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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【今治=松山道】難波先生より

2014-07-04 13:19:45 | 難波紘二先生
【今治=松山道】
 松山に行くときは山陽自動車道=しまなみ自動車道を経て今治市に下りた。途中、来島海峡を臨むレストエリアで休憩した。「来島瀬戸」とも呼ばれるように非常に狭い海峡だが、巨大船はみなここを通る。確か日露戦争の時に、ロシア海軍が大阪を襲撃するのを防ぐため、江田島とここに要塞が築かれたはずだ。今も残っているだろう。
 今治から松山に行くには,海岸沿いの196号線と一旦南下して松山自動車道を利用する道と西の山塊を突っ切る317号線の三つがある。今治=松山間は距離40キロ足らずで、時間は15:30なのでゆとりがあるので、カーナビの指示に従うことにした。
 今治市内を指示された通りに右折したり、左折したりしているうちに317号線に入った。走っているうちにわかったが、道路は片側1車線で、蒼社川という川にそって海抜1000mの源流地帯に登って行き、長大なトンネルで峠を越える。峠の向こうは松山市内を流れる石手川の源流地帯になり、川にそって谷間の道路を下る。
 上りも下りも急カーブの連続だが、コンクリート舗装の路面にはちゃんと縦に細い溝が刻まれ、スリップを防ぐようになっていた。こういう箇所は今治側に多く、松山側の道路には少なかった。恐らく局地的な気候が違うのだろう。

 こういうしっかりした道路だったら、福富町の国道375号線で起きたスリップによる対面衝突と死者の発生というような事故は防げたはずだと思う。
 右手に石手川を見ながら下って行くと、白鷺湖の少し手前で川向こうに10戸ばかりの民家がかたまった小集落が見えた。廃屋が目立つ。気になるが、帰路に探検することにある。白鷺湖というダム湖を過ぎると、間もなく奥道後の町に入った。大きな温泉ホテルのビルがいくつもあるが、さびれきっている。「有料老人ホーム」という看板を掲げた元ホテルと思われるビルもある。ここで目立ったのは「ペットの霊園」、「「個人葬から社葬まで」というような看板、付近には「動物愛護センター」という施設もあった。
 ここからかなり下って道後に入り、松山市街地を走ってホテルの駐車場入口まで、ちゃんとカーナビが案内してくれた。

 カーナビを使うようになって憶えた言葉が「道なり」。「しばらく道なりです」という音声ガイドが、初めはわからなかった。広辞苑をひくと「道形」と載っているが、「岩波・現代用字辞典4版」には載っていない。道のままに進むことを「道なり」というらしい。
 もう一つ面白いのが、間違って脇道にそれた場合、初めは本道に戻るルートを案内するが、それを無視しして走るとルート計算をやりなおして、目的地への新しいルートを案内してくれることだ。カーナビは90年代に登場したと記憶するが、ここまで進化したのかと思う。

 ホテルに着いたのは17:00で「前夜祭」まではたっぷり時間があった。結局3時間半走ったことになる。18:00過ぎにホテルのコーヒーハウスで待っていると、野村さんが車で迎えに来てくれて「網元」という鮮魚店と小料理屋が一緒になった店に案内された。野村さんは帰りは代行運転で帰るよし。この店は向田さんの実兄が経営している店だそうだ。壁に白い漁船の写真が掲げてあり、向田さんが「あれが私の漁船だ」と説明してくれた。
 新鮮な魚の料理が美味しく、はじめ生ビールを頼んだが、つい「はじめ人が酒を飲み、ついで酒が酒を飲み、最後は酒が人を呑む」ということわざのようになってしまった。ビール3杯、焼酎2杯くらい飲んだか…。私の場合、飲んでも記憶はちゃんと残っている。佐藤先生と共に徳洲会の松本さんにホテルまで送ってもらった。ただ翌朝8時半に目覚めたのに、また眠ったのが間違いだった。

 7/1は記者会見が終わって近藤先生、野村さん、向田さん、武田さんと一緒に昼食した後、13:30頃ホテルの駐車場を出発した。来た道を逆方向に走り、石手川ダムとダム湖の白鷺湖を見物した後、昨日見た日浦トンネルの手前、松山側にある「玉谷町」の小集落を訪れた。

 行くときはこの集落へのアプローチ道路がわからなかったが、帰りは見当をつけて探したので、左車線から急勾配で下る細い道路を見つけた。それを下るとコンクリートの橋があり、渡ると集落の中心を山沿いに走る細い道路につながる。急峻な山裾に軒を接するようにして10戸あまりがかたまっている。トラックの通行は不可能な細い道を右手に走ると、わずかばかりの棚田があった。道はそこから坂道を登って行く。
 中央奥に見える藁屋根をトタンに変えた家は廃屋で、他にも集落から少し離れたところに廃屋が目立った。ここから松山市まで20キロ弱なので、洋風の家を建てている人たちは、勤め人で農業はやっていないのだろう。
 この集落に入る道と集落から出る道は別で、橋を渡ったところで道が二つに分かれ、やはり急勾配を登って国道の左車線に合流する。

