【読書日記から16】
1)ジョン・ポリドリ:『吸血鬼』=
Amazonのレビューによると、これは創元社推理文庫「吸血鬼小説集」に佐藤春夫訳があるそうだ。
<『吸血鬼』 ジャン・ミストレル 種村季弘訳
『グスラ(抄)』 プロスペル・メリメ 根津憲三訳
『吸血鬼』 ジョン・ポリドリ 佐藤春夫訳
『吸血鬼の女』 E・Th・A・ホフマン 種村季弘訳
『カルパチアの城』 ジュール・ヴェルヌ 安東次男訳
『吸血鬼』 マルセル・シュオップ 種村季弘訳
『サセックスの吸血鬼』 コナン・ドイル 延原謙訳
『吸血鬼』 ルイージ・カプアーナ 種村季弘訳
『吸血鬼を救いにいこう』 ベレン 種村季弘/橋本綱訳
『受身の吸血鬼』 ジェラシム・ルカ 種村季弘/橋本綱訳
『ドラキュラ ドラキュラ』 H・C・アルトマン 種村季弘訳 >
コナン・ドイルやメリメ、ジュール・ヴェルヌ、ホフマン、ミストレルまで「吸血鬼もの」を書いているとは知らなかった。
しかし、プロジェクト・グーテンベルグで無料の電子本を入手したので、PDFでわずか30枚程度であり、これを読んだ。かえってこれがよかった。
まず最初に、この短篇が書かれたいきさつが序論としてあり、ここに吸血鬼伝説の歴史についての総論がある。(ところがこれは著者へのクレジットなしで、ヴォルテール「哲学辞典」から吸血鬼の項をほとんど丸写ししたものだった。盗作ないし剽窃は文学にはありふれているが、これには問題がある。)
ついで「ヴァンパイア」本体の短い小説がある。200年前の小説だから、会話がないとか死語になった単語が多いとかの特徴があるが、大意を理解するには支障がない。
ロンドンの社交界でオーブリィという、まだ後見人がついている、金持ちの青年紳士がルスブン卿という個性的な(あるいは孤高で狷介な性格をした)貴族と知り合いになり、ギリシアに旅行するという彼に同行することになる。
オランダから始まった旅で、オーブリィは次第にルスブン卿に違和感を感じるようになり、ローマで分かれて一人でアテネに行く。そこに部屋を借りて逗留しているうちに若い未婚の娘と交流するようになる。娘の家で両親からヴァンパイア—に関する話を聞く。
(不思議なことに娘も両親も「教育がない」と書いてあるのに、吸血鬼のギリシア語「ブリコラコス」の名前が出て来ない。英語で会話し、「ヴァンパイア—」という名を口にしたように書いてある。)
娘とその両親から聞いたヴァンパイア—の特徴は、ローマで分かれたルスブン卿によく似ていた。ある日オーブリィは古代遺跡を訪問し、ある遺物を入手する計画を立てたが、娘とその親は「途中の森には夜になるとヴァンパイアが出る場所があるから、帰りは日没までに絶対にそこを抜けなければいけない」と警告する。
馬で遺跡探訪に出かけたオーブリィは、つい帰りが遅くなり、日暮れになって森に差しかかり、女の叫び声を聞き、駆けつけると暗い小屋の中で、大きな力のある男が若い娘を襲っていた。オーブリィは、大声で助けを求めるが、男に殴り倒され昏倒する。
やがて松明をもった一団が助けに来るが、その娘、アテネで知り合ったイアンテは死体となって横たわっていて、首には静脈に向けて空けられた2本の牙痕があった。
悲嘆に暮れる娘の両親と共にアテネに戻ったオーブリィは、熱病にかかり床につく。その時、たまたまアテネに来たというルスブン卿が現れ、懸命の介抱してくれてやっと健康を取り戻し、二人はまたギリシア辺境の地へと一緒に旅行をする。
ところが途中で山賊に襲われ、銃で撃たれた傷がもとで、ルスブン卿は死んでしまう。死の直前に彼は「誓え、私の死と私の秘密を1年間は絶対に他人に漏らさないことを」と要求して約束させる。死体を安置した小屋から、翌朝、ルスブン卿の遺体は消えていた。
