ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【三人市虎】難波先生より

2014-04-04 08:16:34 | 難波紘二先生
【三人市虎】今度の事件でこの言葉を思い出した。
 一人が「街に虎が出た」と言ったのでは誰も信じないが、三人が同じようにそういえば、人びとが本当だと信じるという中国の諺だ。
 「中国(共同)」に阪大病理学仲野徹教授(幹細胞病理)のコメントが載っていた。「もし小保方が単独で出した論文なら誰も信用しなかった。理研というブランドで有名な研究者が共著者だったから世の中が信用した」という意味の発言を載せていた。よくぞ言ってくれたと思った。つまり仲野教授も「三人市虎」だと実質述べている。
 一人は小保方だが、後の二人は誰か。いうまでもなかろう。この三人には「連帯責任」がある。
 仲野氏には、「なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」(秀潤社, 2011)という著書もあり、「買いたい新書」でも紹介した。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1353733288

 幸いノーベル賞受賞者の知能よりもネットの「集合知」の方が優れており、メディアは信じてもすべての世間知を騙すことはできなかった。その意味でも理研指導部の責任は重い。
 理研調査委は「科学的不正」の判定基準に「悪意の有無」を入れているのが気にかかる。
 理研の「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」(いわゆる「内規」)(H.24/9/13制定規程第61号)を読んだ。http://www3.riken.jp/stap/j/f1document1.pdf
今回のSTAP細胞事件にかかわるのは以下の「第2条」だ。

 「但し書き」に「悪意のない間違い及び意見の相違」は含まないとあり、これが抜け穴になっている。捏造、改ざん、盗用は客観的に事実を証明できるが、「悪意」の有無は証明できない。
 どんなに常習的に研究不正を繰り返していても、「悪意はなかった」と弁明すればそれで「研究不正」には当たらないという恐るべきザル規程だ。
 科学はスポーツと同じようにルールで動いている。科学のルールの根本倫理は捏造、改ざん、盗用をしないというフェアプレーの精神だ。スポーツでルール違反があったら、「悪意はなかった」という弁明が通用するだろうか。客観的な外形的事実に基づきジャッジが退場、出場停止、永久追放という処分を下すではないか。やや主観的なのが相撲の「無気力試合」か…。
 ともかく、理研の「内規」はスポーツのルール以下だろう。それで不正が防げるのか。

 「ないこと」は証明できないから、この内規だと「悪意があった」ことは理研側が証明しなければならない。小保方の代理人は「理研最終報告」に異議申し立てをするとしており、これは裁判になるかもしれない。そうなると、もう「理研内規」では処理できない問題だ。つまり理研には自己統治能力(ガバナビリティ)がないということだ。こういう悪法を作った管理者の責任は重い。

 私は理研についていくつか勘違いしていた。
 野依氏が理事長に就任したのは2003/10ことで、もう11年もやっている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/理化学研究所
 翌2004/12:血小板の研究者二人に不正があったと記者発表している。その後、この件は紛争となり2010/4:理研が当事者と和解の上、記者発表を取消していた。
 2005/12:「科学研究上の不正行為への基本的対応方針」を公表。(「但し悪意のない間違いや意見の相違は含まない」という但し書きはすでにここに含まれていた。この点、内規の成立過程について誤解をしていた。)
 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/02/dl/s0201-5h.pdf
 2012/9「研究者内規」を作成。この第2条が冒頭の文章だ。

 以下の意見には法律家の異論があるかも知れないが、あえて書く。日本では殺人事件があると、犯人に「殺意」があったかどうかが、大きな問題になる。
 生命倫理の授業を学生にしていた頃「これまで誰かを殺してやりたいほど、憎んだことがありますか」と聞くと200人くらいの学生がほとんど手をあげた。それが普通だろう。つまり正常ということだ。しかし実際には誰も殺人を犯していない。大多数の人は殺意があっても人を殺さない。

 大脳生理学的にいうと、「意識」とは脳の神経回路の反応が0.5秒遅れで自己認識されたものだ。「口より手が早い」というは、反射的に相手を殴ったあと、「しまった」と意識する現象をいう。だから「殺意」として意識されない殺人がある。志賀直哉の小説「范の犯罪」は、短剣投げの芸人が舞台の上で妻を殺すという設定で、「殺意」の有無を問題にしていた。http://japanese-literature.blog.so-net.ne.jp/2010-06-07
 舞台で標的となる妻が不倫していたことを知り、殺意を抱くがはたせず、結局、舞台の上で手が滑って短剣が喉に刺さって妻が死ぬ話だ。それは故意か過失か…
 
