森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

練馬は38.2℃(!)

2010年08月18日 23時15分41秒 | ただの日記
森田宏幸です。
今日は2010年8月18日です。

まるで、外がオーブンの中みたいに暑いですね。
練馬が全国的にも暑いところだとは知らなかった。

「アニメ」業界についての考察を書けなくてすいません。
今、「『ぼくらの』は名作になると信じて作った」(←タイトルをクリックすれば記事が出てきます)
のコメント欄に毎日書いてます。


けっこう大事なことを書いているので、これもまた、整理して本文に転載したいと思います。
落ち着いたら、業界のこともすぐ書きます。
しばしお待ちを。



(読売オンラインから転載はじめ)

東京練馬区で38・2度、多治見38・1度

 太平洋高気圧の影響で、日本列島は17日も朝から気温が上がり、全国142の観測地点で最高気温35度以上の「猛暑日」となった。

 午後4時現在の最高気温は、三重県桑名市と東京都練馬区の38・2度。岐阜県多治見市でも38・1度となった。気象庁は熱中症などへの注意を呼びかけている。東京都千代田区は午後1時頃、この夏一番の37・2度を記録した。

(2010年8月17日16時40分 読売新聞)

(転載終わり)
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2 コメント

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解説の続きと本文が楽しみです (ランド)
2010-08-19 09:59:26
初めまして森田監督。
ランドといいます。

写真に描かれた人物は森田監督御自身でしょうか?
今年は酷暑ですが、異状気象とエコ家電のお陰(?)で、酷暑で恒例の水不足による節水、
電力不足による節電呼びかけのニュースが流れない事が、不幸中の幸いです。


「『ぼくらの』は名作になると信じて作った」のコメント欄の投稿記事を読みました。

個人的にタモツは負け犬として物語上で設定され(登場した途端にヤクザ社会から放逐されている)、
負け犬だからこそ、負け犬になりつつある(支配者の与える現実に屈しようとする)子供達に、
影響を与える存在だと考えていたのですが、
どうも異なるようで、ここ最近の投稿記事のタモツ解説が興味深いです。


一応、森田監督の投稿記事を読む前に、タモツについて個人的にアニメを見て受け取っていた事を書くと、
繰り返しますが負け犬と解釈しました。
それは昇り竜との対比であり、同時にルールに対する立ち位置です。

言うなればタモツはヤクザ社会のルール(ヤクザ社会の現実)に屈する道を選んだ、選ぶしかなかった人間だと。
それでも、それに屈しない昇り竜の存在に影響され、中途半端に行動して投獄、
帰ってきたらヤクザ社会に居場所が無かった。
そして放逐されてもヤクザ社会のルールを未だに遵守する(カンジの母殺しの依頼を断ったとき、
ヤクザルールを持ち出したのが象徴)と言う、負け犬です。

加えて、昇り竜への憧れは忘れられず、しかし昇り竜のようにはなれない事も知ってしまっている。
かつての自分のように、中途半端に行動する事すら既に出来なくなってしまっている。
結果として昇り竜のように、大切な物の為に(権力者の与える理不尽な)現実と戦える人間には無条件で協力し、
また戦おうとしない人間には忠告する事で、戦えない自分の代償行為としている悲しいおっさんです。

つまりは、物語上でのココペリの末路を暗示する存在ですね。
ココペリは中途半端に行動した結果、自分の命以外の全てを失ってしまいましたから。
大切な物を守る為に戦えなかった、守る為の選択すら中途半端だった、
そんなココペリのその後の人生は、後悔を埋める代償行為だけの空虚な物となっただろう…
と言う、引き継ぎを選んでしまった者の末路です。

それを子供達に見せる為に、タモツが設定されたのだと考えていました。
物語上でココペリが再登場出来ないので、同じ役割で用意されたキャラと言う解釈とも言い換えられますね。

勿論、引き継ぎに対する価値観はキャラクターそれぞれで、必ずしもタモツのようになる訳では無いと思いますが、
特に引き継ぎになる事を勧誘されたウシロにとって、
現実と戦って死ぬ事(昇り竜や田中の末路)とは別の、現実に屈した末路について示唆する事は意味を持ちます。
(現実に勝ったと言う結末はこの物語にはなく、現実と戦った個人は総敗北しているのが、ウシロにはシビアですが)

そして子供達は、有る意味でタモツに物理的、精神的に助けられているのですが、
誰一人タモツと同じ道を歩もうとはせず、自分にとって大切な物を守る為に戦いに身を投じると言う形になり、
ウシロは特に、生き残れるチャンスよりも大切な事を見出して、戦いに身を投じる展開になったと言う解釈です。
この時のウシロを支えていたのが、母のマフラー、父(の代理のタモツの)ジャケット、両親の現実に抗った意志の象徴である拳銃、
そして養父の言葉とパンだったのが、現実と戦った親達が与えた物だったのが感慨深いです。


ぼくらのと言う作品は元々、ルールとロボを自分達で作ったのではなく、他者から与えられた物だと言う初期設定の段階で、
最終的にその与えた存在の言いなりになるか否かと言う選択肢に帰結する物語だと解釈していました。
与えた存在が対戦相手と勝利条件を用意し、その相手も自分達と同じ立場に過ぎない以上、対戦相手に勝っても現実は何も変わらないのだから。
端的に言えば、地球を救う為に犠牲になると言う価値観や役割すら、戦わせる事を目的とした存在の与えた餌です。
自己憐憫、自己陶酔、どちらでも構いませんが、契約者に悲劇のヒーローであると錯覚をさせて、視野狭窄に陥らせる酷いやり方です。

当然、言いなりにはならない事(支配者の与える現実を変える事)を選択するのが子供を主人公とした物語における王道ですが、
聞かされた彼我の実力差があまりに大きく、絶望感と視野狭窄によって言いなりになりそうなところを支えるサブキャラクターとして、
敢えて勝者や前向きな人間ではなくタモツのような敗者を配置して、
子供達に言いなりになる事の愚かさを悟らせたのが物語の妙だと思いました。


でも、タモツには自分の考えていた事とは全く異なる意図と役割がある事が、ここ最近のコメント欄の投稿記事の解説で明らかにされました。
どのような役割が与えられていたのか、また物語の全体像に対する解釈等も含め、解説の続きや整理された本文が楽しみです。

お忙しい事と思うので、時間が出来た時にでも進めて下さい。
気長にお待ちしています。
返信する
気に入りましたよ (森田宏幸)
2010-08-22 05:53:32
ランドさん

森田宏幸です。
こちらこそはじめまして。

順番がありまして、(笑)
返事が遅れてすいません。

分かりやすく丁寧な論考をありがとうございます。
「タモツ・負け犬論」私は、気に入りました。
読み終わってみたら、否定も肯定もなく、
客観に徹したバランス恐れ入りました。
自分が考えていない角度のお話でした。

是非また、思い立ったときは、
遠慮なく書いて下さい。

あっちこっち読んで下さっているようで、感謝します。

絵は、はい。たしかに。
次は、もっとうまく描けるようにします。
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