【フクシマの現状】19年勤めた大学病院をやめて、昨年、南相馬市立総合病院・神経内科に赴任した小鷹 昌明先生が、「MRIC医療ガバナンス学会」のHPに「原発から10キロ圏内」に立ち入った手記を載せている。
https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#inbox/13cb1f70928f3227
「神経内科」は昔の精神科である。ルポというよりやや文学的なトーンがつよいが、読みごたえがある。
「死の町」とはゴーストタウンのことである。映画「渚にて」に核戦争後の死の町が出てくる。無人の町からモールス信号が送られてくる。まだ生きている住民がいると思った原子力潜水艦から決死隊を派遣して確認したら、カーテンの紐が送信機のハンドルにからんでいて、風によってハンドルが動いていた。なんとも空しいシーンだった。
コロラド山中にゴーストタウンを訪れたことがある。金鉱を掘り尽くして、立派なレンガ造りの町が、完全な廃墟となっていた。魯迅は「道は初めからあるのではない。人が歩けばそこが道になる」と述べた。
「住めば都」で、人が住みつくから町ができる。去ればまた無人の荒野になる。ゴーストタウンになる。
フクシマについてはとかく理屈倒れの議論が多い。まず観察が重要だろう。一歩引いて、考えることも重要だ。
https://mail.google.com/mail/?hl=ja&shva=1#inbox/13cb1f70928f3227
「神経内科」は昔の精神科である。ルポというよりやや文学的なトーンがつよいが、読みごたえがある。
「死の町」とはゴーストタウンのことである。映画「渚にて」に核戦争後の死の町が出てくる。無人の町からモールス信号が送られてくる。まだ生きている住民がいると思った原子力潜水艦から決死隊を派遣して確認したら、カーテンの紐が送信機のハンドルにからんでいて、風によってハンドルが動いていた。なんとも空しいシーンだった。
コロラド山中にゴーストタウンを訪れたことがある。金鉱を掘り尽くして、立派なレンガ造りの町が、完全な廃墟となっていた。魯迅は「道は初めからあるのではない。人が歩けばそこが道になる」と述べた。
「住めば都」で、人が住みつくから町ができる。去ればまた無人の荒野になる。ゴーストタウンになる。
フクシマについてはとかく理屈倒れの議論が多い。まず観察が重要だろう。一歩引いて、考えることも重要だ。
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