公演名 ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ 大阪千秋楽
劇場 松下IMPホール
観劇日 2007年3月25日(日) 14:00開演
座席 I列
今年のヘドウィグには、あるものはあるし、ないものはない。
ということで、ひとまず2007年版のことだけを見つめて書きます。
観劇メモ「あるものはある」ヴァージョン。
以下、まるごとネタバレですのでご注意ください。
<キャスト・スタッフ>
出演:山本耕史(ヘドウィグ) 中村中(イツァーク)
作:ジョン・キャメロン・ミッチェル(※以下、JCM)
作詞・作曲:スティーヴン・トラスク
演出:鈴木勝秀
<舞台装置など>
舞台奥には、ラクガキされた壁のような背景。
上手にヘドウィグのウィッグルーム兼衣装ルーム。
イツァークが椅子にすわってウィッグの手入れをしている。
(映画版と同じように。)
下手には一人掛けの椅子と小さなテーブル。
アングリーインチのメンバーも下手に陣取っている。
静止画やアニメーションを映すスクリーンが背景の手前にある。
<全体の感想など>
舞台の上でバンドメンバーがチューニングを始める。
ロックとは結びつかない衣装。全員スーツ(またはジャケット)姿。
OKとなったところで、黒のキャップ、ロングヘアーの人物登場。
その人物がしゃべり出す。
「Ladies & gentlemen. Whether you like it or not ・・・HEDWIG !!」
劇場内の左扉が開き、スポットライトを浴びてヘドウィグ登場。
前方席と後方席の間の通路をゆっくりと横切ってゆく。中央まで来て止ま
り、こんどは舞台に向かって通路を歩む。観客の視線を独り占めにして。
金髪のロングヘアー。はおっているのは白のミンク風コート。
舞台に立ち、羽のように両手を広げた瞬間、派手なラクガキ文字と絵が!
音楽に誘われるまま、1曲目から観客総立ちの『Tear Me Down』。
・・・・・・
そうよ~。コレだよ~! 久しぶりに蘇った感覚。素直にうれしかった私。
腰フリフリの耕史くん、イヤー、かわいいやんっ!!
口をとがらせるのもJCMの真似~っ(笑)。でも、キュートだわ。
私ってば、ヘドウィグの音楽さえ聴こえていればキゲンがいいのかも♪
『The Origin Of Love』ではあのアニメと山本ヘドの指差し確認(笑)の
おかげで涙ポロポロさせられちゃうし。
観ているうちに思ったのは、いまこれはロックミュージカルの古典として
上演されているんだなーってこと。そういうジャンルに入りつつあるんだ
と思う。
山本ヘドは恐らくルー・リードやイギー・ポップを知らないだろうし。
ただ、頭では理解しているだろうことはじゅうぶん伝わってくる。
本国のアメリカでは歴代ヘドウィグの中に女優もいるぐらいだし、演じる
人の数だけヘドがいることをすんなり受け入れたい。
ガンバレ、耕史くん・・・。
今回の演出はストーリーをわかりやすくするためか、ずいぶん内容を整理
しているなと思った。猥雑さとか、下品と紙一重のショーアップとか、ア
グリーな要素、民族的ブラックジョークなどはできるだけ排除し、判断に
悩む要素も省いてしまったように思える。
そんな演出のせいか、彼の地なのか・・・
山本ヘドウィグはなんてお行儀がいいんだろう!!
わかったよ。これが今年のヘドウィグなら、それを真正面から楽しむだけ。
歌が始まると海外版ヘドを観ているつもりで頭を切り替えた。それがまた
オツなナイスな感覚の2007年版だった。
アンケートやチラシといっしょに日本語の歌詞カードが同封されていた。
『The Origin Of Love』と『WickedLittle Town』のトミー・ヴァージョン
とヘドウィグ・ヴァージョン。
うっ! あるやんっ!! 日本語訳!!!
あるものまで出しおしみして、日本語字幕にしなかったのは残念。
これだけは怒りの1インチとして、はっきりと書き記しておこう。
<2007年版のディテール・メモ>
●オープニングの衣装
衣装はJCMのオリジナルとよく似ている。表側は星条旗柄じゃないけど。
裏側に描かれたラクガキがベルリンの壁を想起させる。
「私が新しいベルリンの壁!」
両手を広げた時、まさに倒すべき壁となってヘドが客の前に立ちはだかる
には、やっぱりこの衣装じゃないと意味が通らないもんね!
