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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【出生前診断】難波先生より

2016-08-08 11:55:34 | 難波紘二先生
【出生前診断】
 ユダヤ人のコミュニティが「出生前診断」の導入により常染色体性優性遺伝をする「ハンチントン舞踏病」の撲滅に成功した話は前に書いた。
 「中国」7/17の記事「生殖医療:命が始まるとき」によると、2013年に導入された妊婦の出生前診断の受診者約3万人のうち、胎児に染色体異常があると判定された妊婦の約8割が人工中絶したという。

 日本で生命倫理の上から「出生前診断」への懐疑論が一番高かったのは2000年頃だったと思う。あの頃は、「優生学の復活だ」とか「差別を助長する」といった、主として文系の哲学者・倫理学者からの反対意見が多かった。
 加藤尚武「脳死・クローン・遺伝子治療:バイオエシックスの練習問題」(PHP新書,1999/9)
 市野川容孝「身体/ 生命」(岩波書店, 2000)
 福本英子「人・資源化への危険な坂道」(現代書館, 2002)
などがそれらである。

現職裁判官の井上薫(東大農学部卒)は、
 「遺伝子からのメッセージ」 (丸善ライブラリー新書, 1997/8)を刊行して、
「ダウン症の子を産んだ親は、第2子の出産に際して出生前診断を受けるべきだ」と主張したために、ダウン症の子をもつ親の会から袋だたきにあっている。

 現実に出生前診断が普及するにつれて、観念的な反対論は急速に消滅しつつあると思う。
誰よりも困るのは、ダウン症の子を生んだ親と障害児として生まれた本人である。外野はあまり関係ない。
 ローマ法皇は「人間の誕生は授精の瞬間である」として、一切の中絶に反対している。それはそれで首尾一貫していて立派だと思うが、日本の場合、昭和23/7成立の「優生保護法」(現、母体保護法)があり、「医師の認定による人工妊娠中絶」を合法としている。(この条項には処罰規定がない。)実はこの昭和23年は、空前のベビーブームで、この法律(社会党左派の女性議員が推進)がなかったら、「団塊の世代」がどれほど大きくなっていたかわからない。ともかく、この法律により強姦とかその他の「不本意な妊娠」に対して、人工中絶の自由が保障された。
 「ダウン症問題」についての私の意見は、「生と死のおきて:生命倫理の基本問題を考える」(溪水社、2001/4)に書いてあるので、ご参照願いたいと思う。
 「父母未生の時、汝いずくにありや」
という有名な禅の公案があるが、自意識もない受胎早期段階で人工中絶するのは、私は非人道的とは思わない。

<Mr.S氏の書き込み>
「Unknown (Mr.S):2016-07-26 17:38
恐ろしい事態は刻々と近づいているように思う。
世界各国、万人がヒットラーの所為にしているが、あのような偏執は何処にでもいる。
むしろヒットラーを担ぎ上げて支持したドイツ国民が一番罪深いのに、今では知らん振りだ。
ヒットラーの何が素晴らしいかと言えば、人間などの生物の掟の非情さを悟っていた事だ。
ヒットラーが日本人を蔑んでいたのは事実らしいが、彼はドイツ国民でさえ戦争に敗れるような人種だとしたら、生き残る資格は無いとさえ言っている。(中略)
今では世界が同性愛を認め始め、世界各地で個人や小グループによる大量殺人が頻発している。
つい昨日も日本で19人の知的障害者殺戮事件が起きたばかりだ。
これはヒットラーが懸念したとおりになってきたという事だ。(中略)
世界のあちこちでヒットラーの芽が沸々と涌いてきたに違いない。
その解決策は、我々人類は己の本能を押隠してまで綺麗ごとを言わない事だ。
理性をもって悪しき行動を抑えるのは当然だが、嘘までついて何もかも許容してはならないのである。」

 私も相模原市の知的障害者施設で発生した「患者大量殺害事件」では、まず犯人とヒトラー思想との関係を考えた。だが犯人が大島衆議院議長あてに届けた手紙全文
http://breaking-news.jp/2016/07/26/026100
を読むと、「フリーメーソン」だの「UFOを2回見た」だのと支離滅裂な内容が書かれており、確固とした思想的背景はなく、大麻でやられた頭による「激情による殺人」(コリン・ウィルソン「情熱の殺人」,青弓社,1994/8)ではないかと思う。

