【国家】「マッチするつかの間の海に闇深し 身捨つるほどの祖国はありや」(寺山修司)
「産経」が「国民の憲法」を発表し、自画自賛的な記事でさかんに「国民の国防の義務」を強調しているのを読むと、ふと寺山修司のこの絶唱を思い浮かべる。「産経」も「中国」も「国家とは何か」という重要な問題を脇に置いて、改憲問題を報じているようだ。
「産経」などは、フランス、イタリア、スペイン、ドイツの憲法条文を持ち出して、ほれこのとおり世界の国々の憲法には「国防の義務」が書いてあると述べているが、これらの国々はすべて徴兵制を廃止し、志願兵制に移行している。ヨーロッパで徴兵制が残っているのはノルウェーと「武装永世中立」を国是とするスイスだけだ。世界的にみれば、死刑制度と徴兵制度を維持している国はもはや少数派なのである。http://ja.wikipedia.org/wiki/徴兵制度
大メディアはこうして平気でウソを書く。
志願兵制であれ、傭兵制であれ、国民がその費用を払い、軍に対して信頼をよせ、協力的であるかぎり、「国防の義務」は果たされるのである。しかし肝腎の「守るべき国家」について「産経」は何も書いていない。
「中国」は共同通信の記事を載せ、2007年に「国民投票法」が成立した後、「付則」にある「法施行までに18歳以上の国民の投票が可能となるように、関連法を修正する」という条項の実現を妨げてきたのが法務省であると、報じている。2010年にこの法は施行されたが、公職選挙法も民法も改正されていないので、「国民投票法」は法的矛盾をかかえた違法な法である。
国会が国の最高議決機関なら、それが定めた法に従うのが行政府の義務である。が、総務省が選挙権付与年齢と成人年齢の同時引き下げを主張したのに対して、法務省が成人年齢の引き下げに難色を示し、実務レベルでの作業が進んでいないという。ならば、省庁の官僚は国会の上位機構というほかなかろう。それを守るのが「国を守ることだ」といわれたら、誰でも「くそったれ」というだろう。
かつての陸軍省や大本営でも、実権を握っていたのは、佐官クラスの若い軍人だった。大臣、参謀総長はもとより、次官局長はみな彼らの立てた案で動いていたのである。今の省庁も変わらない。実権を握っているのは、各省の課長クラスである。彼らは「自分が国家である」と思っているが、その見識は浅く、視野は狭い。この「官僚」という特殊階層が敗戦後も生き残ったのは、「終身雇用制」という制度に守られ、国民審査を受ける、あるいは時の政権により任免を受けるという「スポイルズ制」が導入されなかったためである。ここにメスを入れないで、「天下り禁止」などを実行しようとしてもできっこない。
ここに来て全国紙はどこも、「政治部」の優位性が目立つようになった。NYT(ニューヨーク・タイムズ)は有料電子版が成功して「USAトゥデイ」を追い抜き、WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)に次ぐ、全米2位の新聞になったという。その東京支局長M.ファクラーが『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)でこんなエピソードを紹介している。
「産経ウェッブ版」記事からの引用で、民主党の参議院議員北沢俊美元防衛大臣の74歳の誕生祝いのパーティを、政治部の担当記者ら50人が集まって、麹町のレストランを借り切って開き、席上花束のほかに「どらえもん」のぬいぐるみをプレゼントした、というものだ。
「もしこんな誕生会を企画してプレゼントまで贈っていたことがわかれば、ニューヨーク・タイムズの記者なら即刻クビを宣告されるだろう。」とファクラーは述べている。
「記者たちの取材対象である国会議員と、家族や友人のような仲良しグループを結成してしまう。…こんな距離感では、ジャーナリストとしてまともな記事を書けるはずがない」とも書いている。(P.102)
他方、内閣には「官房機密費」という領収書のいらない予算がある。メディア対策にも使われている。ファクラーならずとも、安倍政権の機密費が大メディアの接待費に相当使われている、と勘ぐりたくなるのが、最近の政治部記事である。
京都で七代以上続く商家はすべて養子によりつないできたという。つまり「男性だけで万世一系」というのは生物学的に不可能なのである。徳川将軍家だって、本家では大奥を置いて、沢山の妾を抱えていたのに跡継ぎがなく、御三家から何度も将軍が出ている。天皇家だって、側室制廃止を維持すれば、子産み機械みたいな皇太子妃が10人くらい子供を産まないと、「女児だけ」という事態は確率論的には生じる。子産み機械が仕事だと思って后になる女は少ないだろう。また国民の尊敬をえられまい。
だからといって、皇室にハーレムを設置するわけにいくまい。
そういう過去の事実や事態に対する想像力もなくして、観念的に「男系で万世一系の天皇制」を主張する。愚かなことだ。
