森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

作画オタクには源流がある

2010年12月27日 19時49分48秒 | アニメーション研究

森田宏幸です。今日は20101227日です。

 

山本寛(やまもと ゆたか)氏の、インタビュー記事に刺激を受けて、私の考えを書くと、予告していました。一般のビジネスマンも見るようなサイトで、堂々とアニメーションの現場の雰囲気を伝える山本氏に敬意を払いつつ、「出版社は『アニメ』業界の企画を引きうけている」の続きで。

今日の話題の中心は「作画オタク」です。

 

 

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010_3.html 

「業界が先祖返りしている――『ハルヒ』『らき☆すた』の山本寛氏が語るアニメビジネスの現在」から

 

(転載始め)

実はアニメオタクの大部分はそんなに作画に詳しくないんですよ。これは統計上も言われていることなのですが、作画オタクが狂喜乱舞した作品は売れないんです。その最たる例が究極の作画アニメと言われている『電脳コイル』(2007年)で、最近だと『鉄腕バーディー DECODE』(2008年、2009年)でしょうか。作画オタクは狂喜乱舞するのですが、まったく売り上げに結びついていないのです。

(転載終わり)

 

 

さらにくわしくは、もとのインタビュー記事を読んでいただきたいのですが。山本氏は、このインタビューの続きで、作画オタクの存在が、アニメーションのクオリティを上げたけれど、

「優れているアニメと面白いアニメとを切り離して考えるべき」

「今は、(クオリティよりも)ブランド力が重要です。エヴァンゲリオンやガンダム、スタジオジブリなどは、ブランドの力で何とか持ちこたえている部分があります。」

と、述べています。

 

実は、私は例に挙がった『電脳コイル』『鉄腕バーディー DECODE』のスタッフで、それぞれ「電脳~」は原画、「バーディー」は絵コンテをやっただけですが、スタッフに知人も多く、思い入れもあります。山本氏の見解を踏まえて、論点を広げさせていただきますが。

確かに、作画オタクの視点ではなく、幅広い客層に喜んでもらえる作品作りをしたいと僕も思います。「猫の恩返し」などは、まさに、そう思って作りました。

しかし、得てして、面白いけど、質が低いものになったり、質はやたら高いけどつまらないものになったり、と、なかなかうまくいかないものです。

 

前者は、製作者系に多く、後者は制作者系に多い。

と、ここで突然、自己流の言葉を使ってしまいましたが、製作者系、制作者系の分類は、私のオリジナルで、「日本のアニメーションの三系統」で紹介しました。

ただ、知人たちに話していても、私の分類はどうも分かりにくいようで、「企画系」と「現場系」に名前を変えようかと迷っています。「企画系」が「経営系」になると、さらに分かりやすいでしょうか。

今回、手直しした図版を、アップしてます。

 

話は戻りますが、要は、質と面白さを分けずに統合出来る演出技術の体系を使いこなせればよいのだと思います。しかし、それはなかなか難しい。

たとえば、企画系(現場系)は、主に漫画原作が多いわけです。

出版社が開発する漫画原作は、膨大な読者アンケートと単行本の売れ行きによって、その面白さは客観的に数字で評価されるのですが、アニメーションの質に関しては、客観的な基準がありません。

客観的な裏付けがないものに、限りのある予算を割くことは出来ないですから、質にこだわる態度は、オタク的な趣味ということになってしまう。たとえそれが、本物の技術力であったとしても、です。

作画オタクの趣味の中に、守るべき本物の技術はあるのか?本物の技術とはつまり、幅広い客層を魅了できる面白さを兼ね備えた質のこと、として。

 

鉄腕バーディーで、「作画オタクが喜ぶ」ような原画を描いていたのは、作画監督のりょーちも さんを筆頭にした若手原画マンたち。

彼らが影響を受けた前の世代が、松本憲生さんであり、田辺修さん、大平晋也さんや、橋本晋治さん、磯 光雄さん、うつのみやさとる さんたちでしょう。(松本さんはバーディーもやっておられます。磯さんは「電脳コイル」監督)いずれも個性のある原画マンたちばかりで、主に、80年代後半のバブル直前の、劇場映画が多産な時代から活躍しておられる方々です。

そして、さらにその彼らが影響を受けた先輩たちを遡ると、友永和秀さんや金田伊功さん、近藤喜文さんがおられます。70年代以降のテレビアニメ全盛の時代です。とくに金田さんは、多くの作画オタクを生み出した元祖のようなイメージで見られますね。

しかし、友永さんや金田さんたちが作画オタク的な羨望の眼差しで見上げていた、さらに前の世代の存在が、実はあります。私はこのことを、昔のアニメージュのインタビュー記事などで知っていたのですが。

それが、東映動画時代の宮崎駿や大塚康生です。

 

とくに宮崎さんが、東映動画の社内で、原画マンとして、異彩を放っていたことは、大塚康生氏や森やすじ氏の著書からも知ることが出来ます。今の時代の、個性を放つ原画マンたちのルーツだと言えます。

「どうぶつ宝島」のドタバタアクションと、かわいらしいヒロイン、「空飛ぶゆうれい船」の戦闘シーンなど、演出でも作画監督でもなく、原画マンの立場で、個性を放ち、画面に仕事を残していた。

