先の戦争に思う・・4️⃣ 「近衛 文麿の言い訳」②
参謀石原莞爾は近衛が「事件不拡大」を提唱しながらも「第一次北支事変費予算案」を
閣議決定し日中戦争が深みにはまる事を危惧し日中首脳階段を提唱したが、近衛は最初は
大変乗り気になり南京行きに対し飛行機を手配までしていたが、優柔不断にも直前で
キャンセルし蒋介石との和平への首脳会談を取り消した。莞爾は・・・この時
「二千年にも及ぶ皇恩を辱うして、日本を滅ぼすものは近衛である」と叫んだ。
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さらに、8月2日には宋子文を通じて再度和平工作を行おうと宮崎龍介を上海に派遣するも
陸軍内の強硬派が動き、宮崎に憲兵が立ちはだかり彼は拘束されてしまった。
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プロパガンダとしても初代NHKの総裁は後藤新平であるが、二代目はしばし間をおき
近衛 文麿がNHK総裁としてその席に死ぬまで座り、朝日新聞と共に「ミッドウェー海戦で
日本軍、米戦艦を何隻も打破する !」などと偽りの戦争結果を幾度も流し庶民を喜ばせ
「イケイケドンドン」とばかりにケシかけ最後には少年兵まで肉弾でアメリカ艦隊
へ突っ込むまでして家族を守ろうとする悲惨な結果を生んでしまった。
原爆投下や東京等の大空襲も上のものは事前に分かっており軽井沢、鎌倉などへ逃げ込み
自分らは助かろうと画策していた可能性が高い。
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当初 参謀本部・石原莞爾の考えは南方へまず進軍しアジア諸国の独立を促し貿易で主導権
を握り資源を求め、インドともガンジーを助けアジア植民地諸国の独立機運を底上げする
考えであった。決して無謀な侵略行動は軍はとってはいなかった。
しかし「赤」に染まった近衛と風見、尾崎らの裏工作で大日本帝国はもう引き返すことの
できない大東亜戦争へ深く突入し世界的にはドイツと共に第二次世界対戦の真っ只中に
何者かに誘導されたかの様に進んで行く事となる。