日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

晩秋の大地を行く 2019続編 - 晩酌

2019-10-14 21:18:41 | 晩酌
本日の走行距離は160kmでした。しかしそのうち50kmは買い出しと風呂のために走ったものです。中湧別で一風呂浴び、芭露で買い出しをして計呂地へ向かうつもりが、芭露のハマナスクラブが八時で閉店という誤算に見舞われ、中湧別までさらに往復した結果、30kmで済むはずが50km走らされるという結果でした。
結局それだけ走るなら、遠軽まで出向いた方がよかったともいえます。しかし、強く後悔しているわけでもありません。セイコーマートの惣菜によるささやかな晩酌も、北海道の旅においては欠かすことのできない一幕だからです。宿泊を中心に組み立てざるを得ない今回、同様の場面が再び訪れる可能性は高くないため、今日のところはこれでよかろうと納得しています。
セイコーマートで調達することになった時点で、ジンギスカンを主にしようと決めていました。惣菜は二品あれば十分と見て、自身とりわけ愛用してきた北のポテトサラダと芽室産切干大根を選択。富良野VINTAGEを含むロング缶二本とともにいただきます。

サッポロクラシック
北のポテトサラダ
北海道芽室産切干大根
味付ラムジンギスカン
もやし
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 計呂地交通公園

2019-10-14 21:01:33 | 北海道
一風呂浴びて買い出しを済ませ、今夜の宿となる計呂地交通公園に戻りました。出発からの走行距離は940kmに達し、通算22万kmまであと360kmほどに迫ったところです。
今朝出発した時点で、明るいうちに常呂まで行こうとしていたことについては既報の通りですが、その先については確たる目標がありませんでした。雨の予報からしてキャンプは避けたく、さりとて連休最終日では宿に泊まって呑み屋へ行くにも不向きです。考えていた行程を消化できなかったことの産物とはいえ、ここに落ち着いたのは結果としてよかったともいえます。
これまでの三泊はいずれも客車でしたが、四年ぶりとなる今回は、駅長の家ことかつての保線小屋に泊まります。趣向を変えるという目的に加えて実を取った面もあります。昨日より格段に暖かくはなったものの、屋外での晩酌はいささか厳しい気温です。その結果、屋内で晩酌して寝泊まりできる方を選びました。風呂に浸かっている間に早くも小雨が降ってきたため、この選択は正解だったことになります。
雨が降り出し空気も入れ替わったのか、一時は6度まで下がった気温が9度に戻りました。屋内では寒さを感じず、今のところ長袖シャツ一枚で間に合います。これならどうにか乗り切れそうです。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - チューリップの湯

2019-10-14 18:41:08 | 温泉
途中から事実上の既定路線と化しつつありましたが、結局今夜は計呂地に泊まることにしました。問題となるのは買い出しと風呂です。買い出しについては芭露にSPAR改めハマナスクラブがあり、セイコーマートとほぼ同じものが揃います。遠軽まで足を延ばせばあらゆる肴が揃い、ついでに銭湯にも寄れますが、さらに片道20kmも走って行く必要性までは感じられません。風呂をシャワーで済ませるなら、芭露までの往復10km少々で済み、これが最も安直でした。しかし、日中こそ暖かかったものの、日が暮れるとさすがに冷えてきました。シャワーだけでは物足りなく、湯船に浸かって温まりたくなるのは人情です。その結果、さらに10km走って中湧別に戻るという選択に落ち着きました。チューリップの湯を再訪します。
興部と中湧別はいくつかの点で共通します。名寄本線と支線を分ける駅だったのが一つ。跡地が道の駅になっているのが一つです。道の駅に併設されたこの温泉にはささやかな思い出があります。興部に泊まった翌日、今日と同じく旧名寄本線の沿線を南下していき、中湧別の手前で日が暮れました。道内最後の夜を旭川で過ごすにあたり、移動の前に立ち寄ったのがこの温泉です。かなりの距離を残していたにもかかわらず立ち寄ったのは、冷えた体を温めたかったからでしょう。あれから六年、奇しくも同じ場面が再現されました。あの日のことが懐かしく甦るひとときです。

★かみゆうべつ温泉チューリップの湯
紋別郡湧別町中湧別中町3020番地1
01586-4-1126
1000AM-2130PM(最終受付)
入浴料500円
泉質 ナトリウム炭酸水素塩泉
泉温 33.2度
pH 7.8
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - キムアネップ岬

2019-10-14 17:22:34 | 北海道
再び海沿いに出てきました。因縁のキムアネップ岬を再訪します。
サロマ湖に突き出た岬で、朝日と夕日を両方拝める景勝地でもあります。五年前に訪ねたときは、この岬から日が沈むのを見届けて、そのままキャンプを張ろうとするも、蚊の大群に襲われて退散し、計呂地のライダーハウスに舞い戻るという経験をしました。因縁と申したのはそのためです。
図らずもあのときと似たような流れとなった今回、再び夕日を眺めるべく走ってきました。残念ながら西日は隠れていたものの、しばらく経ったところで薄雲が茜色に染まりました。再び印象的な夕景で締めくくれたのはせめてもの収穫です。