 日本の刑法は「大陸法」(ことにドイツ)の影響をつよく受けていて、非科学的な観念論が多い。小保方は3/14の「中間報告」の際にも、「コピペが悪いという認識はなかった」と述べており、「悪意はなかった」という主張は最初から一貫している。

 コモンローでは、<The general rule under common law is that "ignorance of the law or a mistake of law is no defense to criminal prosecution.>(法に対する無知または法を誤解していたことは、犯罪処罰に対する抗弁とならない、というのがコモンローの通則である。)=WIKI「Mens rea(被告の精神状態)」となっている。
 こういう点で、コモンロー(英米法)は、たえず科学の進歩に配慮しており、学ぶべき点が多い。
 「ブロゴス」に小笠原誠治という人が「理系は<悪意>の意味がわかっていない:STAP論争」という一文を掲載している。
 http://blogos.com/article/83594/
 私にはこれが「文系」の屁理屈としか思えない。大陸法の系統の法律では、法律の専門か(判事など)が法を解釈して刑罰を言い渡す。この点が陪審員という庶民が有罪か無罪かを決めるコモンローの場合と大きく異なる。
 問題の「悪意」は英語の  http://en.wikipedia.org/wiki/Malice_aforethought
 のことかと思うが「殺意」の有無により「第一級殺人」と他の殺人を区別するのは、アメリカでももう廃れている。小保方は例えれば殺人を犯した精神障害者のようなものだ。裁く前に精神鑑定が必要になろう。

 理研は小保方がうさん臭いとは知りつつ、国から「特定国定研究開発法人」の指定を受けるために大がかりな宣伝工作に利用しておいて、ネットでインチキが暴かれたら、すべてを小保方個人のせいにして、再生医療研究にふさわしい「トカゲの尻尾切り」をしようとしている。ことに「内規」第2条における「悪意」の認定が理研管理者側の一方的な認定により可能となると、内規そのものが上層部の責任回避に利用されるだろう。
 小保方が使っていたコンピュータが私物というのにも驚いた。ともかく基本的管理体制がなっていない組織だ。私は今回の事件で理研トップの責任は免れないと思う。
 小保方にSTAP細胞が本当に内在していれば、「切られた尻尾が全身を再生させる」ことも可能だろう。ともかく彼女が公的な場に弁護士と共に姿をあらわし、ちゃんと釈明することを期待したい。
 もし彼女が「理研が特定国定研究開発法人の指定を受けるために、最大限協力してほしい。記者会見まで秘密を守ってほしい」と上司から指示を受けた、と証言したらどうなるだろう?

 「三人市虎」に続いて、藤森成吉原作「何が彼女をそうさせたか」(1930)という映画
 http://ja.wikipedia.org/wiki/何が彼女をさうさせたか
と戦後すぐにはやった「こんな女に誰がした」
https://www.youtube.com/watch?v=Xa0Jl71N7ag
 という歌謡曲を思い出した。
 まあ、この辺の問題は週刊誌が報道するだろう。

 昭和11(1936)年という年は時代の変わり目で、日本は1/16「ロンドン軍縮会議」から脱退し、2/26事件が起き、3/13「陸海軍大臣現役制」が導入され、軍部が大臣を出さないと組閣できなくなった。政府は11/25「日独伊防共協定」を締結、11/27には総額30億4000万円のうち、実に軍事費が14億円(43%)という次年度予算を成立させている。軍事費は増税と国債発行によりまかなわれた。これはインフレを起こし、確実に経済成長をもたらす。アベノミクスと同様である。
 大陸での戦争に向かう、こうした暗い社会情勢のなかで起こったのが、5/18「安部定事件」だ。(「安倍晋事件」ではない。)事件は愛人を殺し、男の一物を切り取って懐中に入れて逃亡するという猟奇性のゆえに、世間的な関心を集め話題となり、その分だけ国政への警戒の眼をそらした。
 STAP細胞事件は、時代の背景を見ると、実によく似た事件だ。一方は性犯罪史に残る事件、他方は科学不正史に残る事件だ。
 事件の特異性に眼を奪われて、より大きな国の動きから眼をそらしてはいけないと思う。
 
