森田宏幸です。
今日は、2009年12月4日です。
「ぼくらの」の「11話によせて」を書いて、アップしました。
放送が終わって2年たってしまいましたが、やっぱり
歯抜けになっていた記事を、これから少しづつ書きます。
書き始めて思ったのは、
放映当時書いていた時よりも、
作品に対して距離を感じています。
この「…話によせて」のシリーズみたいな記事は、
あくまで関連する話題や、裏話を書くつもりで、
決して、作品についての「解説」のつもりはありません。
だけど、2年たった今だと、距離が出来て、
解説みたいな言い回しをしてしまいがちな自分に気が付いてます。
それはそれでいいか、と、気楽に考えてますが。
作品を客観的に自己評価するには3年必要、というのが、
私の持論ですが、時間がたってから振り返ることもまた、意味があるだろうということです。
(写真は、毎日通る、まっすぐ伸びる奥行きが、気に入っている道。。)
今日は、2009年12月4日です。
「ぼくらの」の「11話によせて」を書いて、アップしました。
放送が終わって2年たってしまいましたが、やっぱり
歯抜けになっていた記事を、これから少しづつ書きます。
書き始めて思ったのは、
放映当時書いていた時よりも、
作品に対して距離を感じています。
この「…話によせて」のシリーズみたいな記事は、
あくまで関連する話題や、裏話を書くつもりで、
決して、作品についての「解説」のつもりはありません。
だけど、2年たった今だと、距離が出来て、
解説みたいな言い回しをしてしまいがちな自分に気が付いてます。
それはそれでいいか、と、気楽に考えてますが。
作品を客観的に自己評価するには3年必要、というのが、
私の持論ですが、時間がたってから振り返ることもまた、意味があるだろうということです。
(写真は、毎日通る、まっすぐ伸びる奥行きが、気に入っている道。。)
茗荷谷の某大学に通っている頃
映画好きの友人が下宿していた町。
あらあら
また過去にタイムスリップしちゃったのか。
まあBlogの運用は今更感がありますから
もう誰も何も言いますまいww
ただ当時のコメントと混濁するのは本意ではないと思うので
コメントはこちらに書かせて頂こう。
当時疑問を持っていた事。
「moriphyは何故エピソード順を入れ替えたか?」
答えは頂けないと思うので推論をあるだけ揚げて
あとは反応を見ようか。
前にも書いた事だがシナリオ構成上この11話あたりが
放映スタート時のストックであったろう事
そしてストーリー改変に伴うエピソード順変更の必要性も
そして更に下世話に読めばDVD巻数の「抱き合わせ」の
帳尻合わせの目論見の可能性も
あったろう。
だが
もっと露骨な考え方を示すと
スポンサー側の要望として
「前半は原作準拠にして。」
というシバリが有ったのではないだろうか。
つまり
moriphyが腕をふるって「ベタ」にしたチヅの話を後に持っていくと
前半だけでも「原作準拠」じゃなくなっちゃう感が
懸念されたんじゃないかと
当時深読みしていた。
原作を独自解釈して映像化するのに
さも「原作に忠実」を装ったりして
FANに誤解を生じさせないようにする為には
序盤から大きな変化を軸にして「流れ」を明確に伝えたい所だが
企画初動のゆとりの無さ
スケジュールの逼迫などにより
「新規プロット」を織り込むには時間が足りなかったのだろう。
moriphyを弁護するつもりではないのだが
それでも自分として納得のいかない「チヅ」「ナカマ」のエピソードを
早めに切り崩して「消化」したかったのだろうし
実際アプローチしてみたのは解る。
それがどう評価されたかは過去の話だが
あんまり連続して「脱線」してしまうと
スポンサーからも煙たがれるから
間に「ダイチ」を挟んだのかと。
そして放映がはじまり
更にスピードが要求される頃
IKKI紙上で連載されてたのが「キリエ」の話。
(そのあたりじゃないかな?)
やっきりもしたろうなww
ヤッツケるべき仕事に対する疲労感が
原作解釈に陰を落としてしまっているんだなと
私は感じてしまった。
今回の11話の解釈も同じで
貴方はあのツバサの表情を「冷たい」と言うけれど
私にはそう感じられない。
もともと「3人の関係」からの決別のお話だったのに
モジは自分の死を前にして妙に悟り
ナギは自分に舞い込んだ生の実感に闘争心を燃やしちゃって
巨大な壁を前にして男二人はカッテに盛り上がって
「あたしを置き去りにしちゃってるわ」と
呆れている様な 微笑んでいる様な
そして改めて二人を惚れ直しているような
そんな感情に
頬を染めている様に感じるのだ。
ねえmoriphy
そんな解釈は出なかったのだろうか。
過去の反省点をふり返ることは大切ですが、自分自身にハードルを作ってしまうこともよくあります。
私は今の森田さんが何をやっているか、何を興味をもっているかを聞きたいです。
前向きな気持ちはいい作品を作る原動力にしてほしいです。
常に前向きなのはアニメーションの素晴らしいところだと思います。
これからもがんばってください。
正直モジとかツバサとかナギとか今となってはどうでもいい
だけど過去から逃げずに立ち向かう事は必要だと思う
今回は監督がモジ編を振り返ってみたという事らしいが
今後もヤクザ編・支配者編と続けてみるとどうだろうか
タモツは本当に必要だったのか?
支配者の描写はあれで正しかったのか?
古傷に触る事になるとは思うが立ち向かって欲しい
ただ、そう願うばかりだ
だが、タモツと支配者の描写について、
納得のいく話を聞かせて欲しい。
あれの存在のおかげで(あなたは集大成とかほざきましたが)「ぼくらの」の質はどん底まで
叩き落とされたわけですし。