森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

「ぼくらの」8話によせて

2007年05月28日 04時57分03秒 | 監督日記
 たくさんのコメントありがとうございます。
 コメントだけで大変なボリュームになったので、今回に限っては、皆さんのコメントにお応えすることで、「ぼくらの」8話によせて、の代わりにしたいと思います。
 これまでのようにコメントのひとつひとつにはお応えせず、要点だけ取り出すことお許しください。

 まずは、8話に関して好意的な意見を送ってくださった皆さん、ありがとうございます。私もやっぱり評判が気になるので、皆さんのコメントで救われます。
 ですが、今回は批判の方が多かったですね。特に、なぜ原作を、こんな風に変えたのか? という疑問が多く寄せられました。

 私に、原作ファンをおいてけぼりにするつもりはありませんでした。しかし、私が原作に異を唱え、意識的に改変した部分があるのも確かです。そのことは、仕事に取りかかる前に、直接、鬼頭莫宏さんにお会いして了解をとりました。
 原作ファンあってのアニメ化なはずだ、という指摘はまったくその通りです。そこからさらに、出版社やテレビ局や代理店、そして何より制作するスタッフのモチベーションの衣をまとい、作品は生まれます。

 ところで、私が原作を好きか嫌いか?という質問がありましたが、それはあまり気にしないでください。私が原作を好きか嫌いかを意識するのは、原作を手にした最初だけで、仕事を引き受けた以降はそれはまったく関係ないです。仕事に自分の好き嫌いを持ち込んではいけないというのが、仕事をする上での建前だし、私の今までの実績でも、仕事の出来不出来と、好き嫌いは関係ありませんでした。
 なにしろ大勢のスタッフが毎日私に、自分の考えをぶつけて来ます。以下に続く私の見解のほとんどは、私の好みではなく、スタッフとのやりとりを通して叩かれた、理屈の積み重ねだと考えてください。

 私がこの仕事を引き受けて、キャラクターデザインやメカデザイン、各話の作監などスタッフ集めに奔走したとき「この原作で絵を描きたくない」と、内容に異を唱えたスタッフが何人もいました。そうした反応は特に、子供のいる人に多かった。
 この「ぼくらの」が、ある一定のファンの人たちに支持されていることを尊重し、かつ原作を支持しない人たちをも納得させるために、私が出した結論は、

 「ジアースに乗ったパイロットは死ぬ」という戦いのルールは変えない。それを変えてはこの原作をアニメーション化する意味はない。かわりに、まわりの大人たちや、主人公の子供たちを取り巻く社会の描き方を変えるということです。私が鬼頭さんに頼んだのは、いわゆるセカイ系と呼ばれる作品群は、少年少女と世界状況を直接結びつけ、あいだに介在する社会を描かない。ぼくらのでは社会を描かせてくれ、と頼んだのです。

 そんなわけで、原作のここは変えるけど、ここは変えない、ここはどうしようか?といったロジカルな話が、シナリオ打ちでは連続しました。ストーリーを変えても台詞は生かすみたいな中途半端も起こるわけです。台詞だけでも生かそう、とか、そんな判断もします。
 
 さて、皆さんの中にはあの畑飼を重要視する声が多いですね。次にチズの姉の市子。このふたりのあり方を、まさに私は意識して変えているので、批判はもっともです。
「原作の畑飼は変な奴だが言ってることは正しい」「態度がかっこいい」「大者」という声がありました。それがアニメーション版では「ただの変態」「小者」になったと。
 原作の畑飼は、年端の行かない子供を言いくるめて犯し、まわしてしまう男です。でもそれはかっこよくもなんともない、というのが私の考えです。
 彼はチズを何のために犯したのでしょうか? 仲間たちに金で売るプロなのか? 女を口説けない哀れな友人たちにオンナを世話してやる善人なのか? そこのところがよく分かりませんでした。
 仮に、金銭のやりとりはあったとして、彼はこんなリスキーなやり方で、金を稼ぎたいのでしょうか? 買春、売春で、性欲を満足させたり、金を稼いだりすることを互いの合意の上で進めることはそれほど難しいことではないはずです。(もちろんいいことじゃないけど)それは、ちょっと前に流行って盛んに報じられた「援助交際」など、そこらへんの親父たちがやってることです。もしもチズが、度胸を固めて学校のカウンセラーか、校長のところへ駆け込めば、この畑飼はいっかんの終わり。この畑飼のやり方は、援交をやってる親父どもより要領が悪い。
 プロとして中途半端、善人にするには愛想がない。私がこの畑飼から唯一見つけ出せた属性は「次々とオンナを変えて、それを勝手な理屈(正論?)で正当化し、その欺瞞に自分で気がつかないやつ」です。アニメーション版の畑飼はこの線になりました。このシナリオを完成させたあとで私の手元に届いた原作の続きで、彼はキリエ君に刺されました。正解だったと思いました。畑飼はその程度のやつだった。よかった、よかった、と。
 皆さん、ただの変態とは、厳しいですが、私も畑飼の吐く、妙な正論には力を入れたつもりでだったんですけどね。人権だとか、平等だとか、教育の自由だとか、偉そうに述べ立てる奴に限って無責任、ということがままあるということなんですが、中途半端だったでしょうか。