 理研の最終報告がらみの報道では「毎日」が「崩壊STAP論文」という事件の背景を解き明かす3回連載記事を載せていて、よくわかった。久し振りに「科学環境部」の記事に「大場あい」記者の名前を認めた、今後は「修復腎移植」を含めぜひ頑張ってもらいたい。
 今回の事件では、ジャーナリストの塚崎さんにMUSE細胞の件でお世話になった。ありがとうございます。彼女の本「いつか罹る病気に備える本」( 講談社ブルーバックス, 2012/11)は前に紹介した。
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1392448000
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しっぽ切りじゃないって (酒井重治)
2014-04-05 06:14:06
単純に小保方に理研が騙されただけの話。
思った以上に常識外れ、想定外の人物だったって事。
それでも理研は小保方を充分に擁護してきたんだよ。
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Unknown (あら酒井さん)
2014-06-06 00:54:54
よっ、待ってました!お得意の理研擁護!
返信する
酒井様 (Unknown)
2014-06-06 01:12:05
「騙された」のかも知れないが、騙されないようにする努力が足りなかった。だから任用責任は追求されるべきだ。

モギとかいう自称科学者が、オボカタの採用方法が特殊だった事を問題視する動きに異を唱えているが、これはおかしい。特殊な採用方法をとった結果、こんなハチャメチャな人をULにしてしまい、社会に甚大な影響を与えた以上、採用方法に問題があったと結果論で判断するのは妥当。採用に携わった人は責任をとるべきである。

ただ、理研全体をつぶせ、という議論はおかしい。高橋先生やKAHOさんはじめ立派な研究者がたくさんいて、最先端の研究設備が整っているのでもったいない。
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Unknown (Unknown)
2014-06-14 20:34:29
施設にあるもので使えるものは他所で使えば良い。これから何十億という税金が毎年無駄になることを考えると、さっさとなくした方がよい。
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Unknown (Unknown)
2014-06-15 00:02:20
大学は教育と研究、理研は研究のみ。
大学だけでいい。理研は理事長からしてお金のことばかり。
ノーベル賞とっても日本に良い影響与えるとは限らない。
子供の貧困が大問題。800億有ったら子供の教育、医療に使って欲しい。
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Unknown (Unknown)
2014-06-15 00:08:12
一握りの優秀という人のために存続は無駄。
優秀ならどこでもやっていける。高橋さんはご主人と一緒に山中先生のところへ。KAHOさんは内部告発された勇気は認めるが、このグループのために存続する必要はない。
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Unknown (Unknown)
2014-06-15 00:54:24
研究室が引っ越すと、1年ほどの間、研究が停滞する。それまで順調に動いていた実験系がなぜかうまく動かなくなる事も多い。
また、引っ越しにはそれだけで莫大な費用がかかる。顕微鏡はじめ実験機器の引っ越しは、日給1万円のバイトがタンスやテレビをうんとこさと運ぶようにはいかない。
可能であれば、組織そのものは解体しても、研究所の施設はそのまま使い続けるのがいい。京大など他の機関に移譲できるかどうか検討すべき。
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Unknown (Unknown)
2014-06-15 01:15:25
ほとんどの研究者は、名誉欲や金銭欲のためでなく、人のために役立つように薄給で研究を続けている。欲があるとすれば、「真実を解明したいという欲」が最も強い。今回のSTAP騒動によって、そうした地道な努力を日々続けている人たちが「税金で無駄な事」をしている、と心ない大衆の漫罵を浴び否定されるのは見ていられない。
「優秀ならどこでもやっていける」といった発言は、研究者を人としてではなくコマとして扱っているように思える。

また、「大学は教育と研究」と書いている人がいるが、「大学は研究と教育と運営」が正解。地位が上がるにつれて研究よりも教育、教育よりも運営にさかれる時間がふえていく。この仕組みが、日本の大学における研究の活性化を阻んでいる。理研は、研究のみに専念できる「理想郷」だった。それだけに、任期が5年(最長10年)と定められ、よほどの例外を除いては延長を認めなかったし、採用時に非常に厳しい審査を課していた。
今回の騒動の後始末として、執行部の全面的な入れ替えは必須だが、日本の研究水準を世界トップレベルに維持するためには、理研に相当する機関を持ち続けることが必要と考える。それができないなら、大学組織を大幅に改革する必要がある。
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