森田宏幸です。
今日は2010年2月23日です。
この「14話によせて」では、コメント欄でも話題になった、
画面上のミスについて書きます。
8話の、ジアースの目の光の数の話などです。
同じミスでも、許されるミスと許されないミスがあって、観客に自由に解釈してもらう余地が残る場合、意味が通じる場合は、もともとの意図に反しても、いいと考えられることは多いのですが、どう考えてもおかしい、台詞と合ってない、とか、ストーリーが混乱してしまうというようなものは、許されないミスということになります。
8話の、ジアースの目の光の数の間違いも、そのひとつです。
実は、私たちスタッフは、このブログのコメントの指摘によって、このミスにはじめて気がつきました。
非常にショックを受けて、とくに、ジアースの映像を作る、3Dのスタッフが一番ショックを受けていた。
ミスが起こった原因は、私の書いた指示書にありました。
何話はこういう状態、何話はこの状態と、図にくわしく描いていたのですが、ジアースの戦いが行われる、前なのか、あとなのかを明記していなかった。
8話の戦いの後の、正しい目の数は、モジの台詞の通り、9つ。
DVD版(レンタル版を覗く)では、修正しました。
あと、この14話の後半では、
子どもたちが列を成して、カンジの母親に会いに行くシーンで、
キリエを描き忘れているカットがふたつ、ありました。
これは、放映終了後、DVDのリテイク出しの際に気付いた。
担当演出に報告すると、これもショックを受けて、頭を抱えてました。
私が自分で原画にして、DVD版では、描き足しています。
ついでに書くと、中盤の、ウシロとカナの部屋に皆が集まっているシーンで、
キリエが、少し、小さく見えすぎるカットがいくつかありました。
これは、微妙な構図の問題だと気がついて、DVD版では、調整しています。
階段の手すりと、キリエの、構図上の重なり方を調整するだけで直ると気がついたので、
微妙な差ですが、やれることは出来るだけやりました。
それにしても、このように、画面上のミスの見落としというものは、
どうしても、無くせません。
見てくださっているお客様にとっては、心外でしょうが、
語弊を承知で書くと、
このような画面上のミスを、一つ残らず見つけ出して直しつくす方法論が、
現場にはありません。
これは、テレビシリーズの過酷なスケジュールゆえ、というような話ではない。
たとえば、劇場映画の「猫の恩返し」にも、
分かりにくくて、誰も、気がつかないところでは、
ついに最後まで、潰せなかったミスが残っています。
思うのですが、アニメーション作りのワークフローに、
自動車メーカーや電機メーカーの、
高度な品質管理の方法論を取り入れることは出来ないでしょうか。
そのようなことすら、思います。
今日は2010年2月23日です。
この「14話によせて」では、コメント欄でも話題になった、
画面上のミスについて書きます。
8話の、ジアースの目の光の数の話などです。
同じミスでも、許されるミスと許されないミスがあって、観客に自由に解釈してもらう余地が残る場合、意味が通じる場合は、もともとの意図に反しても、いいと考えられることは多いのですが、どう考えてもおかしい、台詞と合ってない、とか、ストーリーが混乱してしまうというようなものは、許されないミスということになります。
8話の、ジアースの目の光の数の間違いも、そのひとつです。
実は、私たちスタッフは、このブログのコメントの指摘によって、このミスにはじめて気がつきました。
非常にショックを受けて、とくに、ジアースの映像を作る、3Dのスタッフが一番ショックを受けていた。
ミスが起こった原因は、私の書いた指示書にありました。
何話はこういう状態、何話はこの状態と、図にくわしく描いていたのですが、ジアースの戦いが行われる、前なのか、あとなのかを明記していなかった。
8話の戦いの後の、正しい目の数は、モジの台詞の通り、9つ。
DVD版(レンタル版を覗く)では、修正しました。
あと、この14話の後半では、
子どもたちが列を成して、カンジの母親に会いに行くシーンで、
キリエを描き忘れているカットがふたつ、ありました。
これは、放映終了後、DVDのリテイク出しの際に気付いた。
担当演出に報告すると、これもショックを受けて、頭を抱えてました。
私が自分で原画にして、DVD版では、描き足しています。
ついでに書くと、中盤の、ウシロとカナの部屋に皆が集まっているシーンで、
キリエが、少し、小さく見えすぎるカットがいくつかありました。
これは、微妙な構図の問題だと気がついて、DVD版では、調整しています。
階段の手すりと、キリエの、構図上の重なり方を調整するだけで直ると気がついたので、
微妙な差ですが、やれることは出来るだけやりました。
それにしても、このように、画面上のミスの見落としというものは、
どうしても、無くせません。
見てくださっているお客様にとっては、心外でしょうが、
語弊を承知で書くと、
このような画面上のミスを、一つ残らず見つけ出して直しつくす方法論が、
現場にはありません。
これは、テレビシリーズの過酷なスケジュールゆえ、というような話ではない。
たとえば、劇場映画の「猫の恩返し」にも、
分かりにくくて、誰も、気がつかないところでは、
ついに最後まで、潰せなかったミスが残っています。
思うのですが、アニメーション作りのワークフローに、
自動車メーカーや電機メーカーの、
高度な品質管理の方法論を取り入れることは出来ないでしょうか。
そのようなことすら、思います。
批判を受けたから謝って
その後黙って、鬱々と怒りを溜め込むってのは
典型的な子供だろう?
表現者として、おまんま食ってるんだったら、芸術家として表現してるんだったら、言葉で始めた表現の場所を、中途半端で終わらせるな。
子供に見せたいアニメを作ってる人は、こういう所で、大人としての責任と義務をしっかり表現することが大切だと思うが、いかがか?
沈黙するという選択の方が辛い事もあります。
最後まで頑張ってください。
暴露するのも勝手なわけ?
そのせいで話しがややこしくなったんでしょ?
何を言ってるのかしらね、↑の人。
井戸端話みたいなので、他でやってくんないかなあ。
でも、聞いて欲しいなら言葉と内容は選ぶべきだとは思うよ。
行動。
1ヶ月前は結構な騒動だったけどこっちとしては
いい迷惑。まぁーようやく最近落ちついってきたってカンジ。
各部署から相当冷ややかな目で見られてる事に気づいてないだよ監督さんは。下の記事で「ぼくらの」
の原作好きと嫌いな奴の両方の意見を聞いている
節の発言があるけど、俺が聞いた限りではまったく
違うよ。
とにかく自分の意にそぐわない人の意見は考えられない。すぐ「それは現実的ではない」「リアリテイーがない」「ぼくのスタンスは平均値を求めてる」と言うそうだ。
なんでアニメの監督やってんだ?
本当に関係者であるなら、個人ブログ等の別の形で表明なさったらよろしいかと思います。