それはよかったのですが、一昨日同様中途半端になってしまいました。それも、終日天気がよかったにもかかわらずです。今朝出発した時点では、明るいうちに常呂まで行ければと思っていました。浜佐呂間までは自分の車で一度は走った区間です。今回時間をかけて再訪したいと思うほどの一帯でもありません。粛々と進んでいけば、おそらく走り切れるだろうという算段だったのです。ところがいざ蓋を開ければ、再訪だけで一日が終わり、何一つ上積みできませんでした。
ほぼ再訪のみという行程は、昨日までの三日間についても同様でした。しかし、晩秋の趣に満ちていた道北に対して、こちらではそこまでの違いが感じられませんでした。今日についてはやや物足りなさが残る結果です。明日を含む四日間が、道中で最も好天と予想される期間でもあります。今日は波に乗り切れませんでしたが、これからが本番ということにしておきましょう。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 知来駅

2019-10-14 16:12:12 | 北海道
本日も時間の読みが甘すぎました。知来駅を訪ねたところで西日が山影に隠れようとしています。これ以上欲張っても仕方がありません。今夜は計呂地に泊まる可能性が高くなってきました。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 佐呂間駅

2019-10-14 15:46:24 | 北海道
湧網線といえば海沿いの車窓でとりわけ名高い路線でしたが、内陸を行く区間もありました。国道がら再びそれて佐呂間駅の跡地を訪ねます。
駅の敷地は公園となり、郵便車、車掌車を従えたD51が、DE10とともに保存されています。ところが前回訪ねたときは、これらの車両が化粧直しの最中でした。修復後に訪ねるのはこれが初めてということになります。あれから五年が経ったものの、屋根付きのD51は黒光りするほど美しく保たれており、その他の車両の状態も良好です。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 計呂地駅

2019-10-14 14:57:39 | 北海道
芭露からは国道238号線を走ってきました。続いて訪ねるのは計呂地駅です。
かつての駅をいくつも訪ねてきましたが、最も多くの遺構が残るのはこの駅です。駅舎とホームと保線小屋が線路ともども保存され、ホームにはC58と客車二両が据え付けれて、客車と保線小屋には泊まることもできます。自身五年前とその翌年の二年続けて、延べ三泊世話になりました。その後の三年は機会を作れず、これが四年ぶりの再訪ということになります。泊まったときは夜間に着いて翌朝出たため、西向きの駅舎に日が当たる状況は初めてかもしれません。
気温は13度とほぼ変わらないものの、どういうわけか体感はますます暖かくなって、長袖シャツも脱ぎました。上陸初日以来となるTシャツ一枚の軽装です。今のところ風もなく、これならキャンプもできそうに思えてきます。唯一の問題は、夜半に一時雨が降ると予想されていることです。いつ降り出すかと気を揉みながら晩酌しても落ち着きません。その点ここなら屋内に泊まれて一石二鳥です。ライダーでもない限り、この時間から投宿するのは早すぎるため、日があるうちは先へと進むつもりですが、日が暮れた時点でまだ引き返せる程度の距離であれば、久々に泊まっていくのも一案でしょう。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 芭露駅

2019-10-14 14:13:20 | 北海道
遠軽からの道道に合流し、国道との交差点をそのまま進むと、突き当たりにあるのが芭露駅の跡地です。初めて訪ねた二昔前、旅人宿として残っていた駅舎は失われたものの、代わりに記念碑が建てられ、駅前通りの眺めも鉄道ありし頃を偲ばせます。
紋別からここまで走ってくる間、山肌がまだ青いことに気付きました。街路樹は紅葉してきているものの、白樺にはまだ葉があります。去年摩周湖を訪ねたとき、まだ青々とした山肌に拍子抜けする一方、その後訪ねた道北では、平地でも紅葉してきているのに意表を突かれました。道東よりも道北が早く紅葉するという事実を、改めて物語る光景です。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 五鹿山公園

2019-10-14 13:53:04 | 北海道
小樽に上陸してからここまで、結果としては何度か走った経路をおおむねなぞっています。しかし、よほど眺めのよい道ならともかく、全く同じ道を行くのも面白くありません。並行する道がある区間では、そちらを走ることにしており、中湧別から芭露の間もこれにあたります。市街を出て少し走ると、沿道に青い客車が見えてきました。五鹿山公園の保存車です。
キャンプ場もある公園です。しかし、今季は九月で閉鎖され、客車の先頭に鎮座するモーターカーはビニールシートをかぶっています。破裂防止のためなのか、炊事場の蛇口は新聞紙で包まれ、案内板にもビニールシートが掛けられて、最後の仕上げに芝が刈られているところでした。冬支度は日毎に進んでいるようです。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 中湧別駅

