なる。
仮に全く同じ病原体(細菌、ウイルスなど)が体内に侵入しても、遺伝子が異なるのだから、ウイルヒョウのいう「異なった条件下に進行する生命現象」は異なる。あるひとつの「病気がある」のではなく、あるひとりの「病んだ患者がいる」のである。病気には個人による差がある。それが病気が個性の一部になる由縁である。
私たちが学生の頃は、1割が基礎医学に進んだ。今は、基礎に行くのは珍種になり、基礎医学教室は理学部卒や農学部卒のスタッフが多いと聞く。病理学的知識が(たぶん)乏しいから、病気を客観的実在と思い、蝶やなんかと同じように学名がつけられると思っているのではあるまいか。
また95%が進む臨床医にも、「病気実在論者」が多いような気がする。
いま、「◯◯症候群」(syndrome)という名称の病気が多くなったのは、あきらかに「実在論」に対する反省なのである。
「症候群」という名称は東洋医学に似ていて、いくつかの徴候(サイン)のうち、何個か以上があると診断できるようになっている。精神病でも「MS-Ⅳ」という診断マニュアルではこの方式である。
以上、病気とは変調を来したある状態のことであって、患者を離れて客観的に実在するものでないことを述べた。
次回は、「病的」と「病気」の違いについて述べたい。
これは具体的には、1)オスとメスの生殖器が交接可能で、2)卵子と精子の染色体数が同じで、2倍体になっても発生可能であることを意味している。従って「種」は実際に存在する、自然的な生物単位とみなすことができる。
この「操作主義的定義」はアリストテレスがプラトンの「イデア論」を否定するために考案したものだ。イデア論では、天空の神のそばにあらゆる物質の理想型(イデア)があらかじめ存在していて、イヌとか机とかの個物はそれらのイデアが具象化したものと考える。イデアという観念から出発して、個別の事物を説明するので「観念論」と呼ばれる。宗教はすべて観念論である。
リンネの「二項命名法」(1735初版)が成功をおさめると、病気についても同じように分類しようとする試みが現れたが、医師でもありウプサラ大学医学部教授(後学長)であったリンネは病気の系統分類には関心を示さなかった。
安田徳太郎の『世紀の狂人』(岩波新書)で知られるフランス革命の時代、パリ大学の内科教授フィリップ・ピネルは『哲学的疾病記述学』を書き、リンネの命名法にならって、内科的疾患を6綱、21目、84種に分類した。
ところがフランス革命が起こり、王も貴族も科学者(ラボアジェのように)も、反対派もギロチンに送られるようになり、恐怖にかられたピネルは精神病院に逃げ込んで、そこの医者になった。結果としてピネルは近代的精神病治療法の先駆けとなったので、いわば「怪我の功名」である。その換わり「疾病分類論」の方は忘れられた。
これに対して、プロシアの有名な病理学者ルドルフ・ウィルヒョウはベルリン大学の医学部教授として、多数の病理解剖を行い、顕微鏡を使って組織を検索し、大著『細胞病理学』をあらわした。彼は臓器や組織に認められる一定の病名に対して、名のないものに50以上の命名をおこなっている。
例えば、動物組織なのに植物のデンプンと同じ「ヨード・デンプン反応」が陽性となる病変について「アミロイド」と命名し、全身にこれが沈着する状態を「アミロイドーシス」と呼んだ。
慢性の貧血が続き、脾臓が腫れる(脾腫)症例を解剖したところ、心臓内の血液が膿のように緑白色だったので「白血病」と名づけた。これは今日の「慢性骨髄性白血病」のことである。
ウィルヒョウは病変には名前をつけたが、病名は何一つつくらなかった。(「白血病」は後世の人が病名にしたのである。言語はLeukemiaだから「白い血液」という意味で病名ではない。)それはなぜか?