ロンドンに戻ったオーブリィは、18歳になった妹と再会しお屋敷に住むが、ある日何年かぶりで開催された王室の招宴に妹と出かけ、そこで「誓いを守れ」という声を聞き、そこにルスブン卿がいることを知る。
その後、重いうつ病に罹ったオーブリィを見かねて、後見人たちは「親権」を回復し、屋敷に医者を住まわせて、治療に専念させた。その間に、妹のミス・オーブリィは「マースデン卿」との交際が始まり、婚約が整い、年が明けると結婚式を挙げることが決まった。
回復期にあったオーブリィは妹の結婚を大いに祝福するが、妹の胸のロケットにあったマースデン卿の似顔絵を見て、驚愕する。それはルスブン卿だった。
真相をしゃべろうとするが、耳元で「誓いを守れ」というルスブンの声が聞こえ、恐怖のあまり再び狂気の世界に戻ってしまうオーブリィ。
やがて結婚式があり、花婿と花嫁はロンドンから旅立つ。
約束の一年が過ぎ、後見人に真相を話したオーブリィは衰弱して息絶える。驚いた後見人たちが花嫁に連絡しようとするが、すでに彼女はヴァンパイアの犠牲者となっていた。
物語が終わった後に「バイロン卿のギリシア・ミチレーネの住居とそこでの生活」という、PDFで3ページのレポートがある。
死体(Corpse)のスペルがCorse(中世英語)となっている箇所が何カ所かあり、文脈から見当はつくが、ケアレスである。
この「バイロン邸訪問記」は面白い。詩人のG.G.バイロン(1788〜1824)は1812年に医者に成り立てのポリドリがギリシア旅行した時には、もうギリシアにいなくて、本国で詩集「チャイルド・ハラルドの巡礼」(1812)を発表し一躍有名になったところだった。
ところがそれを知らないポリドリは、レスボス島のミティレネの港町である年老いた船員と知り合いになり、彼が仕えていた英国のある貴族の家を訪問し、主のいない家に、ゲーテ、シラーのドイツ語本、ルソーやヴォルテールのフランス語本、イタリア語の本、聖書などが沢山あり、いずれもページに鉛筆で書き込みがあるのを知る。
レスボス島のミティレネは女流詩人サッフォーが生まれ、アリストテレスが海産動物の研究をした港町である。バイロンがレスボス島に住んだのは、サッフォーに惹かれたからかも知れない。で、ポリドリは「一体この孤立した生活を愛する英国貴族は誰だろう?」という疑問を持ち、旅先でいろいろ訊ねて、やっとそれが「バイロン卿」だと判明するというのが話のオチ。
というわけで、ポリドリ『ヴァンパイア:ある物語』(1819)の成立事情とルスブン卿のモデルがわかった。モデルはバイロンである。
バイロンの二度目の海外滞在の時は、エジンバラの医学校を出たばかりのポリドリを侍医としてスイス・ジュネーブに随伴した。その時に、ギリシア、レスボス島での「バイロン卿」のイメージに合わせて造形されたのが、「ルスブン卿」なのである。
一方、小説でのオーブリィ(これがポリドリ自身をモデルとしていることは、小説中で1箇所、オーブリィが医者であることが述べられていること、後にポリドリ自身がうつ病になっていることからも明らかだ)は、「うつ病」により死亡するが、作者も1821年、うつ病(分裂病?)と賭博の借金が原因で、突然死(自殺?)している。
作品中、ルスブン卿は女ことに処女に目がない男、賭博狂として描かれているが、これはバイロンとポリドリ双方に共通する性格のようだ。
ただ作品の完成度においては、ルーマニアのポエナリ城に住むドラキュラ伯爵を主人公にしたブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の方が優れているが、これもポリドリの先行作品がなければ、生まれていないだろう。