●客席との絡み、アドリブなど
客とのやりとりはほとんど皆無の山本ヘド。数少ない絡みを探してみた。
・25日のハプニング。
ヘドウィグが煙草に火をつけて語り始めるシーン。口にくわえてから
「火がついてないよっ!」と自分でツッコミ。後ろからイツァークがきて
再び火をつけると客席に向かって「ごめんなさい」と謝っていた。律儀だ。
・顔拓。
ほぼ正方形のハンドタオルを使用。顔をふいた後、自分のメイクがついた
タオルを観客に見せて「ヘドウィグのデスマスク」と言い、客席に向かって
投げる。そのタオルを二人が譲り合い、イヤ、取り合いか?(笑)
二人のやりとりを見て「どちらかが取って!」とヘド。行き先が決まったら
「アンタにあげる♪」と付け足した。優しい~。
・『Wig In A Box』
歌の途中で「Everybody」と呼びかけるのは映画やCDと同じ。そのあと観客
が続いて歌うんだけど。歌詞は英語だし、字幕出てないし。不親切~。
●ズタズタ
『Hedwig's Lament』から『Exquisite Corpse』へ。
心身がズタズタに引き裂かれたヘド。自分自身を切り刻んで渡してきたと歌
いながら、渡した相手に手を伸ばす仕草が胸に刺さる。やがてウィッグを捨
て去り、網タイツまで引きちぎる2007年版のヘドに驚いた。
●トミーの額
ズタズタになったヘドの場面から、トミーが歌うシーンへとつながるところ。
山本ヘドは舞台上から姿を消さず、床に倒れ込んだまま。
『Wicked Little Town』のイントロでようやく起きあがるんだけど、額に蛍
光の白い十字架が浮かび上がることでこれがトミーだと認識できる。
十字架はさっきまで額になかったわけだから、いまその場でトミーが十字架
を自分でつけたんだなと想像できた。
6カ月のロック短期集中講座でヘドウィグが「トミーの額に十字架をつけて
あげた」のを、トミーはいつもいつも自分でつけてたんだ・・・ということ
が私の中で急にリアルに感じられ、熱いものがこみあげた。
ちなみに、耕史くんの体はトミー向き。トミーとして歌っている時が一番絵
になっていた。
●『Midnight Radio』について
観劇メモ「ないものはない」ヴァージョンで書きたいと思う。
●イツァークの中さん
耕史くんのことはいっぱい書いたので、ここからは中さんのことを。
映画版DVDの特典ディスクによれば、もともと高いキーのバックアップシン
ガーが欲しくてこの役を女性にしたとスティーヴン・トラスクが言っていた。
高音がきれいな中さん、音楽の演出的にはそのセンを狙ったようだ。
ツァーで前座をつとめさせたら自分よりもうまくてやめさせた、とヘドが語
りの中で証言するのがいかにも納得できる配役。
歌う場面だけじゃなくヘドのママになったり、ルーサー、トミーの声も出す。
特に、言葉が訛っているルーサーがすっごく面白い。
『Wig In A Box』を歌うヘドの横でシャボン玉を飛ばすイツァーク、ここは
アニメーション代わりの演出なんだな~と楽しんで見られた。
今回の役についてご本人の2/15のブログで・・・
あたしは髭面で、女の格好を禁じられた女。でも旦那だ。いや、「だから」
のほうが正しいかな? だから旦那だ。 だね。
って書いてあった。
ここまでハッキリ書いてあるので役割についてはその通りなんだと思う。
ザグレブから連れ出してもらう引換条件として、ヘドウィグに夫として生きる
よう命じられる。つまり、ウィッグをかぶっちゃいけないわけ。
(でもね、髭面じゃないし、明らかに髪が長いため旦那には見えにくい。
ウーン、かぶっちゃいけないのはドラァグクイーン用金髪ウィッグ限定?
黒いロングヘアーならオッケーだったのかなあ?)