この問題を真剣に取り上げた論文や著書を知らないが、ウィルヒョウの命題にこうある。
<病気とは体内に侵入した異物でも、体に根付いた寄生虫でもない。それは異なった条件下に進行する生命現象にすぎない。>(「科学的医学の立脚点」)
その「異なった条件下の生命現象」を彼は細胞のレベルにまで還元した。病的現象とは細胞レベルにまず生じると考えたのである。さらに彼は「病気」がプラトンのイデアのように、外部世界に存在し、それが病人にあらわれてくるという、「病気の存在論」的立場をとらなかった。「異なった条件下に進行する生命現象」という上記の命題が、それを如実にあらわしている。
ウィルヒョウはプラトン観念論の系譜の上にではなく、アリストテレスの操作主義の系譜を受けついでいる。生理学の法則や研究方法はすべて操作主義である。操作主義は哲学的にはプラグマティズムを支柱としている。
ウィルヒョウの還元主義は、「細胞」(それも核をもつ真核細胞)のレベルまでだった。彼の時代にはミトコンドリアもゴルジ装置も発見されておらず、まして遺伝子だのDNAは未発見だった。ヒポクラテスに始まる「体液病理学」は、18世紀にモルガーニによる「器官病理学」へ、18世紀にビシャーによる「組織病理学」へ、さらにウィルヒョウによる「細胞病理学」へと、より下位の小さな単位に病気の原因をもとめる「還元主義」の道をたどってきた。
細胞の先には、細胞内小器官があり、さらにその先には分子があり、原子があり、量子があるのだが、そこまでの洞察力をウィルヒョウに要求するのは酷だろう。しかし彼以後の病理学研究は確実にその過程をたどった。
そこで元の問題に返る。「病気は存在するのか?」
存在しない。プラトンのイデアが実在しないのと同様である。科学の法則や原理も同様だ。法則や原理それ自体を見ようと思っても見えない。それは脳の中に概念として存在しているだけだ。
「病名」というのは、ある特徴的な症状あるいは病態を呈する患者に便宜的につけているだけで、国により時代により呼び名は変わる。「悪性リンパ腫」という病気は私が大学院生の頃は、4病型しかなかった。その後10病型に増え、最新のWHO分類では60近くの病型に分かれている。今でも、(大学病院でさえ)悪性リンパ腫の新患を年間50人診るところは少ないだろう。病人の数より「病気の数」の方が多いわけだ。
ヒトには3万個くらいの遺伝子がある。その遺伝子のひとつひとつに、SNPと呼ばれる点突然変異がいくつもある。かつて「世界中に同じ指紋をもつ個人は二人といない」といわれたが、今は「同じ遺伝子をもつ個人も二人といない」といえる。一卵性双生児でも「免疫遺伝子」は異なる。
仮に全く同じ病原体(細菌、ウイルスなど)が体内に侵入しても、遺伝子が異なるのだから、ウイルヒョウのいう「異なった条件下に進行する生命現象」は異なる。あるひとつの「病気がある」のではなく、あるひとりの「病んだ患者がいる」のである。病気には個人による差がある。それが病気が個性の一部になる由縁である。
私たちが学生の頃は、1割が基礎医学に進んだ。今は、基礎に行くのは珍種になり、基礎医学教室は理学部卒や農学部卒のスタッフが多いと聞く。病理学的知識が(たぶん)乏しいから、病気を客観的実在と思い、蝶やなんかと同じように学名がつけられると思っているのではあるまいか。
また95%が進む臨床医にも、「病気実在論者」が多いような気がする。
いま、「◯◯症候群」(syndrome)という名称の病気が多くなったのは、あきらかに「実在論」に対する反省なのである。
「症候群」という名称は東洋医学に似ていて、いくつかの徴候(サイン)のうち、何個か以上があると診断できるようになっている。精神病でも「MS-Ⅳ」という診断マニュアルではこの方式である。
以上、病気とは変調を来したある状態のことであって、患者を離れて客観的に実在するものでないことを述べた。
次回は、「病的」と「病気」の違いについて述べたい。
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