【雑記】
1)本代を使いすぎて、クレジット会社から「口座から落ちない」と連絡が来た。広島市に支店がある巨大都市銀行で、東広島の田舎では残高照会ができない。それで家内に頼んで春雨の中を、地元地銀のATMまで行ってきた。国道から見える民家には、庭や畑に紅梅、白梅が咲いている。自宅前庭の白梅はやっとほころび始めたところだ。
山際にはアセビ(馬酔木)がちいさな鈴蘭のような花を咲かせている。田舎道や小川のほとりに、野草の花が目立つようになった。今年は蕗のとうを見かけなかったが、ツクシがそろそろ出る頃だ。相変わらず松枯れが目立つ。樹齢10年以内の低木にも枯れたものが多い。
アセビは自宅の庭にも咲いていた。(添付1)
この前焼けた3軒の家は、数日前は完全に焼けた2軒だけのがれき撤去が行われていた。今日見ると、屋根が燃え落ちて外壁が残っていた家も完全に撤去され、3軒分の更地ができていた。商店街の中だけに後はどうなるのかと思う。
国道から西高屋のモールに入るT字形交差点の反対側に600坪(2反)ほど農地を潰して、宅地造成が行われていたが、今日見ると中央部にコンクリートを流して長方形の土台を作る作業が雨中でも行われていた。この土地は住宅には向いていないので、商業用なのであろう。
しかし、本来なら十字路の一部であるわけで、ラッシュ時には信号による渋滞で、この土地への出入りは難しくなる。いったいどういう商売をやるのかと思う。
今日は雨なので、蝶は飛んでいないが、3月になってテングチョウ、ルリタテハ、ヒョウモンチョウ、ウラギンシジミをこの順番に見かけた。いずれも成虫で越冬する蝶である。餌を求めて忙しく移動するので、ルリタテハ以外は撮影に成功していない。
庭の樹の梢にウグイスらしき小鳥が来るようになった。例年と違い「ぴー」と啼くだけで、「ケキョ」ともいわない。キンカチョウの鳴き声の発達研究から、鳴き声の学習には性ホルモンが重要な役割を果たしていることが知られているが、今年はホルモンの分泌が悪いようだ。
今朝思いがけなく、かつて呉共済病院で私の秘書をしていたOさんが訪ねてきてくれた。三次市へ行く途中だそうだ。昔朝寝坊だったので、「先生はまだお休みかと思いました」といわれた。この3月に技師長のAさんが定年退職するので、これで私と昔いっしょに働いた技師さんたちは全員、無事に定年退職することになる。前の雑木林にツツジが咲く頃、一度みんなを招待して永年の労をねぎらいたいと思っている。彼女に幹事役をお願いしておいた。
2)修道大のU先生から、「浜井信三」のNHKドラマについて、私の感想に同意するというメールをいただいた。
「昔、日本とアメリカが戦争をした」というと、「それでどっちが勝ったんですか?」と聞く世代が多くなっているという。だから「戦争を知らない世代」にとっては、あれはあれで違和感なく受け入れられたのではないか、とも思う。
大教室で「ひもじい」という言葉の感覚を知っているものは手を挙げよ、と言ったら、誰一人手を挙げるものがいなかった。これは私の体験だ。
「戦争体験」を伝えることは困難だし、「大津波の体験」も同様だろう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ともいう。田老町(地区)の住民だけを一方的に責められない。
それにしてもユダヤ人はモーゼに率いられてエジプトから脱出した。ギリシア語ではExodos(脱出)、旧約聖書では「出エジプト記(Exodus)」となっている。(チャールトン・ヘストンがモーゼを演じた映画「十戒」がよかった。イスラエル建国を描いた、オットー・プレミンジャー監督、ポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」もよかった。)
チェルノブイリは20年近く経っても17万人が帰還できない。ドイツのイノシシはセシウムがまだ多くて食用禁止だ。イノシシがキノコを食うからだ。
福島原発のある海から獲れたイカナゴは基準値の7000倍のセシウムを含んでいる。この魚は廻遊して三陸沿岸に広がるだろう。食物連鎖により最終的に何に濃縮されるかも研究されていない。福島産だけでなく、三陸産の農水産物を買えというほうが無理だ。
東北に浜井信三がいないのはわかったが、ましてモーゼはいないのだろうか。
