「メモリーズ・コーナー」
監督・脚本:オドレイ・フーシェ
出演: デボラ・フランソワ 西島秀俊 阿部寛
フランソワ・パピニュ 國村隼 塩見三省 倍賞美津子 ほか
2011年フランス/カナダ製作
公式サイト >> コチラ
<ストーリー>
フランス人ジャーナリストのアダ(デボラ・フランソワ)は、
95年に起きた阪神・淡路大震災の式典を取材するために神戸を
訪れる。街は復興し、誰もがかつての悲劇と決別し、豊かな暮
らしを楽しんでいるかのように見える。通訳の岡部(西島秀俊)
を伴い、かつての被災者の家を訪ね歩くアダの前に、いまだに
後遺症に悩む寡黙な石田(阿部寛)が現れる。かたくなな態度
をとる彼の心を開かせようとする彼女に、岡部は彼が現世の男
ではないと忠告する。しかし彼女は不思議な石田に魅せられ、
取材にのめり込んでいく。
やがて彼が幻であることを悟った彼女は、岡部の故郷、淡路島
の美しい風景の中に石田の記憶を見出していく…。
(公式サイトより引用)

9日土曜日、メモリーズ・コーナー観賞。
チラシ、リーフレットにはこう書かれている。
~本作品はフランスの気鋭女性監督オドレイ・フーシェが、
神戸&淡路島を舞台に、神戸の震災後の社会に影を落とす
“愛する者を失う喪失感”“孤独死”をテーマに希望をこ
めて創ったフランス映画である。~
阪神淡路大震災を題材にした映画。リアルな再現ドラマじゃな
く、小泉八雲を思わせる幻想世界に普遍性を感じた。
心の弦をかき鳴らす場面がラスト近くにあった。
それは感動というのとはちょっと違う、共振とか、シンクロと
かの言葉が近いかもしれない。身近な人の死に直面した経験の
ある人なら共感できるものがある映画だと思う。
残された者が現世を生きるために折り合いをつけるように、先
に逝った者にも折り合いが必要なのかもしれない。でも、その
折り合いが今なおつけられずにいるとしたら・・・。
テンションを抑えた口調ながら、含みを持たせた台詞と表情に
引き込まれそうになる阿部寛さん。
フランス語をしゃべっても感情の伝え方が日本語の時と全く変
わらない西島秀俊さん。フランス人女性ジャーナリストを見つ
める視線がビジネスの一線を越えた瞬間はいつ?
個人的な問題を抱えながら来日し、異文化、異体験に遭遇する
女性をフランス人らしい個性で演じるデボラ・フランソワさん。
橋を渡って帰るアダの寝顔に生還の二文字が浮かんで見えた。
主演3人の会話が醸す独特の静けさが今も耳の奥に残ったまま。

●映画館のこと
久々に会う大先輩とふたりで元町映画館に行った。
14時40分から始まるから、11時半過ぎなら整理券は5番以内かな
との予想に反し、24番・25番だった。もっと驚いたのは上映開
始前に映画館に戻った時。よもやの賑わい!なんと館内は満席
で通路席の人までいたほど。出演者の舞台挨拶もない日なのに
この集客力。映画の題材やロケ場所からいって地元の人の関心
が高いということなのか? それとも西島・阿部人気のせいな
のか? 私は両方ですけどね♪ それにやっぱり神戸の映画館
で見るのが一番しっくりくると思ったから。
「ここは手作りの劇場ですが今日はたくさんの人が来られて驚
いています。前の人の頭が気になるかもしれませんので帽子を
かぶっている人は脱いでください・・・」。
混雑ぶりに恐縮する劇場スタッフさんの挨拶が微笑ましかった。
元町映画館のツイートによれば、劇中でお地蔵さんに手を合わ
すおばあちゃまもここに見に来られたそうだ。
●私的体験
地震の映像に涙が出るのは、映画の筋とは直接関係のない条件
反射のようなもの。
それとは別に、ラスト近くの映像にある私的体験が重なり、突
然腑に落ちて涙があふれた。涙がぬぐい切れないタイミングで
映画が終わってしまいウロタエタ(笑)。他人には話せないこ
とをビジュアルで具体的に見せてもらったことへのオドロキと
安堵のせい・・・とでもいえばいいのか。それだけでもこの映
画を見てよかったと思う。
もう一つの私的事情は年に一、二度お墓参りのために渡る明石
海峡大橋のこと。淡路島は私の生まれた島で、震源地。厳密に
いえば、震源地とは少し離れているけれど、あの岡部の台詞に
強く反応したのはたしか。同じく淡路島で生まれ、神戸で亡く
なった(震災が原因ではない)両親に会いに、毎年、明石海峡
大橋を往復する。
橋を渡って、橋を戻る。映画でそのことが象徴的に使われてい
たのがうれしかった~。
<おまけ~ツッコミーズ・コーナー>
高速バスのバス停がマリンピア神戸のポルトバザール前になっ
てる~(同行者談)とか、六甲山というのは布引ハーブ園のこ
とかいっ、とか。地元ならではのどうでもいいツッコミも楽し
みつつ。
そ~いえば関西弁をしゃべるのは國村準さんと福本清三さんだ
け。淡路島に住む岡部の母親も標準語。(倍賞さんの母親役も
ミステリアスな雰囲気でした。障子に映る影も含めて。)
それでも映画は違和感なく観られました。
映画の前後にもう一つのメモリーズ・コーナーが♪
そちらはまたあらためて。
監督・脚本:オドレイ・フーシェ
出演: デボラ・フランソワ 西島秀俊 阿部寛
フランソワ・パピニュ 國村隼 塩見三省 倍賞美津子 ほか
2011年フランス/カナダ製作
公式サイト >> コチラ
<ストーリー>
フランス人ジャーナリストのアダ(デボラ・フランソワ)は、
95年に起きた阪神・淡路大震災の式典を取材するために神戸を
訪れる。街は復興し、誰もがかつての悲劇と決別し、豊かな暮
らしを楽しんでいるかのように見える。通訳の岡部(西島秀俊)
を伴い、かつての被災者の家を訪ね歩くアダの前に、いまだに
後遺症に悩む寡黙な石田(阿部寛)が現れる。かたくなな態度
をとる彼の心を開かせようとする彼女に、岡部は彼が現世の男
ではないと忠告する。しかし彼女は不思議な石田に魅せられ、
取材にのめり込んでいく。
やがて彼が幻であることを悟った彼女は、岡部の故郷、淡路島
の美しい風景の中に石田の記憶を見出していく…。
(公式サイトより引用)

