記憶 2007年07月27日13:52

2007-07-27 | 日記
須賀敦子さんのエッセイ集を読むたびに
その記憶の確かさと豊富さに圧倒される。
そう言えば向田邦子さんにも同じことを感じたな。

私の記憶は実にあやふやだ。
特に幼少期の記憶など殆ど無い。

記憶というのは親や兄弟や周囲の人々と
何度も語り合い反芻しあうことで「思い出」
に姿を変えるのではないだろうか。
語り合う人が居ないときは日記に書く…とか。

一人っ子で、夏休みの日記でさえさぼってたしな。
その上「秘密」を抱えてた家族だったから
昔の話を語り合う事もなかったし。

先日静岡の繁華街を車(セダン)走っていた。
ビルの間の鳥居を見たとき急に記憶が甦ってきて
「あっ!ここ覚えてる。昔オトーチャンがアルバイトで
 お盆作ってたお店があったよね。」
と隣にいた母に話しかけたら「そんなはずないよ。」と
笑われてしまった。

でもハッキリ思い出した。
私は退屈で、狭くて急な階段に座っている。
誰かが竹の笊に茹でた新じゃがを持って来てくれた。
後ろでは父が四角い木のお盆を作っている。
暗い階段で食べたお芋は塩が効いて美味しかった。

何歳だったのだろう、あの日の私は。
私を連れて父が働いていたのだから、
わたしの生母が入院していた頃か…
逝ってしまった翌年の春か…
いずれにしても3歳ごろか。

いつも幼い頃の記憶を口にすると
「覚えてないなあ」とかわされるか
 「勘違いだよ」と言われた。
そのことを恨んではいない。
育っていくには必要だったのだろうから。
でも、そのことで消えていった記憶が少々惜しい。


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