 全長が3キロもある「水ヶ峠トンネル」を今治側に下ったところにある、玉川町「龍岡上」の集落にも立ち寄ったが、ここもさびれていて廃屋や家を取り壊して更地にしたところが目立った。ここは「伊予府中十三霊場 十三番 龍岡寺」という立て札が立っていた。寺はコンクリート製の安っぽい感じの建物だった。
 荒廃して行く集落には共通した特徴があると思う。山際に古い街道があり、軽トラ1台が通行する(もしくは荷車が通行する)のがやっとだが、この道にそって両側に家が建っている。玉谷町の場合は前がすぐ石手川なので、道路の下には集落が発展せず、国道317号ができた際に集落が孤立した。龍岡上の場合は寺の前に古い街道があり、その下にかつては門前町があったと思われるが、集落の蒼社川よりにバスの通る県道ができ、さらに川沿いに国道ができて、主要交通はすべて国道を通るようになった。それで集落自体が孤立した。広島県河内町の河戸集落のケースと同様だ。
 昔、道路事情が悪く、ドライブが難渋した頃は国道や県道の脇に「ドライブイン」が散在し、湯茶や食事を提供することで賑わっていたが、いまは高速道のレストエリアだけになった。あれと同じで、かつてはこの龍岡上集落にも旅館や商店があったに違いないが、いまはその名残さえ窺われない。

 龍岡寺への参道脇には改築時の寄付者名と寄付金額がデカデカと彫り込まれた石柱が、ズラッと立ち並んでいる。最高が30万円、最低でも5万円。住所を見ると多くが「龍岡上」となっていて、地元の寄付がほとんどだ。年度を見ると、「平成6年」とあるから、1994年、バブル破裂後3年経っているが、こんな山奥の集落まで不況はまだ波及していなかったのだろう。参詣者の姿はなく、集落にも外で働く人を見かけなかった。

 帰りは瀬戸田で休憩し、山陽自動車道は「久井・三原」インターで降りて、久井町・大和町を経て戻った。大和町の「和木」交差点以外に信号がなく、「このまま信号なしで戻ろう」と信号のない道路を選んで自宅に戻った。大和町から豊栄町の能良(のうら)という集落をへて福富町の東谷集落に入り、国道に入らないで「通学路」として建設された(誰も通っていない)自宅前の山道を登ると後谷集落の集会所に出る。そこから国道に出る道には信号がない。着いたのは17:00でやはり3時間半かかったが、自動車道を走っても一般道を走っても、時間は一緒だった。全走行距離は341Kmで、燃費は26.3Km/Lだった。リッター30キロというのがウリだが、ほぼそれに近い値が出た。

 東谷から後谷に抜ける道の頂上には溜め池があり、前はここでメダカを採取していたのだが立ち寄ってみると、水が腐っていた。堤防から下手を見ると1反ばかりの田圃が耕作放棄され、傍の墓地が草むしていた。もう限界集落から集落崩壊に入りつつある。

 この辺りの集落には共同墓地がない。昔は土葬だったから墓地は自宅から離れたところに作られた。戦後、火葬が普及して、お参りしやすいように自宅のすぐそばに立派な墓地を作るのが流行した。墓石はけっこうお金がかかる。中には自宅よりも高くついたのではないか、と思われるほど家格に合わない豪華な墓を構えた家もある。
 この墓は1町歩ほどの耕作放棄地の上端、溜池の奥にあるもので、草ぼうぼうでお彼岸に墓参しなかったことがわかる。下の県道脇にある農家は立派な家なのだが、最近無住になったものか。共同墓地はダムができたときに町営のものが初めてできた。共同墓地だと管理組合があり、風采もあるので草取りをするか、草が生えないようにするが、私有墓地だとついおろそかになる。こういう荒れた私有墓地があちこちにある。
 こうした光景を見かけると、「樹葬」といって遺灰を山に撒き、墓石をつくらない、という最近の風潮も理解できるような気がする。

 さて今回、愛媛県の国道317号線を往復してみて、山間の小集落が崩壊しつつあるのは広島県と同じだと思った。杣道のような細い街道に沿って成立した自給自足型の集落が、町道、県道、国道の順に整備され、それが集落から離れて建設されるごとに、凋落している。
 基本はこのパターンだが、中には国道のバイパスが建設されたため、一般車が旧道を通らなくなりさびれていった集落もある。なかなか難しい問題で、おそらく民俗学者の宮本常一が調査旅行をしていた頃は、これほどひどくなかったので、彼も考察していないのではないか。もう少し調べてみたいと思う。もちろん複雑系の現象なので、要因は単一でなく、高齢化や若者の都市への移住、産業構造の変化や貨幣経済の普及など、いろいろな要因があると思う。

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