ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【訃報】難波先生より

2015-02-16 13:08:48 | 難波紘二先生
【訃報】
 日沼頼夫(よりお)さん(90)が亡くなった。正直「え、まだ生きていたの?」と思った。死因は肝細胞がんだそうだ。各紙が訃報欄で伝えているが、高齢者の場合既に「予定稿」が用意されており、産経以外の各紙は予定稿をそのまま使ったようで経歴の羅列でぜんぜん面白くない。LAタイムズはノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンに予定稿を読ませて、その意見を取り入れたという有名な逸話がある。「ご冗談でしょうファインマンさん」で知られるユニークな量子物理学者だ。

 わずかに産経が、約10歳後輩の畑中正一(81)京大名誉教授(ウイルス研元所長)のコメントを載せていて、読ませた。京大ウィルス研という施設は、京大が天野重安という異色の個性的人物を教授職につけるために創設した施設で、初代の教授は、事なかれ主義の各大学の医学部がもてあましている人材が集まり、梁山泊のような感があった。電子顕微鏡学の東昇(ひがし・のぼる)、分子生物学の渡辺格(弟子に利根川進がいる)を挙げれば十分だろう。
 日沼さんは東北大医学部卒で、同大歯学部助教授から71年に熊本大医学部の教授になった。EBウイルスによる発がん(ことにバーキットリンパ腫)が専門で、ATL流行地にいながらそれに気づかず、EBウイルスばかりをやっていた。

 京大の高月清さんが見つけたATL(成人T細胞白血病リンパ腫)の研究に日沼を引き込もうと、京大に引き抜くことをやったのが、天野の弟子の花岡正男(ウイルス研病理部教授)で、日沼は熊本大から80年に京大ウイルス研教授に移った。
 それから花岡さんの口利きで、岡山大内科の三好勇夫助教授(後高知医大教授)がATL患者の血液細胞から樹立していた白血病細胞株MT-1を入手し、ATL患者血清中にはこの細胞に反応する抗体(ATLA抗体)があることを蛍光抗体法で見つけたのが、運の開き初めだ。
 ヒトのレトロウイルスについては、NIHのギャロの発見(HTLV)が先行していたが、畑中さんの言を借りれば「野武士のような研究者」だから、命名に関する日米の最初のすりあわせではギャロともろに喧嘩して、もの分かれになった。(後に妥協してATLVという名称をHTLV-1に変更した。)

 1980年代には日本とカリブ海の黒人にしかATLLが見つかっておらず、高月さんが会長で、熊本で開かれた血液学会ではギャロが特別講演して、長出島の白人が出歩く時、黒人奴隷が日傘を差し掛けている絵のスライドを示し、「HTLV-1陽性の黒人が長の遊女と性的接触を持つことで、日本にHTLV-1が輸入された」という説を述べた。
 ギャロもあくの強い男だが、懇親会の席上で高月さんに紹介されたので、長出島におけるオランダ商館の実態と商館長と商館付医官の江戸への出府の状況について説明し、「アフリカ人からの伝染」説では北海道アイヌや縄文系人における高率のHTLV-1感染が説明できないことを話したら、さすがにすぐに納得してくれた。

 私見では日沼さんは「野武士」というより「猪武者」だった。視野が狭く知識も浅いくせに、それと気づかず、独自説を立ててそれに固執した。病理学会の特別講演で、朝鮮、中国にHTLV-1陽性者がいないことを挙げ、最後にニホンザルの写真を示して「HTLV-1はニホンザルには陽性である。従って日本人はニホンザルから独自に進化したことも考えられる」と述べたのには、正直あきれかえった。その頃、日本の人類学会と考古学会は「人類の多中心発生説」がまだ主流で、「ミトコンドリアイブ説」が受け容れられていなかったこともある。

 90年代の初めに、「HTLV-1/HIVの起源に関する速水班」が文科省の研究班としてできて、私もメンバーに入れてもらえたので、これらのウイルスによる病気の調査にアフリカに出かけた。
 どちらも赤道以南の、東アフリカ・西アフリカに陽性者が多いが、エイズとしてすぐに症状が出るHIVと違い、HTLV-1による白血病はがん年齢の40歳以後にならないと発症しない。アフリカの多くの貧乏国では、平均寿命が40歳以下だから、病気としてまず存在しないことがわかった。

 その頃、日本ではHTLV-1の感染ルートして、性行為による水平感染説が主流だった。これは愛知がんセンター疫学部による疫学的調査データを基にしていた。疫学データは「相関関係」の有無を示すもので「因果関係」とは等価でない。相関関係>因果関係なのである。
 ギャロも水平感染説を信じていたので「黒人持ち込み説」を唱えたのだ。
 が、家系調査からは母から子への垂直感染を示すデータが主体であり、夫から妻に移り、ついで母から子に移った例は認められなかった。アフリカのデータでも、母児感染(経胎盤か母乳感染)が主体だった。
 それで速水班の報告会議では、以下のような報告をした。

「HTLV-1は初期霊長類の段階でヒトがもともと持っていたウイルスであり、はじめ全ての人類は陽性であった。伝達ルートは主に母乳である。
 人類が7万年前にアフリカを出て、旧大陸に広がる過程でこのウイルスは世界中に広まった。南米アンデスのミイラからこのウイルスが見つかったのは、古モンゴロイドが陽性であった証拠だ。
 ところが、約1万年前に牧畜と農耕が始まり、ヤギや牛を飼うようになった民族では、仮に出産した母親が死んでも、赤ん坊をミルクで育てることが可能になった。そこでその赤ん坊の子孫はHTLV-1陰性になった。
 遊牧民とその子孫がHTLV-1陰性で、古モンゴロイドに属する縄文系の日本人にHTLV-1陽性者が多いのは、縄文人に乳用獣利用の文化がなかったからである。
 中国や朝鮮にHTLV-1陽性者がいないのは、彼らが遊牧民の子孫だからである。」
 この説だと、人類学上の人類の分岐発展の知見とウイルス学上の知見はきちんと整合するし、HTLV-1の陽性率ではなく、ATLの発症率が、各国のGDPおよび平均寿命の長さとが、相関していることが説明可能である。
 
 この席に「顧問」という立場で日沼さんが出席していた。この顧問は、私の報告を最後まで聞かず、途中で怒り出し、怒鳴りあげ、あげくの果てには退室してしまった。
 夜は懇親会があったが、それにも来なかった。自説を完璧に否定されたのが口惜しかったのであろう。
 日沼説は『新ウィルス物語:日本人の起源を探る』(中公新書, 1986)や『ウィルスと人類』(勉誠出版、2002)に書かれているが、それがその後どのように修正された(されなかった?)のかは知らない。
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