もう一つ発見があった。「&c」という記号が「バイロン邸訪問記」のタイトル後についている。19世紀初頭の英語ではこれを「エトセトラ」と読ませていたのだ。アンド(and)はラテン語ではetである。Cをセトラと読ませれば、「&C」はエトセトラ(et cetera)となる。つまり「その他」を意味しているのだが、今どきこういう英語表記はない。英語もいろいろ時代による変遷があるのだ、とよくわかった。
2)今野真二『辞書をよむ』(平凡社新書, 2014/12):
新聞書評のベタ記事で知り、期待せずに買ったがやはりクズ本だった。著者は早稲田の国文を出て「清泉女子大」というところの教授だそうだが、索引はない、引用参考文献のリストはない、というおよそ文系学者の悪癖で染まった本だ。
読者にとって、「和名類聚抄」だの「日葡辞典」だのについて、いくら著者のご高説を聞かされても、肝心の原本を安く入手し、それを確かめることができなければ、信用に値しない。文科系の学者はしばしば飯のタネの原本情報を隠すから始末におえない。
レファ本として推薦に値するかと思ったが、これはダメだ。
スペイン語とポルトガル語の差はほとんどないそうだから、Collinsのポルトガル語辞典と「蘭学」の基礎となったオランダ語辞典を入手しようと思う。
この2種の字引があれば、初期の蘭学書も容易に読め、「天守閣」のDonjonが日本語起源なのか、逆に「天守閣」がポルトガル語の意訳なのか、わかるだろう。
3)福沢諭吉:『明治十年丁丑(ていちゅう)公論・痩我慢の説』(講談社学術文庫、1985)=
西部邁が『福沢諭吉:その愛国心と武士道』(中公文庫)、石原慎太郎が政界引退の弁で、ともに取りあげていた諭吉の「立国は私なり、公に非ざるなり」が用いられている文脈を知りたくて、この本を取り寄せた。
「現代日本思想体系2:福沢諭吉」(筑摩書房、1963)を所持しているが、編集が家永三郎でこれはおよそ見識がなく、「福翁自伝」、「福翁百話」、「福翁百余話」などから、彼がお薦めと考えた部分がぶっちぎりで入っている。そのくせ自分の「解説」は細字で50余ページも書いている。よけいなお世話だ。原典に忠実に収録すべきだった。で、これには「痩我慢」が入っていない。
諭吉はこの文庫本でたった20ページの小論で、「痩我慢」という言葉を14回も使い、幕府重臣でありながら新政府に帰順し、さらに政府に出仕し栄達した勝海舟と榎本武揚を「武士の名折れ」と批判し「痩我慢を貫くべきだった」と非難している。
草稿の段階で、勝と榎本に見せたというから、それはフェアーな態度だと思う。
榎本は「忙しいから」と返事を寄こさず、勝は「行蔵(出処進退)は我に存す。毀誉(褒貶)は他人の主張、われ与らずわれ関せず」という返事を寄こして、「印刷あるいは他人に配布して差し支えなし」と述べた。これも立派な態度だ。
勝海舟は『氷川清話』(角川文庫)でも『海舟座談』(岩波文庫)でも諭吉の悪口は言っていない。徳川慶喜については、『海舟座談』p.105, p.114で、「慶喜さんが、(明治31年3月2日)天皇に拝謁し逆賊でなくなった。これで徳川氏のことは事を全うした。わしも今日まで突っ張ってきた甲斐があった」と言う意味の発言をしている。この記録を諭吉は読んでいないのではないかと思う。
諭吉は勝を「江戸防衛の主将でありながら、無血開城した。勝が<勝てない戦>という判断をしたのは正しかった」としながら、「(戦争による)殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり」主張し、武士道を貫かなかった勝を「痩我慢ができなかった」と非難している。さらに新政権に出仕したことを、またも「痩我慢」ができなかったと非難している。
14回出てくる「痩我慢」のうち、実に13回が勝に対して使われている。序論の4ページは勝批判の5ページの前置きであり、榎本批判は付けたしと思われる。