 8話はタッチが軽くなったという批判も多いです。
 たしかに、ジアースが畑飼を殺そうとするシーンが、あまりにストレート過ぎて軽い描き方になりすぎました。あのシーンはアイディアが足りませんでした。ただ、この畑飼にはこれぐらいでちょうどいいかと、思ったのも事実なのですが。
 ところで、原作ファンのあいだから、「ぼくらの」が、重いという感想がよく聞かれるのですが、どうでしょう? 私はむしろ、原作の軽さの部分に注目しているのですが。
 ゲームと称して500メートルに達する巨大メカが出現。続いて、ぬいぐるみのようなかわいいコエムシが子供たちを叱りつけ、彼らはそれに乗って戦うことを早々に受け入れてしまう。出てくる敵メカは軽々と空を飛び、音速を超えるとか。転がったり、廻ったり、この原作は突飛で、奇想天外で、ほんとに軽いですよ。
 ぼくらのが重いと思われるのは、子供たちが死ぬ話だからだと思います。たしかに、登場する主人公たちの生き様は重いです。
 その子供たちの生き様の重みに焦点を合わせ、設定の軽さや飛躍をおさえる必要があったのですが、むしろ私はまじめ一辺倒に偏らないように、バランスをとってるつもりです。

 さて、お姉さんの登場が唐突との批判がありました。言われてみればそうでしょうかね。私にはこの市子がまたよく分からないキャラでした。
 彼女はおかしい。彼女はなぜこんな、まるで女神のようなことをチズに言えるでしょうか? いったい彼女は何様? 彼女は口ではこのように真っ当なことを言いますが、チズのために具体的には何もできない。正論を吐くだけ吐いて、その理想の生き方をチズに押しつけておいて、あとはほったらかしです。可哀想にチズは、そのまぶしい理想の姉に追いつけない自分を「私、悪い子」と責めて死んでいきます。
 つまり、原作のチズは、姉に説き伏せられたのでした。あなたは間違ってる、と。このストーリーは、ジアースと出会わなくても成立するストーリーです。
 原作のタイガーカップのエピソードが示す、この家族の人の良さもまた不思議です。チズ以外のこの家族は魔法にかかっているとしか思えません。この家族をそのまま扱っては、物語の現実味を支えられないと感じて、私は、この姉と家族を少なくともチズと同様の罪のないいい人たち、にまで下げました。そして、チズが自分は死ぬしかないという現実を受け入れる瞬間に、そうした嫌いな人たちをも受け入れられる度量がチズの中に生まれるという話に変えました。ジアースに出会うことで、チズがお姉さんや父母にやっと追いつくという話ではなく、ジアースに出会うことで、お姉さんや父母を大きく越えて昇っていくチズに変えました。
 これは「大人になる」とはちょっとちがうことのように考えてます。
 私はこのジアースの子供たちには、そんじょそこらの大人でも追いつけないところまで行って欲しいと思ってます。50,60になっても尚、現実が受け入れられなくて、ああだこうだ我が儘を言っている諸先輩たちを私は何人も知っています。私自身もいい年をして、生活に満足できず、ふたりも子供がいながら離婚したりして、じたばたしています。そうした経験を通して、ようやく最近、現実を変えるのではなく、現実をうまく受け入れることが幸せを掴むコツなのだなと、気がつき始めました。
 頭では分かっても、生活の中でそれをうまく実践できませんが。アニメ版でのチズの気づきが、ご都合主義に見えてやや唐突に終わってしまったのは、まだまだ私の人生経験の足りなさ故かも知れませんね。

