(スタッフの起承転結 その9 のつづき)
先日、文京学院大学でのシンポジウムに参加して、専門学校生相手に、自分がアニメーターになった経緯を話した。今日はその時、思い出した話から。
私は福岡大学工学部機械工学科卒という学歴を持って、理科系というわけである。当時、すでにアニメーターになることにしていたので、受験勉強なんかほとんどしていなかったけれど、大学に行って欲しいという父親の顔色が気になって . . . 本文を読む
(その8の続き)
正直言うと、この時私は頭にきてました。柊さんはアニメーションを何も分かっていない、と。漫画家の柊さんがアニメーションを知らないのは当たり前な話なのにです。
スケジュールや予算に余裕のない仕事が多い中でやって来て、このような「物量で盛り上げる手法」を、能のない演出のやることと軽蔑する癖がついていました。また、プロデューサーやスポンサーとの衝突を避けて、そのしわ寄せをみんな現場に . . . 本文を読む
(その7の続き)
やはりジブリは厳しい場所でした。日本のアニメ会社の多くは下請け体質で、親会社から降りてきた企画は必ず制作しなければ食いつなげないから、まさか制作中止はあり得ないし、スケジュールが延びることも少ないのです。だから、そのスケジュールを人質に取って、頑固に自分の構想を主張し続ければ、そこそこのところでプロデューサーもあきらめて、私の意向は通るというのが、演出の時代に何度か経験したこと . . . 本文を読む
(その6の続き)
近頃、どこからどう話が伝わるのか知らないけれど、「珍しく宮崎さんに逆らえた人」とか、「ものをハッキリ言える人」「無神経さが強み」とか言われる。これまでは悪い気はしないと思っていたけれど、たとえばまったく関係ない、梅原健二さんのような人にまでそんなことを言われた日には、さすがに気になった。よくよく振り返ってみるに、これはやはり、誤解されている。いや、たしかに私は自分の考えに固執し . . . 本文を読む