調律学校時代
バンドを組んで 学園祭で
演奏したっけ
僕が選んだのは
オフコースの イッツ オーライ
キーボードの ジュンは
クラシックしか 知らなかったから
エントリーせず
あとは 適当に作曲した
オッペケペーな曲と
全部で 4曲くらい演奏したっけ
中学 高校と 文化祭では ギターとボーカル
この後 浜松で知り合った仲間とのバンドでは
ピアノを担当して・・・
忠実なコピーが 出来ないから
オリジナルばかり 演奏していた
いつだって 自分に出来る領域の中でしか やらなかった
ふうん
今 楽器を造るときも
僕は 昔の楽器のコピーをせず
自分で図面を引いて オリジナルな設計をする
考えてみると
それは 逃避かも知れないし
でも 創作かも知れないし
何かを 楽しみたい時に
その時の自分のレベルで 楽しむためには
自分で創りだすしかないんだ
それは ある意味 近道で
でも 本当は ものすごい遠回り
新幹線でなく 歩いて京都まで行くようなもの
ふうん
あの頃から 今も
ずっと 最短距離の遠回りをしている
そして これからも 遠回りしていくんだろうな
イッツオーライ うまくゆくさ きっと
バンドを組んで 学園祭で
演奏したっけ
僕が選んだのは
オフコースの イッツ オーライ
キーボードの ジュンは
クラシックしか 知らなかったから
エントリーせず
あとは 適当に作曲した
オッペケペーな曲と
全部で 4曲くらい演奏したっけ
中学 高校と 文化祭では ギターとボーカル
この後 浜松で知り合った仲間とのバンドでは
ピアノを担当して・・・
忠実なコピーが 出来ないから
オリジナルばかり 演奏していた
いつだって 自分に出来る領域の中でしか やらなかった
ふうん
今 楽器を造るときも
僕は 昔の楽器のコピーをせず
自分で図面を引いて オリジナルな設計をする
考えてみると
それは 逃避かも知れないし
でも 創作かも知れないし
何かを 楽しみたい時に
その時の自分のレベルで 楽しむためには
自分で創りだすしかないんだ
それは ある意味 近道で
でも 本当は ものすごい遠回り
新幹線でなく 歩いて京都まで行くようなもの
ふうん
あの頃から 今も
ずっと 最短距離の遠回りをしている
そして これからも 遠回りしていくんだろうな
イッツオーライ うまくゆくさ きっと