だが、何が原因で明治30年にもなって、諭吉がここまで徹底的に勝海舟を批判したのか、ちと理解に苦しむ。彼のロジックだけを取り出せば、「太平洋戦争で本土決戦をやり、徹底抗戦すべきだった。なぜなら<殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり>」ということになろう。「産経」あたりが、言いそうな論調だ。
4)佐々涼子:『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』(早川書房、2014/6)=
またも3/11が巡って来た。中国電力が「島根原発1号炉」を40年で廃炉にすることを決めたという報道があった。賢明な決断だろう。「お上」のいうことに従っていると、ひどい目にあわされるだけだ。医薬分業でも、老健施設でも、太陽光発電でも同じことが起こっている。
3/11の直後、2011年4月末、横浜市で「日本病理学会」の年次総会が開かれ、その創立百周年を祝う行事があった。学会は「日本病理学会百年史」の刊行を準備していたが、原稿を寄せた執筆者に学会前に送られてきたのは、安っぽいペーパーバックだった。
その前に学会事務局の人から、「東日本大震災のせいで、紙が間に合わず、印刷が遅れている」と聞いていたので、「やっと間にあったか」と安堵して、そのまま忘れていた。ところが11月になってきちんとしたハードカバーで、紙ケースに入った、立派な「100周年記念誌」があらためて送られてきた。事情をよく知らない私は不審に思った。
だがこの『手をつなげ!』を読んで、疑問が氷解した。驚くべき話が書かれていた。日本の出版用紙の約4割を「日本製紙」が造っている。主力工場は宮城県石巻市にある「日本製紙石巻工場」。年間生産量約100万トンで、世界屈指の生産量だという。
東日本大震災のあの日、激しい地震の直後、製紙工場を襲った巨大津波は、十余台の巨大な製紙機の動力電源を奪い、原料のパルプや出来上がった紙を巻き取る装置や備蓄された製品を押し流してしまった。
全滅した製紙機のなかで1970年に運転を始めた全長110mという巨大な製紙機「8号機」を、他に先駆けて整備・再稼働させるまでの、6ヶ月間にわたる工場関係者たちの苦闘が、この物語の中心をなす。
ところで標題の「紙をつなぐ」とは、どういう意味だろうか?
2011年9月14日、整備を終えた8号機に液化パルプを供給するポンプのスイッチを入れると、機械の端で「抄紙」行程が始まり、漉かれた紙が巨大なベルトを為して、表面加工などを受けながら110m先の巨大なリールに向かって巻き取られて行く。
抄紙機の初めから終りまで、途切れることなく紙の帯ができることを「通紙」といい、現場では「紙をつなぐ」という。この日、8号機はわずか28分という記録的な短時間で紙がつながった。このエピソードを描いた第8章は、本書のうちでもっとも感動的な箇所である。
珍しい本である。奥付反対ページに、本文、口絵用紙の「仕様」と製造工場及び抄紙機の番号が示されている。もちろん、本書の隠れた主役である「石巻工場8号抄紙機」によるものだ。カバー、帯の用紙についてもメーカーと仕様が書かれている。
震災により紙の供給がストップした時、著者も東北で印刷用紙が造られていることを知らなかったという。それがこの本が誕生するきっかけである。(今日の斜陽を迎える前に、出版社はこういう本を当たり前に出すべきだったと思う。)
この本は、紙が日本のどこで、どのようにして造られているか、日本製の紙がどの国で使われているかをも教えてくれる。「ビブリオマニア(愛書家)」には見逃せない一冊だろう。
1)ジョン・ポリドリ:『吸血鬼』=
