森田宏幸です。
今日は、2009年11月27日です。
先月の終わり、私は知人の生前葬に出ました。それがちょっと面白かったので、そのことと、今回死んだことになった(笑)、鳥居 哲男(とりい てつお)さんという、私の知人にまつわる話を書きます。
上の写真の遺影、愛想の良さそうなおじさんが、鳥居さんです。享年72歳のつもり。もちろん、本人の許諾の上で載せてます。
生前葬というのは、生きている人が、自分を死んだことにして葬式をやることですね。若い皆さん、ピンと来ない話だったらごめんなさい。
ちょっと前に放送された、倉本聡のドラマ「風のガーデン」での生前葬が面白かった。中井貴一の悪友たちがたくらんで、葬式の体裁をかなり本格的に整えて、大ふざけをやるという。私よりも先輩の人たちにとっては、水の江 瀧子(みずのえ たきこ)という女優さんの生前葬が有名だと教わりました。永 六輔さんが司会をやった大々的なものだったらしいです。
鳥居さんの場合は、ちょっとした場所を借りて、遺影と献花台を据えただけの、リーズナブルなものだったけれど、参列者はひとりひとり献花して、もっともらしく手を合わせたりして、いったいどこまで本気でやればいいのか? 本気でやるのは野暮なのか? そのへんの加減を計りながら、振る舞うのが、ちょっと面白かった。
死んだ本人は、式の中盤まで、奥に隠しておいて、喪主の挨拶とか、お別れの言葉だとかを聞いて、故人の人生が総括されたような気がしたところで、本人が復活して現れて、あとは無礼講で呑んで騒ぐ、という気楽な趣向でした。
鳥居さん本人が、普段から冗談が多い人だから、楽しい生前葬でしたが、本当は、これから自分の死とどのように向き合うかというテーマが、参加者の間でひそかに意識されていました。
私ももう45なので、充分にそういうことを考えられる年のはずですが、70歳、80歳の先輩方の深度には、とても追いつけない。死を意識することが、日常的にあるかどうかが、その差のようです。
その不安を笑って吹き飛ばして、復活しようというのが、今回のコンセプトでした。
「面白いからこれから生前葬は流行るかもね」
という声もあったものですから、俺もやろうかな、と言ってみたら、
「元気な奴がやってもつまらない」
と言われましたが。。
ところで、後半、死んだ鳥居さんが復活してきたあとは、その本人の新刊の出版記念パーティも兼ねた会となりました。老獪な先輩たちは、このように要領よく人を集めて楽しむというわけです。
鳥居哲男さんは、フリーの編集者・ライターで、著書もあります。
今回出された本は、「わが心の歌」(文潮社)です。
私は鳥居さんと、10年ぐらい前に知人の紹介で知り合いました。鳥居さんは、「裸木(らぼく)」という同人誌を作るグループの中心みたいなことをやっていて、私もそこに参加したのです。
同人誌、といっても、コミケで売られるような、漫画・アニメ同人誌ではなく、中身は小説やエッセイ、詩など。同人には画家もおられるので、絵画やイラストもありましたが。
この「裸木」に集まっている人たちは、新聞社で校正の仕事をしている人たちが中心ではありましたが、それに限らず、いろいろな人たちがいました。鳥居さんが「なんでもあり」を信条にして、とにかく、酒の席などで出会った人には、片っ端から声をかけて、書かせて、参加させていたものだから、私のような、どこの誰か分からない者でも仲間に入れた。
私はその頃、ゴールデンボーイで演出はやったものの、監督にはなれずにいて、言いたいことをため込んで、力が余っていたので、ちょうどよかった。アニメーション業界の不満や疑問を好き勝手に書けば書くほど、鳥居さんは喜んでくれました。
だけど、じきに、所詮は同人誌という、ゆるーい集まりがイヤになってきました。どちらかというと自分は、強く、先鋭化した活動がしたいという趣向だったので、鳥居さんの「なんでもあり」とは、相性が悪かった。本気で書きたいこと、作りたいものがあったら、同人誌のような遊びではなく、仕事にこだわるべきではないか? 仕事から逃げているだけではないか、という誤解をして、「なんでもあり」というのは結局、「なんにもなし」のことなのじゃないですか? と私は手紙(メールではない)に書いて食ってかかったことがある。
すると、向こうもプロの物書きだから、原稿用紙に倍ぐらいの反論の手紙が必ず送り返されてきて、私もそれに反論して、そうやって、5往復ぐらいやりあって、こちらが、付き合いきれなくなってやめたと思います。たしか。
いつだったか、鳥居さんと泊まりがけの旅行にご一緒した時、みんなで夜中まで飲んだくれた翌朝なのに、早起きしたホテルのロビーで、黙々と原稿を書いていた鳥居さんを見かけました。こんな、ひげ剃りのついでみたいに文章が書ける人にはかなわない、と思った。
