猫王様が亡くなられました。
私が丹波さんとやりとりしているアフレコシーンが、ジブリの特番で流れたものですから、親しい友人たちから「あの丹波さんを演技指導してた」などと冷やかされて困りました。
演技しながら丹波さんは、しょっちゅう私と音響監督が座るこちらを振り返り、
「面白いねー。顔が(画面に)出ないから、自由に演じればいいんだもんねぇ!」
などと、上機嫌でおっしゃってくださっていました。
. . . 本文を読む
(スタッフの起承転結 その1のつづき)
たとえば、今年のアニメーション映画「時をかける少女」は、「結」が監督に委ねられた例ではないかと思う。
筒井康隆作「時をかける少女」は、テレビドラマや実写の映画で繰り返し映像化されているので、今度はどのように映像化されるのかと期待させる猶予のある素材だった。そして、細田守監督と言えばファンも多く、作家として認められている数少ない監督の一人かと思う。
この . . . 本文を読む
私がシリーズの展開について、ああでもないこうでもないと話していて、つい
「それじゃいやだな。原作に負けたくない」
と、口を滑らせたことがあった。すぐに、ファシリテーター・田坂逸郎君は、
「原作に負けたくないと思ってしまうのは、森田の悪い癖だ」
と指摘する。その通りだと思った。親しい友人の前でのこととは言え、迂闊だった。
原作に対して、監督である私はどう立ち向かう、じゃない、どう向き合うべ . . . 本文を読む
(原作漫画とアニメーションの関係2の続き)
「猫の恩返し」を監督している時、原作を改変する案に固執する私を見て、あるスタッフが、
「森田さんはまるで作家ですね」
と言った。もちろんこれは、皮肉を言われたのである。
アニメーションの監督が作家として認められる例など珍しいからだ。作家はむしろライターの方ではないだろうか。特に、私ははじめに原作ありきの監督だからなおさらである。
せっかく . . . 本文を読む
ディズニー・アート展を見てきた。
私がもっとも見て良かったと思ったのは、蒸気船ウィリーとジミニー・クリケットの原画だった。
蒸気船ウイリーが煙を吐きながら進む原画は、線が驚くほど素朴だった。ディズニーの創生期にタイムスリップしたような気持ちになる。この頃は絵が動くというだけで面白かったのだろうなと思ってしまうほど、まったく気取りのない線。なんだか羨ましい時代だ。
ジミニー・クリケット . . . 本文を読む