 第一次大戦でのドイツ帝国敗北の後、講和条約のための英国代表団の一人となった経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、ドイツに過剰な賠償金を科し、領土を奪うことことは「新たな世界紛争の芽となる」と主張し、「無賠償・無併合」を主張したが、連合国がそれを是としなかったことはよく知られている。
 本当に「ドイツ民族が優秀」であるのなら、第一次大戦で負けるはずはなかった。そこで、「国家指導者の裏切り」を唱えて、1920年代にナチス運動が誕生したのである。ここには完全なレトリックの矛盾があるのだが、ドイツの大衆はコロッと騙された。

 1930年代になると、ヒトラーは「レーベンスラウム(Lebensraum)=生存圏」という主張を展開しはじめる。「わが闘争」で盛んに繰り返される概念である。
 「優秀なドイツ民族は、劣等なポーランド人やスラブ人の住む東ヨーロッパに生存圏を拡充する権利がある」という主張で、まず東部に隣接するオーストリアを併合し、チェコスロバキアを分割し、ポーランドに侵入した。

 「生存圏」という概念は内政にも適用され、「健康で優秀なアーリア人にとって重荷になる(つまり内的生存圏を奪う)精神障害者・重度の身体障害者・認知症(痴呆)患者を安楽死させる法律」が1939/10に「総統命令」として発令された。1941/8までにドイツの精神病院では7万人以上の患者が安楽死させられたが、これは次の段階で予定されていた、ユダヤ人、同性愛者、共産主義者、ジプシー、スラブ人、戦争捕虜を「破壊する」予行演習であった。
 1941年にドイツのある精神病院では、「1万人目の精神病患者の安楽死」達成を祝う祝賀会が開かれている。安楽死には特別に造られた「ガス室」が用いられた。

 こうしてドイツ国内から精神病院に入院患者がいなくなると、ガス室は解体されポーランドに輸送された。空室となったドイツの精神病院は戦傷者の入院施設として転用する予定だった。ポーランドに運ばれたガス室が再設置された場所が、アウシュビッツでありトレブリンカである。ここでは「ドイツにおける民族的少数派(ユダヤ人・ジプシー)と社会的少数派(共産主義者)」を抹殺するためにガス室が使用された。ドイツ本国では仕事がなくなった精神科医や検査技師、看護師もしばしば強制収容所に転勤した。

 このように当初は「社会の厄介者」として精神病者や知的障害者、重度身体障害者、奇形児などを排除する論理としてドイツ国内問題として始まった「強制的安楽死」合法化が、次の段階で「ドイツ民族問題」の解決策としての強制収容所とガス室につながったのは、論理的にも経済的にも一貫性があると見るべきであろう。
 多くの人は「ユダヤ人虐殺」と強制収容所・ガス室の関係しか見ていないが、実際にはドイツ国内で「生存に値しない」と判断された精神障害者などに「強制的安楽死」の実施を命令した1939/10のヒトラー命令からすべてが始まったのである。
(その前に、ドイツではナチスの宣伝もあって、障害児を抱えた親や精神病患者への社会的偏見が強まっている。プロクターの本には障害児を抱える母親から安楽死を願う手紙が当局に殺到した、とある。)
 付言するとすでに第一次大戦中、「食糧配給制」を余儀なくされたドイツでは、精神病患者への食糧割当てが削減され、実質上、餓死する患者が出ている。

 映画「遠すぎた橋(A Bridge too Far)」(1977:英米合作)に、1944/9に開始された連合軍の「マーケット・ガーデン作戦」の実態が描かれている。レジスタンスのオランダ人少年から、森にドイツ軍戦闘機が偽装して隠されているという通報を受け、連合軍の空軍が森を爆撃した際、誤って反対側の精神病院が置かれている森を攻撃してしまい、収容されていた多数の患者が、三々五々に森から外に出てくる、というショッキングなシーンがある。
 「ショッキング」と思ったのは、当時オランダはドイツ占領下にあり、アンネ・フランクがアウシュビッツに送られたと同様に、オランダの精神病患者も「安楽死」政策の犠牲になっていたはず、という思い込みがあったせいだ。