 最後に、チズのキャラクターについて書きます。皆さんが思うほど、私はチズを変えてしまったと思っていません。あの、アンニュイな雰囲気、実は素直で可愛い一面。
 ただ、カッターナイフでカコを殺すシーン、あの妙なかっこよさだけは許容できませんでした。私には、畑飼に騙されて気が狂ってしまった彼女がついやってしまったこと、としか理解できないのです。
 原作のチズは、自分の厳しい経験を傘にカコを見下ろすような態度になってしまう。それを私は書きたくありませんでした。優しさに帰結しない成長を、私は成長と認めたくありません
 しかし、あの場面に共感する読者がたしかにいますね。私の何人かの友人もそうなんです。彼らが申し訳なさそうな態度で、あのシーンは好きだと言うのを聞いて、私はショックを受けました。
 そうした友人たちというのは、少なからず自分の現状に不満を抱えている人たちで、中には、身内が自殺してしまったとか、まさに原作に出てくる登場人物たちと同じのっぴきならない現実を抱えています。そうした悩みというのは、すべて社会的ではなく、個人的です。
 あのカッターナイフのシーンを本気でやるなら、そうした個人個人の心の闇に踏み込まなければならない。私は、それは避けました。これは放送コードの問題ではありません。アニメーションの表現には限界があると思ったからです。
 ぼくらののアニメーション版では、取り扱いませんが、どうか皆さん、自分を取り巻く厳しい現実に負けないでください。と言っても、余計なお世話か。言葉が足りませんね。

 とても、皆さんのコメントに応えきれていません。DVDの発売もありますので、暇になったら思い出したように、また何か書きます。
 とりあえず今は、ご勘弁ください。
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感想です。 (shu)
2007-05-28 09:44:36
8話、拝見させていただきました。
原作読者のぼくらのファンですが、アニメはアニメの独自展開があって、楽しく毎回見させていただいています。前話がよく、今回を楽しみにしていただけに、残念でした。

原作既読の僕だから感じる違和感かも知れませんが、チズの感情に一貫性を感じることがどうも出来ませんでした。中途半端に原作どおりの台詞をもってきているから感じるものかもしれません。
チズは原作のような姉との対話があったからこそ、ハタガイ先生を殺すことをやめたんだと思っていました。
が、どうしてあの展開で殺せなかったのか。
前回まるまる一話つかってチズの話を醸成したのに、恨みだとか、悔しさだとか強い負の感情がチズの中に渦巻いていただろうと思います。それなのに姉がでてくる程度であっさりと殺すことをやめてしまう。その程度の感情しかチズはもっていなかったのか?わざわざアレほど作りこみをされたので、姉ごと殺してしまうのだと思っていました。

今回の展開は、前回のよさを台無しにしてしまった気がします。凄くもったいない気がしました。
タイトルも「復讐」で、そこがテーマであるはずなのに、そこをないがしろにしてしまい、チズのお腹の中の赤ちゃんや、契約者がいないだとかいうところの驚きで大事なところをごまかされた気がしました。

さらに残念だったのが、戦闘後の会話です。
皆にしゃべらせたかったのかわかりませんが、キャラの特性上こんなこと言わないだろうという発言をしているシーンがありました。
思いやりのあるはずのダイチが「はっきりしろ!」とどなったり、基本的に無関心のウシロが積極的に話しに絡んだり。
見ていてこれは違和感がありました。

何かしら意図があるのかもしれませんが、アニメオリジナルとはいえ、キャラの味まで変えてしまっては台無しだと思います。

多分今回は原作ファンとしてはあまり納得できない内容だったと思います。
ここで書いた意見がどれだけ意義のあることかはわかりませんが、一ファンの僕はこんな風に思いました。

偉そうに長文失礼しました!!
こんな言葉しか言えませんが、これからも楽しみにしています!頑張ってください!
ガッカリです。 (けい)
2007-05-28 10:50:26
8話の出来にはがっかりしました。チズが畑飼を殺そうとしたとき、チズの姉が都合よく登場した場面は、失笑するしかありませんでした。あまりにも不自然で、あまりにもご都合主義で…。
それから、チズが姉に真実を話さずに行ってしまったのも納得がいきません。

監督は、原作があまりお好きじゃないのでしょうか?これまでの原作改変には、原作の主張が感じられ、それはそれでよいと思っていました。しかし、チズ編に関しては、いろいろいじってこの出来…原作の良さを再確認するだけの悲しいエピソードでした。
訂正 (けい)
2007-05-28 11:20:28
「原作の主張が感じられ、」ではなく「監督の主張が感じられ、」です。
人それぞれ (佳多奈とヴァンデ)
2007-05-28 12:06:36
自分的には8話は良かったと思います
7話の作画を見た時は、ん?と思いましたが…
戦闘シーンは今までで1番良かったも

後、知人に言われて気がついたのですが…
DVDの宣伝で、ナカマのシーンで仲間は洒落ですか…w?
人それぞれ (佳多奈とヴァンデ)
2007-05-28 12:09:13
自分的には8話は良かったと思います
7話の作画を見た時は、ん?と思いましたが…
戦闘シーンは今までで1番良かったも

