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市街美に町位を荘厳する-臼杵の市民力

2008-03-02 23:52:12 | 日記・エッセイ・コラム

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 全国で春一番が吹き荒れた2月23日、地域づくりの仲間たちと大分の臼杵のまちを訪ねた。十数年前から臼杵のまちをしばしば訪れるようになったが、歴史的町並みはそのたびに様々な顔を見せてくれる。臼杵の景観を守る会会長・斉藤行雄さんたちが開催した「まちづくりセミナー」では、臼杵デザイン会議、臼杵伝統建築研究会、うすき竹宵、うすきツーリズム研究会、ふるさと風の映画学校、大分建築士会臼杵支部と、臼杵のまちづくりを支えるグループによるディスカッションが交わされていた。Img_0011_edited 八町大路とよばれる中通り中央商店街のアーケードが撤去され、二王座歴史の道などと調和した歴史的景観が形成されたが、商店街店主や市民意識の向上、観光施策と町並み保存のあり方などが課題として議論されていた。感心したのは、行政から自立した各団体が、自らの主体性をつむいでまちづくりに取り組んでいること、安易に「一つにまとまらない」ことで、多彩な強みを発揮している市民力の成熟度である。Img_0061_edited

  斉藤さんからお聞きした臼杵の景観を守る歴史のなかで、昭和9年に臼杵史談会が提唱した『名蹟の標石建設』の一節が印象深い。「臼杵の名蹟は・・洵に臼杵の誇りであり、また光彩であり、更に市街美の上に典雅なる潤いを与え、町位を荘厳すること、そも幾許であるか量り知れない」。゛市街美の上に町位を荘厳する゛という市民の文化意識の高さがうかがえる。その標石の一つ、畳屋町のT字路に立つ「石敢當」旧址を案内してくれた。「石敢當」(せっかんとう)は、悪魔を追い払うという石。敢當とは無敵の意味。福建省から伝来し、沖縄など西南諸島に広く分布しているらしい。異文化は西南の海からやってきた。Img_0063_edited 洋風建築「サラー・デ・うすき」の裏には、ポルトガルタイルの見事な壁画の蔵がある。ポルトガルとの交易をすすめた大友宗麟ゆかりの町らしいシンボルである。蔵には紙の雛飾りが展示されている。 天保の改革の頃、第14代臼杵藩主・稲葉観通の倹約令によって雛人形の雛飾りが禁止され、紙雛のみが許されていた当時の紙雛を復元したものだ。Img_0010_edited

 臼杵デザイン会議が手掛けた古民家再生の経験を「伝える技」事業も取り組まれており、「大工講座」「造園講座」での技術の継承によって文化財を維持していると聞いた。会員によって古民家を買い取り、再生した家を見学させていただいたが、古いものの継承と新しい暮らし方の創造がなされ、いつまでも座っていたいと思うような快適な住まい空間を提供していた。Img_0054_edited 斉藤さんの新たな再生プロジェクトの対象物件にも案内された。中高年の大工講座会員による共同作業で古民家を再生するとのことだ。一人ひとりの市民の力によって臼杵らしい町の市街美を蘇らせる。斉藤さんたちがすすめる究極の市民型ナショナルトラスト運動は、西南の海からきた交流文化が育てた進取の風なのだと思ってみた。


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