3)レストランに高校生の息子と一緒に家族で来るお客があって、この春、息子が山口大に合格し山口市で一人暮らしをすることになった。その子が「自炊するのでパスタの作り方を教えてほしい」と急きょ、古川シェフの弟子になって、作り方の実習を受けたそうだ。このレストラン、今はオーナーは息子、家内は無給の被雇用者になっている。私には何が何だかわからないが、家内は「料理に興味をもってくれて、夏休みにアルバイトでメニューを憶えてくれたらうれしい」といっている。
先日は夜、長崎大学医学部で故岡本直正先生の後輩にあたるF先生が来られ、一緒に夕食をレストランでした。この先生は、1970年頃、大きなムスタングに乗っていたので有名だった。修復腎移植については、岡本先生から関連文書の郵送を受けたそうで、「衣鉢」を継いでおられる。麻野涼「死の臓器」の冒頭に出てくる青木ヶ原は、子供の頃の遊び場だったそうで、ある時男女の心中死体を見つけたそうだ。
まあ、もう時効だからとムスタングの事を聞いたら、あれはアメリカで買った車を帰国するときに「携行品」として持ち込んだので、無関税。売れば400万円だったが、売ると50%の関税がかかるのだそうで(それでも200万円は儲かる)、結局だれにも売らなかったそうだ。86歳の今でも、大きな車を運転して庄原市の養護老人ホーまで東広島市から土帰月来で、通っておられる。
東広島市が市に昇格する前の「西条町」の時代から居を構えておられる。「どうして住むことにされたのですか?」と聞いたら、広島市の団地を見に行ったら、知った業者がいて、車で西条の宅地造成地に連れて行かれ、「ここを買いなさい」といわれたが、狭いのでそばの雑木林を見て、「ここを買いたい」といったら、売るというので、600坪を坪3000円で買って、実測したら700坪あったという。この先生にかかったら、不動産屋も形無しである。
そこは「寺家(じけ)」という地区で、私が通っていた「東広島医療センター」の近くだ。JR山陽本線の新駅建設(工事が始まっており、何しろ医療センターへ歩いて行けるところなので、東広島市の第2の「副都心」として注目されており、地価が急上昇している。(都心はJR西条駅前だが、これは開発が遅れている。第1の副都心は山陽新幹線東広島駅前だが、南に山があり、住宅はみな北向きに立っていて、あまり将来性がない。)人間、先のことは予測がつかない。ただ運があるのみだ。
1)本代を使いすぎて、クレジット会社から「口座から落ちない」と連絡が来た。広島市に支店がある巨大都市銀行で、東広島の田舎では残高照会ができない。それで家内に頼んで春雨の中を、地元地銀のATMまで行ってきた。国道から見える民家には、庭や畑に紅梅、白梅が咲いている。自宅前庭の白梅はやっとほころび始めたところだ。
山際にはアセビ(馬酔木)がちいさな鈴蘭のような花を咲かせている。田舎道や小川のほとりに、野草の花が目立つようになった。今年は蕗のとうを見かけなかったが、ツクシがそろそろ出る頃だ。相変わらず松枯れが目立つ。樹齢10年以内の低木にも枯れたものが多い。
アセビは自宅の庭にも咲いていた。(添付1)

この前焼けた3軒の家は、数日前は完全に焼けた2軒だけのがれき撤去が行われていた。今日見ると、屋根が燃え落ちて外壁が残っていた家も完全に撤去され、3軒分の更地ができていた。商店街の中だけに後はどうなるのかと思う。
国道から西高屋のモールに入るT字形交差点の反対側に600坪(2反)ほど農地を潰して、宅地造成が行われていたが、今日見ると中央部にコンクリートを流して長方形の土台を作る作業が雨中でも行われていた。この土地は住宅には向いていないので、商業用なのであろう。
しかし、本来なら十字路の一部であるわけで、ラッシュ時には信号による渋滞で、この土地への出入りは難しくなる。いったいどういう商売をやるのかと思う。
今日は雨なので、蝶は飛んでいないが、3月になってテングチョウ、ルリタテハ、ヒョウモンチョウ、ウラギンシジミをこの順番に見かけた。いずれも成虫で越冬する蝶である。餌を求めて忙しく移動するので、ルリタテハ以外は撮影に成功していない。
庭の樹の梢にウグイスらしき小鳥が来るようになった。例年と違い「ぴー」と啼くだけで、「ケキョ」ともいわない。キンカチョウの鳴き声の発達研究から、鳴き声の学習には性ホルモンが重要な役割を果たしていることが知られているが、今年はホルモンの分泌が悪いようだ。
今朝思いがけなく、かつて呉共済病院で私の秘書をしていたOさんが訪ねてきてくれた。三次市へ行く途中だそうだ。昔朝寝坊だったので、「先生はまだお休みかと思いました」といわれた。この3月に技師長のAさんが定年退職するので、これで私と昔いっしょに働いた技師さんたちは全員、無事に定年退職することになる。前の雑木林にツツジが咲く頃、一度みんなを招待して永年の労をねぎらいたいと思っている。彼女に幹事役をお願いしておいた。