後、知人に言われて気がついたのですが…
DVDの宣伝で、ナカマのシーンで仲間は洒落ですか…w?
Unknown (あきら)
2007-05-28 12:11:39
チズ編は原作よりも違和感なく見れました。
原作の展開だとあれだけのことをやってきたのに姉に簡単に説得される展開に無理がありましたから。
アニメのチズは裏切りに怒ってても先生に対する恋愛感情はまだ残ってるので思いとどまっても不思議ではないでしょう。カコの死も不可抗力だし。

ただ、気になるのは田中さんがジアースに一緒に乗らなかったことですね。子供達だけに任せるなんてありえないんじゃないでしょうか。
Unknown (BARCAP)
2007-05-28 13:08:32
チズが戦闘を放棄しかけたときに、詰め寄ったマキのセリフの白々しさは凄いですね。
追い詰められて徐々に自分勝手な面を見せていく彼らに人間味を感じました。

「満足」と言いながらも敵ロボの「股間」をいきおいよく蹴り上げるチズの姿は演出的に矛盾があるように思いますが、そういった割り切れなさもリアルな感覚であるとも、今は思います。

このブログのせいで(?)、どこまでが故意でどこまでが偶然なのかが曖昧になってきてしまいました。ああ、これも監督の陰謀だったのかなぁ…(笑)
Unknown (マグナカルタ)
2007-05-28 13:23:51
>あれだけのことをやってきたのに
>姉に簡単に説得される展開に無理がありましたから。

その種明かしとしてチズ編第4話があったのはないでしょうか。
車の窃盗犯を、そうであると分かった後でもなお思いやることのできる市子だから、チズは止められたんでしょう。言行一致を示していたから、チズは市子を敬愛できたのではないでしょうか。

原作のチズ編を貫いたテーマは「赦し」だったと考えています。「許すこと」と「許されること」はどういうことなのか、それを考える内容であったと解釈しています。

アニメ版での「チズ姉」(名前を出さなかったのは監督のお考えあってのことでしょう)は「許し」の論理を示していない。原作を読んだ人が違和感を感じるとすればそこなのでしょう。
私は、原作の展開が至上とは思っていません。あまりにもお人好しなチズの父は、おそらくはそれなりに規模のある会社で出世し、中国に出張を命じられるようなビジネスマンとしては違和感があり過ぎるし、お父上が銀行員であられた森田監督におかれてはそれがなお強かったのではないかと推察します。また、菩薩か聖女のような市子のキャラ造形も、いかにもあざといものです。ただ、これはチズ編のテーマを語る上で必要な舞台装置としては最大限に機能を発揮していたし、その限りにおいて必要なあざとさだった。

このあざとい仕掛けを外したことは、作劇としてはとても良い方法だったと思います。そして、原作が持っていたテーマ性を見事に薄めた。しかし、であるならば、中途半端に原作をなぞる展開にせず、エンタテイメントとしてのロボット戦闘に特化してほしかったとの思いは強いです。チズの子も、チズの姉も、この物語展開であれば登場する必然性は少ないように思えましたし、いっそばっさりと切ってしまってよかったように思いました。
Unknown (マグナカルタ)
2007-05-28 13:33:14
投稿順が前後してしまいました。

森田監督、はじめまして。
原作とは異なる魅力を包含したアニメ版の展開に、いつも楽しませて頂いています。

ちょっとした疑問なのですが、田中ら国防軍はジアースが人の命で動くと言うことをいつ知ったのでしょうか。原作ではおそらくコモが父に全ての事情を話し、国防軍としても既知のこととして話が進んでいたのだと思いますが、アニメ版では、今回既に田中や関が仕組みのことを知っていたのがやや唐突に思われました。おそらくカコの搭乗を決めるルーレットの後で田中が子供たちから聞いたのかなと推測していますが、まだ物語が始まって間もない時点なので、このルールに対する「大人たち」のリアクションがもう少し大きい物であるのではないかと思い、質問した次第です。
中途は半端 (うた)
2007-05-28 14:03:49
なんかもう8話はすべてが中途半端でしたね。
チズの怒りも姉の行動も「ばくら」の反応も

話の根幹を変えるなら当然台詞もそれにあわせたものを用意すべきです。台詞を考えることを放棄して原作から借りてきたようにしか思えませんでした。
自分ですべて作る気が無いのなら、最初から原作をなぞればいいのです。原作に挑んでおいて途中で放棄したと今回は解釈させてもらいました。
正直失望です。

今更ですがもう1度原作読み直したほうがよいと思います。

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