9日土曜日、メモリーズ・コーナー観賞。
チラシ、リーフレットにはこう書かれている。
~本作品はフランスの気鋭女性監督オドレイ・フーシェが、
神戸&淡路島を舞台に、神戸の震災後の社会に影を落とす
“愛する者を失う喪失感”“孤独死”をテーマに希望をこ
めて創ったフランス映画である。~
阪神淡路大震災を題材にした映画。リアルな再現ドラマじゃな
く、小泉八雲を思わせる幻想世界に普遍性を感じた。
心の弦をかき鳴らす場面がラスト近くにあった。
それは感動というのとはちょっと違う、共振とか、シンクロと
かの言葉が近いかもしれない。身近な人の死に直面した経験の
ある人なら共感できるものがある映画だと思う。
残された者が現世を生きるために折り合いをつけるように、先
に逝った者にも折り合いが必要なのかもしれない。でも、その
折り合いが今なおつけられずにいるとしたら・・・。
テンションを抑えた口調ながら、含みを持たせた台詞と表情に
引き込まれそうになる阿部寛さん。
フランス語をしゃべっても感情の伝え方が日本語の時と全く変
わらない西島秀俊さん。フランス人女性ジャーナリストを見つ
める視線がビジネスの一線を越えた瞬間はいつ?
個人的な問題を抱えながら来日し、異文化、異体験に遭遇する
女性をフランス人らしい個性で演じるデボラ・フランソワさん。
橋を渡って帰るアダの寝顔に生還の二文字が浮かんで見えた。
主演3人の会話が醸す独特の静けさが今も耳の奥に残ったまま。

●映画館のこと
久々に会う大先輩とふたりで元町映画館に行った。
14時40分から始まるから、11時半過ぎなら整理券は5番以内かな
との予想に反し、24番・25番だった。もっと驚いたのは上映開
始前に映画館に戻った時。よもやの賑わい!なんと館内は満席
で通路席の人までいたほど。出演者の舞台挨拶もない日なのに
この集客力。映画の題材やロケ場所からいって地元の人の関心
が高いということなのか? それとも西島・阿部人気のせいな
のか? 私は両方ですけどね♪ それにやっぱり神戸の映画館
で見るのが一番しっくりくると思ったから。
「ここは手作りの劇場ですが今日はたくさんの人が来られて驚
いています。前の人の頭が気になるかもしれませんので帽子を
かぶっている人は脱いでください・・・」。
混雑ぶりに恐縮する劇場スタッフさんの挨拶が微笑ましかった。
元町映画館のツイートによれば、劇中でお地蔵さんに手を合わ
すおばあちゃまもここに見に来られたそうだ。
●私的体験
地震の映像に涙が出るのは、映画の筋とは直接関係のない条件
反射のようなもの。
それとは別に、ラスト近くの映像にある私的体験が重なり、突
然腑に落ちて涙があふれた。涙がぬぐい切れないタイミングで
映画が終わってしまいウロタエタ(笑)。他人には話せないこ
とをビジュアルで具体的に見せてもらったことへのオドロキと
安堵のせい・・・とでもいえばいいのか。それだけでもこの映
画を見てよかったと思う。
もう一つの私的事情は年に一、二度お墓参りのために渡る明石
海峡大橋のこと。淡路島は私の生まれた島で、震源地。厳密に
いえば、震源地とは少し離れているけれど、あの岡部の台詞に
強く反応したのはたしか。同じく淡路島で生まれ、神戸で亡く
なった(震災が原因ではない)両親に会いに、毎年、明石海峡
大橋を往復する。
橋を渡って、橋を戻る。映画でそのことが象徴的に使われてい
たのがうれしかった~。
<おまけ~ツッコミーズ・コーナー>
高速バスのバス停がマリンピア神戸のポルトバザール前になっ
てる~(同行者談)とか、六甲山というのは布引ハーブ園のこ
とかいっ、とか。地元ならではのどうでもいいツッコミも楽し
みつつ。
そ~いえば関西弁をしゃべるのは國村準さんと福本清三さんだ
け。淡路島に住む岡部の母親も標準語。(倍賞さんの母親役も
ミステリアスな雰囲気でした。障子に映る影も含めて。)
それでも映画は違和感なく観られました。
映画の前後にもう一つのメモリーズ・コーナーが♪
そちらはまたあらためて。