「産経」が「国民の憲法」を発表し、自画自賛的な記事でさかんに「国民の国防の義務」を強調しているのを読むと、ふと寺山修司のこの絶唱を思い浮かべる。「産経」も「中国」も「国家とは何か」という重要な問題を脇に置いて、改憲問題を報じているようだ。
「産経」などは、フランス、イタリア、スペイン、ドイツの憲法条文を持ち出して、ほれこのとおり世界の国々の憲法には「国防の義務」が書いてあると述べているが、これらの国々はすべて徴兵制を廃止し、志願兵制に移行している。ヨーロッパで徴兵制が残っているのはノルウェーと「武装永世中立」を国是とするスイスだけだ。世界的にみれば、死刑制度と徴兵制度を維持している国はもはや少数派なのである。http://ja.wikipedia.org/wiki/徴兵制度
大メディアはこうして平気でウソを書く。
志願兵制であれ、傭兵制であれ、国民がその費用を払い、軍に対して信頼をよせ、協力的であるかぎり、「国防の義務」は果たされるのである。しかし肝腎の「守るべき国家」について「産経」は何も書いていない。
「中国」は共同通信の記事を載せ、2007年に「国民投票法」が成立した後、「付則」にある「法施行までに18歳以上の国民の投票が可能となるように、関連法を修正する」という条項の実現を妨げてきたのが法務省であると、報じている。2010年にこの法は施行されたが、公職選挙法も民法も改正されていないので、「国民投票法」は法的矛盾をかかえた違法な法である。
国会が国の最高議決機関なら、それが定めた法に従うのが行政府の義務である。が、総務省が選挙権付与年齢と成人年齢の同時引き下げを主張したのに対して、法務省が成人年齢の引き下げに難色を示し、実務レベルでの作業が進んでいないという。ならば、省庁の官僚は国会の上位機構というほかなかろう。それを守るのが「国を守ることだ」といわれたら、誰でも「くそったれ」というだろう。
かつての陸軍省や大本営でも、実権を握っていたのは、佐官クラスの若い軍人だった。大臣、参謀総長はもとより、次官局長はみな彼らの立てた案で動いていたのである。今の省庁も変わらない。実権を握っているのは、各省の課長クラスである。彼らは「自分が国家である」と思っているが、その見識は浅く、視野は狭い。この「官僚」という特殊階層が敗戦後も生き残ったのは、「終身雇用制」という制度に守られ、国民審査を受ける、あるいは時の政権により任免を受けるという「スポイルズ制」が導入されなかったためである。ここにメスを入れないで、「天下り禁止」などを実行しようとしてもできっこない。
ここに来て全国紙はどこも、「政治部」の優位性が目立つようになった。NYT(ニューヨーク・タイムズ)は有料電子版が成功して「USAトゥデイ」を追い抜き、WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)に次ぐ、全米2位の新聞になったという。その東京支局長M.ファクラーが『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)でこんなエピソードを紹介している。
「産経ウェッブ版」記事からの引用で、民主党の参議院議員北沢俊美元防衛大臣の74歳の誕生祝いのパーティを、政治部の担当記者ら50人が集まって、麹町のレストランを借り切って開き、席上花束のほかに「どらえもん」のぬいぐるみをプレゼントした、というものだ。
「もしこんな誕生会を企画してプレゼントまで贈っていたことがわかれば、ニューヨーク・タイムズの記者なら即刻クビを宣告されるだろう。」とファクラーは述べている。
「記者たちの取材対象である国会議員と、家族や友人のような仲良しグループを結成してしまう。…こんな距離感では、ジャーナリストとしてまともな記事を書けるはずがない」とも書いている。(P.102)
他方、内閣には「官房機密費」という領収書のいらない予算がある。メディア対策にも使われている。ファクラーならずとも、安倍政権の機密費が大メディアの接待費に相当使われている、と勘ぐりたくなるのが、最近の政治部記事である。
京都で七代以上続く商家はすべて養子によりつないできたという。つまり「男性だけで万世一系」というのは生物学的に不可能なのである。徳川将軍家だって、本家では大奥を置いて、沢山の妾を抱えていたのに跡継ぎがなく、御三家から何度も将軍が出ている。天皇家だって、側室制廃止を維持すれば、子産み機械みたいな皇太子妃が10人くらい子供を産まないと、「女児だけ」という事態は確率論的には生じる。子産み機械が仕事だと思って后になる女は少ないだろう。また国民の尊敬をえられまい。
だからといって、皇室にハーレムを設置するわけにいくまい。
そういう過去の事実や事態に対する想像力もなくして、観念的に「男系で万世一系の天皇制」を主張する。愚かなことだ。
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