Amazonのレビューによると、これは創元社推理文庫「吸血鬼小説集」に佐藤春夫訳があるそうだ。
<『吸血鬼』 ジャン・ミストレル 種村季弘訳
『グスラ(抄)』 プロスペル・メリメ 根津憲三訳
『吸血鬼』 ジョン・ポリドリ 佐藤春夫訳
『吸血鬼の女』 E・Th・A・ホフマン 種村季弘訳
『カルパチアの城』 ジュール・ヴェルヌ 安東次男訳
『吸血鬼』 マルセル・シュオップ 種村季弘訳
『サセックスの吸血鬼』 コナン・ドイル 延原謙訳
『吸血鬼』 ルイージ・カプアーナ 種村季弘訳
『吸血鬼を救いにいこう』 ベレン 種村季弘/橋本綱訳
『受身の吸血鬼』 ジェラシム・ルカ 種村季弘/橋本綱訳
『ドラキュラ ドラキュラ』 H・C・アルトマン 種村季弘訳 >
コナン・ドイルやメリメ、ジュール・ヴェルヌ、ホフマン、ミストレルまで「吸血鬼もの」を書いているとは知らなかった。
しかし、プロジェクト・グーテンベルグで無料の電子本を入手したので、PDFでわずか30枚程度であり、これを読んだ。かえってこれがよかった。
まず最初に、この短篇が書かれたいきさつが序論としてあり、ここに吸血鬼伝説の歴史についての総論がある。(ところがこれは著者へのクレジットなしで、ヴォルテール「哲学辞典」から吸血鬼の項をほとんど丸写ししたものだった。盗作ないし剽窃は文学にはありふれているが、これには問題がある。)
ついで「ヴァンパイア」本体の短い小説がある。200年前の小説だから、会話がないとか死語になった単語が多いとかの特徴があるが、大意を理解するには支障がない。
ロンドンの社交界でオーブリィという、まだ後見人がついている、金持ちの青年紳士がルスブン卿という個性的な(あるいは孤高で狷介な性格をした)貴族と知り合いになり、ギリシアに旅行するという彼に同行することになる。
オランダから始まった旅で、オーブリィは次第にルスブン卿に違和感を感じるようになり、ローマで分かれて一人でアテネに行く。そこに部屋を借りて逗留しているうちに若い未婚の娘と交流するようになる。娘の家で両親からヴァンパイア—に関する話を聞く。
(不思議なことに娘も両親も「教育がない」と書いてあるのに、吸血鬼のギリシア語「ブリコラコス」の名前が出て来ない。英語で会話し、「ヴァンパイア—」という名を口にしたように書いてある。)
娘とその両親から聞いたヴァンパイア—の特徴は、ローマで分かれたルスブン卿によく似ていた。ある日オーブリィは古代遺跡を訪問し、ある遺物を入手する計画を立てたが、娘とその親は「途中の森には夜になるとヴァンパイアが出る場所があるから、帰りは日没までに絶対にそこを抜けなければいけない」と警告する。
馬で遺跡探訪に出かけたオーブリィは、つい帰りが遅くなり、日暮れになって森に差しかかり、女の叫び声を聞き、駆けつけると暗い小屋の中で、大きな力のある男が若い娘を襲っていた。オーブリィは、大声で助けを求めるが、男に殴り倒され昏倒する。
やがて松明をもった一団が助けに来るが、その娘、アテネで知り合ったイアンテは死体となって横たわっていて、首には静脈に向けて空けられた2本の牙痕があった。
悲嘆に暮れる娘の両親と共にアテネに戻ったオーブリィは、熱病にかかり床につく。その時、たまたまアテネに来たというルスブン卿が現れ、懸命の介抱してくれてやっと健康を取り戻し、二人はまたギリシア辺境の地へと一緒に旅行をする。
ところが途中で山賊に襲われ、銃で撃たれた傷がもとで、ルスブン卿は死んでしまう。死の直前に彼は「誓え、私の死と私の秘密を1年間は絶対に他人に漏らさないことを」と要求して約束させる。死体を安置した小屋から、翌朝、ルスブン卿の遺体は消えていた。