 今回「ニュルンベルグ医師裁判」についての記録を読みなおしてみたが、オランダ人医師が自発的にナチスの「安楽死計画」に関与したという事例はなかった。
(GJ. Annas & MA. Grodin「The Nazi Doctors and the Nuremberg Code」Oxford UP, 1992、
ヴァインケ、アンネッテ「ニュルンベルク裁判:ナチ・ドイツはどのように裁かれたのか」, 中公新書 2015/4)

 世界初の「安楽死容認」は1973年のオランダ地裁判決に始まる(不治の病にある母親の懇請に応じて娘である女医が、致死量のモルヒネを投与した事件)が、もし過去のオランダで「強制的安楽死」の事例があったとすれば、「実質無罪」という判決は出なかったはずだと思う。(三井美奈「安楽死のできる国」,新潮新書、2003/7)

 上記の植松某の手紙には、
<作戦(知的障害者の大量殺戮)を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。
心神喪失による無罪。
新しい名前(●●●●)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。(●はネット原文のまま)
金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。>
とある。大量殺人の対価として5億円を要求し、「心神喪失で無罪にせよ」とは、身勝手で自己矛盾に充ちた言い分としか思えない。

 7/28各紙によると、2015年の日本人女性の平均寿命は87.05歳、男性は80.79歳で過去最高となったという。厚労省は「平均健康寿命」を同時公表していないが、男女ともにほぼ10歳低いのが常識である。つまり男性では71歳から、女性では77歳から「医者通い」が始まるとみてまず間違いなかろう。
 高齢者の病気は老化と密接に関連しており、これを「原状」に回復させるのはまず不可能である。視点を180度変換させれば(植松某の言うように)「無駄な医療」だともいえよう。
 しかし短絡的な思考に走ってはいけない。今の「高齢化社会」は1946〜1950年に生まれた「段階の世代」が波となって高齢化するために起こっている。彼らが通過した後は、日本社会の人口の逆ピラミッド構造は消失し、円柱型の人口構成になる。もっとも「少子化」の部分は解消しないだろうが…
 そういう人口構成の将来的変化を見すえた上で、社会福祉問題についての、堅実な議論を広く交わさなければいけないと思う。

 その意味でナチスの「精神障害者対策」は、きわめて示唆的だと思うが、どの全国紙を見ても、相模原市の「精神障害者大量殺戮」事件と1930年代のドイツの状況とを重ね合わせた論評がない。大いに不満である。

<7/29=付記>7/29「毎日」が7/27に編集部にメール投書された福島智東大教授の長文意見「生命と尊厳二重の<殺人>:底流に強者優先の思想」を第一社会面に掲載していた。福島氏は「全盲+全聾(ぜんろう)」という障害を乗り越えて、東大教授になった人だ。
生井 久美子「ゆびさきの宇宙――福島智・盲ろうを生きて」 (岩波現代文庫,2015/2/18)
という評伝もあるし、
福島智「ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)」(致知出版社, 2015/5/30) という自伝もある。いわば「日本のヘレン・ケラー」みたいな人だ。
 この記事はぜひお読みいただきたいと思うが、私のアクセスでは「月5本までという無料アクセスの上限に達しました」という偽メッセージが出る。(紙版を有料購読しているので普段はアクセスしていないのに)よってURLをコピペできない。

 福島氏は事件の第一報を受けて、「ナチスによる障害者抹殺」を想起したという。それはまともな感覚だろう。彼の悲痛なメールを受けての7/29「毎日」社説はなんとも浅薄なもので、観念論としての生命尊重論を展開しているだけだと思えた。
 同じ面で毎日・水戸健一記者が、植松某は措置入院中に「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と喋っていたことを報じており、「わが闘争」を読んだとは思えないが、右派の雑誌やヒトラー関連の通俗書により「ヒトラーの優生思想、民族改良思想」に触れていた可能性があるとわかった。この点は追加・修正しておきたい。


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