それを真似たわけじゃないけど、このブログは、朝書いてます。
そんなことは、どうでもいいか。
とにかく、自分はアニメーターで、貧乏ヒマなしということもあって、同人誌に書くこととは疎遠になっていきました。50,60,70歳の先輩方の、余裕のある暮らしぶりのようには自分はいかないのだ、とあきらめる感じもありました。ブログを始めると、お金もかからず、簡単に大勢の人たちに読んでもらうことが出来るから、これでいいや、ともなったし。
だけど、鳥居さんが繰り返し言っていた「なんでもあり」に対するこだわりは、生前葬に集まった人たちの様子を見ていて、少し理解できたような気がしました。この社会の、いろんな人間関係は、それぞれの立場や能力、主義主張で、バラバラで当然なのだけれど、一番底辺のところでは、あらゆる人を受け容れる場があるということ、それを自分たちの手で、作り支えることは、当たり前の、基本の構えだ、という意味でなら、分かる気がします。
と、ついまじめに、解釈すれば、「あまりまじめに考えないほうがいい」「いいかげんなほうがいい」と、かならず鳥居さんには言われますけどね。
この同人誌の人脈で、画家の梅原健二先生に出会って、巡りめぐって、先週ご紹介した池田爆発郎氏とも出会えました。「なんでもあり」は出発点だった。そのようにして、学んだことは多かった。
今日はこれで終わりです。
_______________________________
追伸:前回「横浜お知らせ/YOKOHAMA禁煙」を見て、感想を送ってくださった方、ありがとうございました!
今日は、2009年11月27日です。
先月の終わり、私は知人の生前葬に出ました。それがちょっと面白かったので、そのことと、今回死んだことになった(笑)、鳥居 哲男(とりい てつお)さんという、私の知人にまつわる話を書きます。
上の写真の遺影、愛想の良さそうなおじさんが、鳥居さんです。享年72歳のつもり。もちろん、本人の許諾の上で載せてます。
生前葬というのは、生きている人が、自分を死んだことにして葬式をやることですね。若い皆さん、ピンと来ない話だったらごめんなさい。
ちょっと前に放送された、倉本聡のドラマ「風のガーデン」での生前葬が面白かった。中井貴一の悪友たちがたくらんで、葬式の体裁をかなり本格的に整えて、大ふざけをやるという。私よりも先輩の人たちにとっては、水の江 瀧子(みずのえ たきこ)という女優さんの生前葬が有名だと教わりました。永 六輔さんが司会をやった大々的なものだったらしいです。
鳥居さんの場合は、ちょっとした場所を借りて、遺影と献花台を据えただけの、リーズナブルなものだったけれど、参列者はひとりひとり献花して、もっともらしく手を合わせたりして、いったいどこまで本気でやればいいのか? 本気でやるのは野暮なのか? そのへんの加減を計りながら、振る舞うのが、ちょっと面白かった。
死んだ本人は、式の中盤まで、奥に隠しておいて、喪主の挨拶とか、お別れの言葉だとかを聞いて、故人の人生が総括されたような気がしたところで、本人が復活して現れて、あとは無礼講で呑んで騒ぐ、という気楽な趣向でした。
鳥居さん本人が、普段から冗談が多い人だから、楽しい生前葬でしたが、本当は、これから自分の死とどのように向き合うかというテーマが、参加者の間でひそかに意識されていました。
私ももう45なので、充分にそういうことを考えられる年のはずですが、70歳、80歳の先輩方の深度には、とても追いつけない。死を意識することが、日常的にあるかどうかが、その差のようです。
その不安を笑って吹き飛ばして、復活しようというのが、今回のコンセプトでした。
「面白いからこれから生前葬は流行るかもね」
という声もあったものですから、俺もやろうかな、と言ってみたら、
「元気な奴がやってもつまらない」
と言われましたが。。
ところで、後半、死んだ鳥居さんが復活してきたあとは、その本人の新刊の出版記念パーティも兼ねた会となりました。老獪な先輩たちは、このように要領よく人を集めて楽しむというわけです。
鳥居哲男さんは、フリーの編集者・ライターで、著書もあります。
今回出された本は、「わが心の歌」(文潮社)です。
私は鳥居さんと、10年ぐらい前に知人の紹介で知り合いました。鳥居さんは、「裸木(らぼく)」という同人誌を作るグループの中心みたいなことをやっていて、私もそこに参加したのです。
同人誌、といっても、コミケで売られるような、漫画・アニメ同人誌ではなく、中身は小説やエッセイ、詩など。同人には画家もおられるので、絵画やイラストもありましたが。