ロンドンに戻ったオーブリィは、18歳になった妹と再会しお屋敷に住むが、ある日何年かぶりで開催された王室の招宴に妹と出かけ、そこで「誓いを守れ」という声を聞き、そこにルスブン卿がいることを知る。
その後、重いうつ病に罹ったオーブリィを見かねて、後見人たちは「親権」を回復し、屋敷に医者を住まわせて、治療に専念させた。その間に、妹のミス・オーブリィは「マースデン卿」との交際が始まり、婚約が整い、年が明けると結婚式を挙げることが決まった。
回復期にあったオーブリィは妹の結婚を大いに祝福するが、妹の胸のロケットにあったマースデン卿の似顔絵を見て、驚愕する。それはルスブン卿だった。
真相をしゃべろうとするが、耳元で「誓いを守れ」というルスブンの声が聞こえ、恐怖のあまり再び狂気の世界に戻ってしまうオーブリィ。
やがて結婚式があり、花婿と花嫁はロンドンから旅立つ。
約束の一年が過ぎ、後見人に真相を話したオーブリィは衰弱して息絶える。驚いた後見人たちが花嫁に連絡しようとするが、すでに彼女はヴァンパイアの犠牲者となっていた。
物語が終わった後に「バイロン卿のギリシア・ミチレーネの住居とそこでの生活」という、PDFで3ページのレポートがある。
死体(Corpse)のスペルがCorse(中世英語)となっている箇所が何カ所かあり、文脈から見当はつくが、ケアレスである。
この「バイロン邸訪問記」は面白い。詩人のG.G.バイロン(1788〜1824)は1812年に医者に成り立てのポリドリがギリシア旅行した時には、もうギリシアにいなくて、本国で詩集「チャイルド・ハラルドの巡礼」(1812)を発表し一躍有名になったところだった。
ところがそれを知らないポリドリは、レスボス島のミティレネの港町である年老いた船員と知り合いになり、彼が仕えていた英国のある貴族の家を訪問し、主のいない家に、ゲーテ、シラーのドイツ語本、ルソーやヴォルテールのフランス語本、イタリア語の本、聖書などが沢山あり、いずれもページに鉛筆で書き込みがあるのを知る。
レスボス島のミティレネは女流詩人サッフォーが生まれ、アリストテレスが海産動物の研究をした港町である。バイロンがレスボス島に住んだのは、サッフォーに惹かれたからかも知れない。で、ポリドリは「一体この孤立した生活を愛する英国貴族は誰だろう?」という疑問を持ち、旅先でいろいろ訊ねて、やっとそれが「バイロン卿」だと判明するというのが話のオチ。
というわけで、ポリドリ『ヴァンパイア:ある物語』(1819)の成立事情とルスブン卿のモデルがわかった。モデルはバイロンである。
バイロンの二度目の海外滞在の時は、エジンバラの医学校を出たばかりのポリドリを侍医としてスイス・ジュネーブに随伴した。その時に、ギリシア、レスボス島での「バイロン卿」のイメージに合わせて造形されたのが、「ルスブン卿」なのである。
一方、小説でのオーブリィ(これがポリドリ自身をモデルとしていることは、小説中で1箇所、オーブリィが医者であることが述べられていること、後にポリドリ自身がうつ病になっていることからも明らかだ)は、「うつ病」により死亡するが、作者も1821年、うつ病(分裂病?)と賭博の借金が原因で、突然死(自殺?)している。
作品中、ルスブン卿は女ことに処女に目がない男、賭博狂として描かれているが、これはバイロンとポリドリ双方に共通する性格のようだ。
ただ作品の完成度においては、ルーマニアのポエナリ城に住むドラキュラ伯爵を主人公にしたブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の方が優れているが、これもポリドリの先行作品がなければ、生まれていないだろう。