2019-10-14 13:20:09 | 北海道
かつて四方面への鉄路を分けた要衝、中湧別に着きました。現在の気温は12.5度、昨日と比べても1度か2度上がった程度にすぎません。しかし日射しの暖かさが全く違い、今は長袖シャツ一枚の軽装です。オホーツク沿岸というと、冷たい風が吹き付けて、気温以上に寒く感じる地域と思っていただけに、道北より暖かくなるとは思いませんでした。穏やかな薄日が射す空模様を含め、小春日和と形容したい陽気です。
昨日からかつての名寄本線をたどってきましたが、ここでひとまず打ち止めです。今度は湧網線の跡を辿りつつ南下します。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 金失木喬

2019-10-14 12:42:28 | 北海道
沼ノ上を出て少し走ると鉄橋が見えてきます。シブノツナイ湖川を渡るガーダー橋です。六年前に訪ねたときは、日没間際で時間がなく、国道沿いから逆光の状態で眺めるしかありませんでしたが、今回は反対側を並行する道に入りました。河川の改修工事を機に、橋台もろとも撤去される橋梁が少なからず出ている中、桁ごと残る遺構は貴重なものとなりつつあります。よい条件で記録できたのは幸いです。
ちなみに現在地でオドメーターが219499となりました。通算22万kmまで残すところほぼ500kmということです。平年並みの走行を重ねていくと、おおむね三日後の達成が見込まれます。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 沼ノ上駅

2019-10-14 12:13:00 | 北海道
続いて訪ねるのは沼ノ上駅です。一部とはいえホームが残り、その上には小向と同じく複製された駅名標が建ちます。周囲には数軒とはいえ民家が残り、商店だったらしき建物と火の見櫓も。滄桑の変と形容したい小向駅に対して、鉄道ありし頃の生活がどことなく偲ばれる光景です。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 小向駅

2019-10-14 11:46:56 | 北海道
続いては小向駅の跡地を訪ねます。初めてここを訪ねたときは、かつての駅舎があと一歩のところで取り壊され、更地になった後でした。ところが六年前に再訪すると、芝生の広い公園になっており、東屋のそばに複製された駅名標が建っていました。そのときも思ったことなのですが、これほど広々していたという記憶がありません。前後が鬱蒼とした茂みになっていることからしても、樹木を伐採して切り開いたのでしょうか。初めて訪ねた頃から四半世紀近くが経ち、どの駅もそれ相応の変貌を遂げてきてはいるものの、周辺の雰囲気を含めて様変わりしたという点では、この駅が筆頭格かもしれません。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 痕跡

2019-10-14 11:31:40 | 北海道
紋別駅は鉄道の遺構というより痕跡とでもいうべきものでしたが、同種の物件として踏切があります。警報機、遮断機、線路がなくなっても、線路の通っていた部分が後から舗装されることにより、踏切の跡と判別できるのです。その手の痕跡が現れたため、急遽車を止めました。
紋別市街から代替バスが経由する旧道をたどっていき、国道と合流する直前です。いかにもそれらしき幅の舗装が道と斜めに交差しており、ガードレールが切れた先には築堤らしきものもあって、草むした路盤が遠軽方面へと続いています。本格的な装備をすれば、藪を漕ぎつつ1kmほどは歩けそうです。
このような痕跡までしらみつぶしに巡るとすれば、北海道に移り住み、積雪期以外の毎週末を注ぎ込んでも、数年がかりの大仕事になるでしょう。しかし、年に一回、10日前後滞在するのがせいぜいでは、このような痕跡まで訪ねていてはきりがありません。折り合いのつく範囲でやるしかないのが実情です。
コメント

晩秋の大地を行く 2019続編 - 紋別駅

2019-10-14 10:21:22 | 北海道
最初に立ち寄るのは紋別駅です。六年前に訪ねたとき、更地になっていた跡地が、氷紋の駅なる施設に模様替えされていたのを知りました。現役当時の遺構は全くないものの、最も目立つ位置に複製の駅名標が建てられており、かつてここに駅があったことをさりげなく物語っているのが印象に残りました。久々に再訪して気付いたのは、当時の記憶以上に賑わっていることです。賑わっているとはいっても、郊外型の商業施設に比べればどうということはありません。しかし、去る二月、後に閉店する青森の百貨店を訪ねたときは、気の毒なほど空いていました。あれを思えば、北海道の小さな町でこの人出なら、十分健闘しているともいえます。
駅がなくなり、国道も山側を迂回する新道に切り替えられて、市街は廃れていく一方かと、昨晩呑み屋街を歩いたときは思いました。しかし、この光景を見る限り、まだ捨てたものではありません。かつての駅が、再び人の集まる場所となったことを幸いに思います。
コメント