ま、どう考えても卑屈な役どころなんだけど、今回のイツァークは耐えている
のではなく、ヘドが好きなんだな~という感じがにじみ出ている。そっちの気
持ちを前面に出している。これはありだなと思う。(仲良しではダメだけど。)
失意のヘドの肩を優しく抱いてあげているイツァークが心に残った。
最後にヘドウィグから解放される場面では、自由になる喜びだけじゃなく、残
していくへドウィグを思いやっているように見え、対等になった二人にグッと
くる。だから『Midnight Radio』の歌詞につながっていくのだと思う。
ラストは白のワンピース。ちょっと乙女チックすぎるけど象徴的ではある。
後日、もしも元気なら観劇メモ「ないものはない」ヴァージョンを書いてみたい。
ヘドウィグ@大阪千秋楽カーテンコール(このブログ内の関連記事)
「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(1)(このブログ内の関連記事)
「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(2)(このブログ内の関連記事)
劇場 松下IMPホール
観劇日 2007年3月25日(日) 14:00開演
座席 I列
今年のヘドウィグには、あるものはあるし、ないものはない。
ということで、ひとまず2007年版のことだけを見つめて書きます。
観劇メモ「あるものはある」ヴァージョン。
以下、まるごとネタバレですのでご注意ください。
<キャスト・スタッフ>
出演:山本耕史(ヘドウィグ) 中村中(イツァーク)
作:ジョン・キャメロン・ミッチェル(※以下、JCM)
作詞・作曲:スティーヴン・トラスク
演出:鈴木勝秀
<舞台装置など>
舞台奥には、ラクガキされた壁のような背景。
上手にヘドウィグのウィッグルーム兼衣装ルーム。
イツァークが椅子にすわってウィッグの手入れをしている。
(映画版と同じように。)
下手には一人掛けの椅子と小さなテーブル。
アングリーインチのメンバーも下手に陣取っている。
静止画やアニメーションを映すスクリーンが背景の手前にある。
<全体の感想など>
舞台の上でバンドメンバーがチューニングを始める。
ロックとは結びつかない衣装。全員スーツ(またはジャケット)姿。
OKとなったところで、黒のキャップ、ロングヘアーの人物登場。
その人物がしゃべり出す。
「Ladies & gentlemen. Whether you like it or not ・・・HEDWIG !!」
劇場内の左扉が開き、スポットライトを浴びてヘドウィグ登場。
前方席と後方席の間の通路をゆっくりと横切ってゆく。中央まで来て止ま
り、こんどは舞台に向かって通路を歩む。観客の視線を独り占めにして。
金髪のロングヘアー。はおっているのは白のミンク風コート。
舞台に立ち、羽のように両手を広げた瞬間、派手なラクガキ文字と絵が!
音楽に誘われるまま、1曲目から観客総立ちの『Tear Me Down』。
・・・・・・
そうよ~。コレだよ~! 久しぶりに蘇った感覚。素直にうれしかった私。
腰フリフリの耕史くん、イヤー、かわいいやんっ!!
口をとがらせるのもJCMの真似~っ(笑)。でも、キュートだわ。
私ってば、ヘドウィグの音楽さえ聴こえていればキゲンがいいのかも♪
『The Origin Of Love』ではあのアニメと山本ヘドの指差し確認(笑)の
おかげで涙ポロポロさせられちゃうし。
観ているうちに思ったのは、いまこれはロックミュージカルの古典として
上演されているんだなーってこと。そういうジャンルに入りつつあるんだ
と思う。
山本ヘドは恐らくルー・リードやイギー・ポップを知らないだろうし。
ただ、頭では理解しているだろうことはじゅうぶん伝わってくる。
本国のアメリカでは歴代ヘドウィグの中に女優もいるぐらいだし、演じる
人の数だけヘドがいることをすんなり受け入れたい。
ガンバレ、耕史くん・・・。
今回の演出はストーリーをわかりやすくするためか、ずいぶん内容を整理
しているなと思った。猥雑さとか、下品と紙一重のショーアップとか、ア
グリーな要素、民族的ブラックジョークなどはできるだけ排除し、判断に
悩む要素も省いてしまったように思える。
そんな演出のせいか、彼の地なのか・・・
山本ヘドウィグはなんてお行儀がいいんだろう!!