この「裸木」に集まっている人たちは、新聞社で校正の仕事をしている人たちが中心ではありましたが、それに限らず、いろいろな人たちがいました。鳥居さんが「なんでもあり」を信条にして、とにかく、酒の席などで出会った人には、片っ端から声をかけて、書かせて、参加させていたものだから、私のような、どこの誰か分からない者でも仲間に入れた。
私はその頃、ゴールデンボーイで演出はやったものの、監督にはなれずにいて、言いたいことをため込んで、力が余っていたので、ちょうどよかった。アニメーション業界の不満や疑問を好き勝手に書けば書くほど、鳥居さんは喜んでくれました。
だけど、じきに、所詮は同人誌という、ゆるーい集まりがイヤになってきました。どちらかというと自分は、強く、先鋭化した活動がしたいという趣向だったので、鳥居さんの「なんでもあり」とは、相性が悪かった。本気で書きたいこと、作りたいものがあったら、同人誌のような遊びではなく、仕事にこだわるべきではないか? 仕事から逃げているだけではないか、という誤解をして、「なんでもあり」というのは結局、「なんにもなし」のことなのじゃないですか? と私は手紙(メールではない)に書いて食ってかかったことがある。
すると、向こうもプロの物書きだから、原稿用紙に倍ぐらいの反論の手紙が必ず送り返されてきて、私もそれに反論して、そうやって、5往復ぐらいやりあって、こちらが、付き合いきれなくなってやめたと思います。たしか。
いつだったか、鳥居さんと泊まりがけの旅行にご一緒した時、みんなで夜中まで飲んだくれた翌朝なのに、早起きしたホテルのロビーで、黙々と原稿を書いていた鳥居さんを見かけました。こんな、ひげ剃りのついでみたいに文章が書ける人にはかなわない、と思った。
それを真似たわけじゃないけど、このブログは、朝書いてます。
そんなことは、どうでもいいか。
とにかく、自分はアニメーターで、貧乏ヒマなしということもあって、同人誌に書くこととは疎遠になっていきました。50,60,70歳の先輩方の、余裕のある暮らしぶりのようには自分はいかないのだ、とあきらめる感じもありました。ブログを始めると、お金もかからず、簡単に大勢の人たちに読んでもらうことが出来るから、これでいいや、ともなったし。
だけど、鳥居さんが繰り返し言っていた「なんでもあり」に対するこだわりは、生前葬に集まった人たちの様子を見ていて、少し理解できたような気がしました。この社会の、いろんな人間関係は、それぞれの立場や能力、主義主張で、バラバラで当然なのだけれど、一番底辺のところでは、あらゆる人を受け容れる場があるということ、それを自分たちの手で、作り支えることは、当たり前の、基本の構えだ、という意味でなら、分かる気がします。
と、ついまじめに、解釈すれば、「あまりまじめに考えないほうがいい」「いいかげんなほうがいい」と、かならず鳥居さんには言われますけどね。
この同人誌の人脈で、画家の梅原健二先生に出会って、巡りめぐって、先週ご紹介した池田爆発郎氏とも出会えました。「なんでもあり」は出発点だった。そのようにして、学んだことは多かった。
今日はこれで終わりです。
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追伸:前回「横浜お知らせ/YOKOHAMA禁煙」を見て、感想を送ってくださった方、ありがとうございました!
何事も結果論で語られてしまう世の中ですが、まずやってみようという初心は大切だと思います。
人の生き死には死んでいようと生きていようと笑って流せるものじゃない。
この場合は生前葬ということですが「ふざけるな!」と声を大にしていいたいですね。
私には十代で自分で自分の命を絶った友人がいました。
彼には、生前葬を挙げる暇も余裕も心のゆとりもありませんでした。
その式場の雰囲気と言ったら・・・。
だからですかね、こんなおふざけを真面目にやてる馬鹿共を見ると頭に来るんですよ。
ああ、こいつらにはカネ、時間、心のゆとりが腐るほどあるんだなぁと
決め付ける訳ではありませんが、生前葬は流行らないと思いますよ。
そんな、人の生き死にをあざ笑うかのような式は無くなってしまえと心からそう思います。
でも、本人に届いたのかどうか、こんなにたくさんの人が来てくれたことを、本人は知っているのか。
できることならば、亡くなる前に、みんなと会わせたかった。
そして、自分が死ぬ時も、もし、もう長くはないと分かったならば、その時点で生前葬を開いて、みんなと久しぶりの再会を喜び合い、別れを告げたいと思うのです。
なかなか実現は難しそうですけど…
流行るか流行らないかは別にして、私はそうしたいと思っています。