それらを、ご覧になっていただければ、誰にも分かるとおり、のちの宮崎駿監督作品の原型になっています。つまり、作画オタクの系譜を究極まで溯ると、作画オタクとは対極のように見える、宮崎駿ブランドに繋がるということです。

ここで、質と面白さが出会って融合をみるわけです。

 

なので、私は思うのです。

たしかに、今の作画オタクたちの価値観は偏ったもので、そんなものに依存していても、作品は売れない、というのは、そのとおりだと思うけれど、しかし、彼らは現場の活力でもあった。彼らを否定した代わりに、何が、新しいアニメーションに活力を与えるのか。代わりのものを用意しないと、日本のアニメーションは活力を失うことになります。

 

今年8月、金田伊功氏が亡くなった時、宮崎さんが次のようにコメントしたそうです。

 

(産経ネットの記事から転載始め)

「愉快なアニメーターたちが集まってやってたアニメブームはとうの昔に終わっているんですが、頭(森田註・かしら:金田氏の愛称)が逝って本当にそれが終わったなって…。伝説の人なんです。僕はとても好きな人でした」

(転載終わり)

 

宮崎さんはもう終わったと述べている、現場のアニメーターたちの活力で、アニメーションが作られていた時代のルーツは、東映動画時代にあります。

 

東映動画で、宮崎さんが黙々と描く原画を、その先輩の森やすじ氏が絶賛して、のちに宮崎さんは、高畑勲監督の

「ホルスの大冒険」で、中心的な役割を担って、頭角を現していくことになるのですが、東映動画のような、大手の映画会社の中にあって、宮崎さんのような、若いアニメーター個人の力が認められていく、その個人の力があと押しされて、押し出されていくのには、東映動画で生み出された環境の恩恵がありました。

 

それは、「わんぱく王子の大蛇退治(おろちたいじ)」で導入された作画監督制度、であり、そして、監督中心の制作システムです。これはつまり、個人の才能や個性を作品に反映させていくしくみ、と言えます。

それ以前は、映画会社のしくみ(ディズニーの模倣でもあった)によって、作られていました。監督が中心になるのは当たり前と、日本で仕事をしていれば思うかも知れないけれど、世界中見渡すと、そうとは限りません。

個人作家のインディペンデンスでもない限り、プロダクションの組織力が、アニメーション作りを支え、監督の仕事は、いい意味で制限されます。

 

前述したとおり、東映動画のしくみが、スタッフ個人の個性や作家性を反映するしくみに改革されたのが、「わんぱく王子の大蛇退治」の制作時です。

大塚康生氏の「作画汗まみれ」にくわしく書かれていますが、それを私なりに平たく解釈すると、制作現場のスタッフが、好き勝手に作れる体制が生み出されたのだ、ということだと思います。

ここに、前述の、「現場系(制作系)」が出現したのだ、と私は考えます。

 

スタッフ個人の個性や才能を反映するしくみとは、裏を返すと個人の個性や才能に依存するしくみと言えます。

 

長くなったので、話をまとめますが、要するに、売れない作画オタク趣味も、売れる宮崎駿(ジブリ)のブランド力も、日本のアニメーション業界独自の、個人の力に依存するしくみが作り出している、と言えます。それが、日本の「アニメ」業界の風土、環境で、オタク趣味もブランド力も同じ穴のムジナだ、と言えると思うのです。

ただし、より正確には、日本の現場系(制作者系)の「アニメ」業界の風土です。東映はその後、改革して、そうした風土を追い出します。そして、企画系(経営系、製作者系)となって、個人の才能には依存しない作り方をするようになります。ガンダムのサンライズなどもそうです。それらの方法論もまた、大変な成果を上げることになる。

 

しかし、突き詰めていくと、作画オタク的な作品作りから脱却し、それでいて、質も魅力も備わった作品作りを目指すには、製作者と制作者(企画・経営と現場)の融合が計られることが理想で、山本氏の問題提起の私なりの答えは、これです。

そもそもこのふたつは、本来、断絶してはならない、断絶する必要のないものでもあるからです。

 

不幸にも、日本のアニメーションの歴史上、この断絶が起こったのは、1963年に虫プロが倒産した時である、というのが私の考えです。このことはいずれ、くわしく書きます。

 

森田宏幸 拝

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1 コメント

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Unknown (どうも)
2010-12-31 05:29:20
優れているアニメと面白いアニメとの調和ですよね。
今年のアニメでは湯浅監督の四畳半神話大系がそれではないでしょうか。テーマ、ストーリー、演出、作画どれも良く、なおかつ売れています。
作画は一つじゃ何もできないですが、作品全体が噛み合ったときに一番力を発揮するのは作画だと思うんですよね

ちなみに両方とも良い作品だと思いますが『電脳コイル』『鉄腕バーディー DECODE』が売れていないのは現在の売れ線じゃないからだと思います。昔に売れた作品ももし現在に作ったら売れないのも多いのではないでしょうか、作画偏重というよりも時代性ではないのかと
今年売れたTVアニメBEST4は「けいおん」「Angel Beats」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「デュラララ」です。この4つともが現代をテーマにし、ファンタジックな部分を持っているものもありますがそこまで現実離れしておらず、社会全体がテーマというよりテーマの帰結は主人公たちの内面にあるように見えます。

来年、山本さんがフラクタルというアニメをやるそうです見逃せませんね、長々コメントすみませんでした。
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