2)修道大のU先生から、「浜井信三」のNHKドラマについて、私の感想に同意するというメールをいただいた。
「昔、日本とアメリカが戦争をした」というと、「それでどっちが勝ったんですか?」と聞く世代が多くなっているという。だから「戦争を知らない世代」にとっては、あれはあれで違和感なく受け入れられたのではないか、とも思う。
大教室で「ひもじい」という言葉の感覚を知っているものは手を挙げよ、と言ったら、誰一人手を挙げるものがいなかった。これは私の体験だ。
「戦争体験」を伝えることは困難だし、「大津波の体験」も同様だろう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ともいう。田老町(地区)の住民だけを一方的に責められない。
それにしてもユダヤ人はモーゼに率いられてエジプトから脱出した。ギリシア語ではExodos(脱出)、旧約聖書では「出エジプト記(Exodus)」となっている。(チャールトン・ヘストンがモーゼを演じた映画「十戒」がよかった。イスラエル建国を描いた、オットー・プレミンジャー監督、ポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」もよかった。)
チェルノブイリは20年近く経っても17万人が帰還できない。ドイツのイノシシはセシウムがまだ多くて食用禁止だ。イノシシがキノコを食うからだ。
福島原発のある海から獲れたイカナゴは基準値の7000倍のセシウムを含んでいる。この魚は廻遊して三陸沿岸に広がるだろう。食物連鎖により最終的に何に濃縮されるかも研究されていない。福島産だけでなく、三陸産の農水産物を買えというほうが無理だ。
東北に浜井信三がいないのはわかったが、ましてモーゼはいないのだろうか。
3)レストランに高校生の息子と一緒に家族で来るお客があって、この春、息子が山口大に合格し山口市で一人暮らしをすることになった。その子が「自炊するのでパスタの作り方を教えてほしい」と急きょ、古川シェフの弟子になって、作り方の実習を受けたそうだ。このレストラン、今はオーナーは息子、家内は無給の被雇用者になっている。私には何が何だかわからないが、家内は「料理に興味をもってくれて、夏休みにアルバイトでメニューを憶えてくれたらうれしい」といっている。
先日は夜、長崎大学医学部で故岡本直正先生の後輩にあたるF先生が来られ、一緒に夕食をレストランでした。この先生は、1970年頃、大きなムスタングに乗っていたので有名だった。修復腎移植については、岡本先生から関連文書の郵送を受けたそうで、「衣鉢」を継いでおられる。麻野涼「死の臓器」の冒頭に出てくる青木ヶ原は、子供の頃の遊び場だったそうで、ある時男女の心中死体を見つけたそうだ。
まあ、もう時効だからとムスタングの事を聞いたら、あれはアメリカで買った車を帰国するときに「携行品」として持ち込んだので、無関税。売れば400万円だったが、売ると50%の関税がかかるのだそうで(それでも200万円は儲かる)、結局だれにも売らなかったそうだ。86歳の今でも、大きな車を運転して庄原市の養護老人ホーまで東広島市から土帰月来で、通っておられる。
東広島市が市に昇格する前の「西条町」の時代から居を構えておられる。「どうして住むことにされたのですか?」と聞いたら、広島市の団地を見に行ったら、知った業者がいて、車で西条の宅地造成地に連れて行かれ、「ここを買いなさい」といわれたが、狭いのでそばの雑木林を見て、「ここを買いたい」といったら、売るというので、600坪を坪3000円で買って、実測したら700坪あったという。この先生にかかったら、不動産屋も形無しである。
そこは「寺家(じけ)」という地区で、私が通っていた「東広島医療センター」の近くだ。JR山陽本線の新駅建設(工事が始まっており、何しろ医療センターへ歩いて行けるところなので、東広島市の第2の「副都心」として注目されており、地価が急上昇している。(都心はJR西条駅前だが、これは開発が遅れている。第1の副都心は山陽新幹線東広島駅前だが、南に山があり、住宅はみな北向きに立っていて、あまり将来性がない。)人間、先のことは予測がつかない。ただ運があるのみだ。
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