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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ハンナ・アーレント】難波先生より

2013-11-18 12:06:58 | 難波紘二先生
【ハンナ・アーレント】ドイツ生まれのユダヤ人女性で、政治哲学者ハンナ・アーレントを描いた同名の映画が大人気を博していると「産経」に記事があった。

 アドルフ・アイヒマンは、ホロコーストの責任者として1960年、潜伏先のアルゼンチンからイスラエルの特務機関モサドにより拉致され, 61年にエルサレムで裁判が行われた。イスラエルは死刑を廃止していたが、わざわざこの裁判のために死刑を復活し、ナチス犯罪には「時効なし」と法改正をおこなった。




 アーレントは志願して、この裁判に雑誌「ニューヨーカー」特派員として立ち会った。そしてこれまでアイヒマンに抱いていた「鬼畜、殺人鬼、極悪人」という固定観念を打ち砕かれて、「イェルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さ」(みすず書房)という本を書き、「アイヒマンは普通の男だ」と主張したため、スキャンダルになった。




 余談だが、手塚治虫「アドルフに告ぐ」に出て来る3人のアドルフは、神戸のユダヤ人パン屋の息子、ヒトラー、それにこのアイヒマンがモデルになっている。




 アメリカで「ワンゼー会議」というドイツ・ミュンヘンTVが製作したドキュメンタリーのLDを入手して見たことがあるが、ホロコーストの立案と指揮に当たったのは、ラインハルト・ハイドリッヒである。ユダヤ人絶滅を意味するのに、「最終解決」という用語を使ったのも彼だ。




 1941年1月に、ニュールンベルグ郊外のワンゼー湖のほとりのホテルで開かれた、ナチス親衛隊首脳、政府官僚による会議でユダヤ人問題の「最終解決」方針が決まった。会議はハイドリッヒが終始、主導しており、アイヒマンは議事録作成係の、さえない事務方である。

 ただハイドリッヒは、この後、9月にチェコ副総督になってチェコの反ナチ運動を徹底的に弾圧した。すでに国家保安部の内局、諜報局(SD)局長になっていた。42年5月に、ハイドリッヒはパルチザンによりプラハで暗殺(爆殺)された。これは米映画「死刑執行人もまた死す」に描かれている。




 アイヒマンは「ワンゼー会議」の決定条項を、ハイドリッヒ亡き後、ひたすら忠実に実行した。彼は普通の男で、想像力が欠け、自分の頭で考えることができない、ある意味で有能な官僚だったのである。

 幸か不幸か、この国の政府にもそういう優秀な官僚がいっぱいいる。

 アイヒマン裁判のように、結果責任を問われることになれば、経産省の役人は恐ろしくて原発再稼働など、やれないだろう。




 コモンローでは「手続きの合法性」は、結果責任の追及を免責しない。だから「ニュールンベルグ裁判」と「東京裁判」が可能になったのである。イスラエルの建国が、どのような法哲学思想に基づいて行われたのか知らないが、アーレントの法哲学はカントの流れを汲む、大陸法的な系統のものだったと思われる。

 それと建国過程にあるイスラエルに、軍国主義と愛国主義がまん延している状況に違和感を抱いたようだ。アーレントは、「ホロコースト実施には、ユダヤ人団体の協力もあった」と主張したものだから、イスラエルや米国などのユダヤ人から総スカンを食った。

 どうして、「ハンナ・アーレント」がブームになっているのか分からないが、広島で公開されたら、ぜひ見に行きたいと思っている。


 Cf. E. ヤング=ブルーエル:「ハンナ・アーレント伝」(晶文社, 1999)

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