もう一つ発見があった。「&c」という記号が「バイロン邸訪問記」のタイトル後についている。19世紀初頭の英語ではこれを「エトセトラ」と読ませていたのだ。アンド(and)はラテン語ではetである。Cをセトラと読ませれば、「&C」はエトセトラ(et cetera)となる。つまり「その他」を意味しているのだが、今どきこういう英語表記はない。英語もいろいろ時代による変遷があるのだ、とよくわかった。
2)今野真二『辞書をよむ』(平凡社新書, 2014/12):
新聞書評のベタ記事で知り、期待せずに買ったがやはりクズ本だった。著者は早稲田の国文を出て「清泉女子大」というところの教授だそうだが、索引はない、引用参考文献のリストはない、というおよそ文系学者の悪癖で染まった本だ。
読者にとって、「和名類聚抄」だの「日葡辞典」だのについて、いくら著者のご高説を聞かされても、肝心の原本を安く入手し、それを確かめることができなければ、信用に値しない。文科系の学者はしばしば飯のタネの原本情報を隠すから始末におえない。
レファ本として推薦に値するかと思ったが、これはダメだ。
スペイン語とポルトガル語の差はほとんどないそうだから、Collinsのポルトガル語辞典と「蘭学」の基礎となったオランダ語辞典を入手しようと思う。
この2種の字引があれば、初期の蘭学書も容易に読め、「天守閣」のDonjonが日本語起源なのか、逆に「天守閣」がポルトガル語の意訳なのか、わかるだろう。
3)福沢諭吉:『明治十年丁丑(ていちゅう)公論・痩我慢の説』(講談社学術文庫、1985)=
西部邁が『福沢諭吉:その愛国心と武士道』(中公文庫)、石原慎太郎が政界引退の弁で、ともに取りあげていた諭吉の「立国は私なり、公に非ざるなり」が用いられている文脈を知りたくて、この本を取り寄せた。
「現代日本思想体系2:福沢諭吉」(筑摩書房、1963)を所持しているが、編集が家永三郎でこれはおよそ見識がなく、「福翁自伝」、「福翁百話」、「福翁百余話」などから、彼がお薦めと考えた部分がぶっちぎりで入っている。そのくせ自分の「解説」は細字で50余ページも書いている。よけいなお世話だ。原典に忠実に収録すべきだった。で、これには「痩我慢」が入っていない。
諭吉はこの文庫本でたった20ページの小論で、「痩我慢」という言葉を14回も使い、幕府重臣でありながら新政府に帰順し、さらに政府に出仕し栄達した勝海舟と榎本武揚を「武士の名折れ」と批判し「痩我慢を貫くべきだった」と非難している。
草稿の段階で、勝と榎本に見せたというから、それはフェアーな態度だと思う。
榎本は「忙しいから」と返事を寄こさず、勝は「行蔵(出処進退)は我に存す。毀誉(褒貶)は他人の主張、われ与らずわれ関せず」という返事を寄こして、「印刷あるいは他人に配布して差し支えなし」と述べた。これも立派な態度だ。
勝海舟は『氷川清話』(角川文庫)でも『海舟座談』(岩波文庫)でも諭吉の悪口は言っていない。徳川慶喜については、『海舟座談』p.105, p.114で、「慶喜さんが、(明治31年3月2日)天皇に拝謁し逆賊でなくなった。これで徳川氏のことは事を全うした。わしも今日まで突っ張ってきた甲斐があった」と言う意味の発言をしている。この記録を諭吉は読んでいないのではないかと思う。
諭吉は勝を「江戸防衛の主将でありながら、無血開城した。勝が<勝てない戦>という判断をしたのは正しかった」としながら、「(戦争による)殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり」主張し、武士道を貫かなかった勝を「痩我慢ができなかった」と非難している。さらに新政権に出仕したことを、またも「痩我慢」ができなかったと非難している。
14回出てくる「痩我慢」のうち、実に13回が勝に対して使われている。序論の4ページは勝批判の5ページの前置きであり、榎本批判は付けたしと思われる。