わかったよ。これが今年のヘドウィグなら、それを真正面から楽しむだけ。
歌が始まると海外版ヘドを観ているつもりで頭を切り替えた。それがまた
オツなナイスな感覚の2007年版だった。
アンケートやチラシといっしょに日本語の歌詞カードが同封されていた。
『The Origin Of Love』と『WickedLittle Town』のトミー・ヴァージョン
とヘドウィグ・ヴァージョン。
うっ! あるやんっ!! 日本語訳!!!
あるものまで出しおしみして、日本語字幕にしなかったのは残念。
これだけは怒りの1インチとして、はっきりと書き記しておこう。
<2007年版のディテール・メモ>
●オープニングの衣装
衣装はJCMのオリジナルとよく似ている。表側は星条旗柄じゃないけど。
裏側に描かれたラクガキがベルリンの壁を想起させる。
「私が新しいベルリンの壁!」
両手を広げた時、まさに倒すべき壁となってヘドが客の前に立ちはだかる
には、やっぱりこの衣装じゃないと意味が通らないもんね!
●客席との絡み、アドリブなど
客とのやりとりはほとんど皆無の山本ヘド。数少ない絡みを探してみた。
・25日のハプニング。
ヘドウィグが煙草に火をつけて語り始めるシーン。口にくわえてから
「火がついてないよっ!」と自分でツッコミ。後ろからイツァークがきて
再び火をつけると客席に向かって「ごめんなさい」と謝っていた。律儀だ。
・顔拓。
ほぼ正方形のハンドタオルを使用。顔をふいた後、自分のメイクがついた
タオルを観客に見せて「ヘドウィグのデスマスク」と言い、客席に向かって
投げる。そのタオルを二人が譲り合い、イヤ、取り合いか?(笑)
二人のやりとりを見て「どちらかが取って!」とヘド。行き先が決まったら
「アンタにあげる♪」と付け足した。優しい~。
・『Wig In A Box』
歌の途中で「Everybody」と呼びかけるのは映画やCDと同じ。そのあと観客
が続いて歌うんだけど。歌詞は英語だし、字幕出てないし。不親切~。
●ズタズタ
『Hedwig's Lament』から『Exquisite Corpse』へ。
心身がズタズタに引き裂かれたヘド。自分自身を切り刻んで渡してきたと歌
いながら、渡した相手に手を伸ばす仕草が胸に刺さる。やがてウィッグを捨
て去り、網タイツまで引きちぎる2007年版のヘドに驚いた。
●トミーの額
ズタズタになったヘドの場面から、トミーが歌うシーンへとつながるところ。
山本ヘドは舞台上から姿を消さず、床に倒れ込んだまま。
『Wicked Little Town』のイントロでようやく起きあがるんだけど、額に蛍
光の白い十字架が浮かび上がることでこれがトミーだと認識できる。
十字架はさっきまで額になかったわけだから、いまその場でトミーが十字架
を自分でつけたんだなと想像できた。
6カ月のロック短期集中講座でヘドウィグが「トミーの額に十字架をつけて
あげた」のを、トミーはいつもいつも自分でつけてたんだ・・・ということ
が私の中で急にリアルに感じられ、熱いものがこみあげた。
ちなみに、耕史くんの体はトミー向き。トミーとして歌っている時が一番絵
になっていた。
●『Midnight Radio』について
観劇メモ「ないものはない」ヴァージョンで書きたいと思う。
●イツァークの中さん
耕史くんのことはいっぱい書いたので、ここからは中さんのことを。
映画版DVDの特典ディスクによれば、もともと高いキーのバックアップシン
ガーが欲しくてこの役を女性にしたとスティーヴン・トラスクが言っていた。
高音がきれいな中さん、音楽の演出的にはそのセンを狙ったようだ。
ツァーで前座をつとめさせたら自分よりもうまくてやめさせた、とヘドが語
りの中で証言するのがいかにも納得できる配役。
歌う場面だけじゃなくヘドのママになったり、ルーサー、トミーの声も出す。
特に、言葉が訛っているルーサーがすっごく面白い。
『Wig In A Box』を歌うヘドの横でシャボン玉を飛ばすイツァーク、ここは
アニメーション代わりの演出なんだな~と楽しんで見られた。
今回の役についてご本人の2/15のブログで・・・
あたしは髭面で、女の格好を禁じられた女。でも旦那だ。いや、「だから」
のほうが正しいかな? だから旦那だ。 だね。
って書いてあった。
ここまでハッキリ書いてあるので役割についてはその通りなんだと思う。
ザグレブから連れ出してもらう引換条件として、ヘドウィグに夫として生きる
よう命じられる。つまり、ウィッグをかぶっちゃいけないわけ。
(でもね、髭面じゃないし、明らかに髪が長いため旦那には見えにくい。
ウーン、かぶっちゃいけないのはドラァグクイーン用金髪ウィッグ限定?
黒いロングヘアーならオッケーだったのかなあ?)
ま、どう考えても卑屈な役どころなんだけど、今回のイツァークは耐えている
のではなく、ヘドが好きなんだな~という感じがにじみ出ている。そっちの気
持ちを前面に出している。これはありだなと思う。(仲良しではダメだけど。)
失意のヘドの肩を優しく抱いてあげているイツァークが心に残った。
最後にヘドウィグから解放される場面では、自由になる喜びだけじゃなく、残
していくへドウィグを思いやっているように見え、対等になった二人にグッと
くる。だから『Midnight Radio』の歌詞につながっていくのだと思う。
ラストは白のワンピース。ちょっと乙女チックすぎるけど象徴的ではある。
後日、もしも元気なら観劇メモ「ないものはない」ヴァージョンを書いてみたい。
ヘドウィグ@大阪千秋楽カーテンコール(このブログ内の関連記事)
「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(1)(このブログ内の関連記事)
「ないものはない」ヴァージョン@ヘドウィグ(2)(このブログ内の関連記事)
素直に”無心”になって2007年版のHEDWIGを楽しみ、
感じて、愛したんだなって事が、手に取るように分かりました。
HEDWIG好きな私としても、耕史くんが唄う曲達には大満足で、
逆に英語歌詞でよかったなって思います。
(下手な日本語訳の歌詞で唄われるよりは、断然良かった)
「Tear Me Down」でマント広げて唄いだした瞬間、
鳥肌たってアドレナリン放出してましたもん。(笑)
ムンパリさんも言ってるように、山本ヘドはお行儀が良かったですね。
私的には物足りなかったとトコロもあるのですが、
逆を返せば”愛に溢れたHEDWIG像”を色濃く作り上げていたのかとも思えます。
>ヘドウィグが「トミーの額に十字架をつけてあげた」のを、トミーはいつもいつも自分でつけてた
これ読んで、なんだか泣きそうになった。(笑)
HEDWIGがTOMMYを想い続けてたのと同じ位、
TOMMYもHEDWIGとの最高に幸せだった頃を想いながら、
十字を描き続けてたんだと思ったら泣けてきました。
あぁ~やっぱり私達、HEDWIG大好きなんだよね♪
改めて実感させてもらいました。(笑)
次は「ないものはない」バージョンレポを楽しみにしてます。
あらためて麗さんの感想を読んできました。麗さんのはがゆさが私も手に取るようにわかる!
言い方は違うけれど、けっきょく私も同じ思いを書いてるような気がするよ(笑)。
で、あれ「引き倒せ!」って言ってたんやねーっ。あっはっは。
トミーの十字架のところは、私が直観的に感じただけなんですけどね。麗さんにならわかって頂けると思ってました(笑)。そんなちょっとした発見がうれしいHedwigファンで~~~す。
> 逆を返せば”愛に溢れたHEDWIG像”を色濃く
> 作り上げていたのかとも思えます。
おお~、美しい表現ですね。演出は別として、たぶん、観客は山本ヘドに一瞬たりとも嫌悪感を感じなかったんじゃないかと思います。上演中は山本ヘドも客席からの愛を受け取っていたのではと思います。
しかししかし。
観劇から時間がたつにつれ、今回ないものがイロイロ見えてきて。
「ないものはない」ヴァージョン、おそろしいことになるかも・・・です。
でも、溜めると病気になりそうやからきっと書くけど。こんな私をきっと貴女は2枚舌の女と呼ぶでしょう(笑)。
「ないものはない」バージョンのレポを待ってます。(笑)
HEDWIGを愛する貴方ならできるハズよ♪
頑張って!
辛口レポを期待してる私って、、、(笑)
いろいろ思い出しては、まだ何も文筆しないうちに胃液ばかりが分泌される今日このごろ(笑)。
元気を溜めてから一気に書き出します。お待ちくださいましっ。