だが、何が原因で明治30年にもなって、諭吉がここまで徹底的に勝海舟を批判したのか、ちと理解に苦しむ。彼のロジックだけを取り出せば、「太平洋戦争で本土決戦をやり、徹底抗戦すべきだった。なぜなら<殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり>」ということになろう。「産経」あたりが、言いそうな論調だ。
4)佐々涼子:『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』(早川書房、2014/6)=
またも3/11が巡って来た。中国電力が「島根原発1号炉」を40年で廃炉にすることを決めたという報道があった。賢明な決断だろう。「お上」のいうことに従っていると、ひどい目にあわされるだけだ。医薬分業でも、老健施設でも、太陽光発電でも同じことが起こっている。
3/11の直後、2011年4月末、横浜市で「日本病理学会」の年次総会が開かれ、その創立百周年を祝う行事があった。学会は「日本病理学会百年史」の刊行を準備していたが、原稿を寄せた執筆者に学会前に送られてきたのは、安っぽいペーパーバックだった。
その前に学会事務局の人から、「東日本大震災のせいで、紙が間に合わず、印刷が遅れている」と聞いていたので、「やっと間にあったか」と安堵して、そのまま忘れていた。ところが11月になってきちんとしたハードカバーで、紙ケースに入った、立派な「100周年記念誌」があらためて送られてきた。事情をよく知らない私は不審に思った。
だがこの『手をつなげ!』を読んで、疑問が氷解した。驚くべき話が書かれていた。日本の出版用紙の約4割を「日本製紙」が造っている。主力工場は宮城県石巻市にある「日本製紙石巻工場」。年間生産量約100万トンで、世界屈指の生産量だという。
東日本大震災のあの日、激しい地震の直後、製紙工場を襲った巨大津波は、十余台の巨大な製紙機の動力電源を奪い、原料のパルプや出来上がった紙を巻き取る装置や備蓄された製品を押し流してしまった。
全滅した製紙機のなかで1970年に運転を始めた全長110mという巨大な製紙機「8号機」を、他に先駆けて整備・再稼働させるまでの、6ヶ月間にわたる工場関係者たちの苦闘が、この物語の中心をなす。
ところで標題の「紙をつなぐ」とは、どういう意味だろうか?
2011年9月14日、整備を終えた8号機に液化パルプを供給するポンプのスイッチを入れると、機械の端で「抄紙」行程が始まり、漉かれた紙が巨大なベルトを為して、表面加工などを受けながら110m先の巨大なリールに向かって巻き取られて行く。
抄紙機の初めから終りまで、途切れることなく紙の帯ができることを「通紙」といい、現場では「紙をつなぐ」という。この日、8号機はわずか28分という記録的な短時間で紙がつながった。このエピソードを描いた第8章は、本書のうちでもっとも感動的な箇所である。
珍しい本である。奥付反対ページに、本文、口絵用紙の「仕様」と製造工場及び抄紙機の番号が示されている。もちろん、本書の隠れた主役である「石巻工場8号抄紙機」によるものだ。カバー、帯の用紙についてもメーカーと仕様が書かれている。
震災により紙の供給がストップした時、著者も東北で印刷用紙が造られていることを知らなかったという。それがこの本が誕生するきっかけである。(今日の斜陽を迎える前に、出版社はこういう本を当たり前に出すべきだったと思う。)
この本は、紙が日本のどこで、どのようにして造られているか、日本製の紙がどの国で使われているかをも教えてくれる。「ビブリオマニア(愛書家)」には見逃せない一冊だろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます