(この記事の文章は、私が自分の掲示板に投稿した文章のコピペです)
掲示板投稿日:2014年 9月 9日(火)11時03分20秒
愛国心とは「自分の国を大切に思う気持ち」だと私は思う。
右翼も左翼も、普通なら自分の国を大切に思い心配するが故の考え方だと思う。
しかし今の日本には、愛国心とは対極の反日右翼や反日左翼という運動家まで存在する。
例えば、同じ「反原発」運動でも、日本を純粋に愛するが故の「反原発」の人もいれば、日本への反日運動として「反原発」を行っているグループも存在する。
「反原発」や「9条の会」と「日本赤軍」の資金母体が同じだったり、「さよなら原発1000万人アクション」と「コリアン情報ウィークリー」が同じ住所で活動している現実を知らなかったでは済まないということ。
私は、日本を純粋に愛するが故の左翼運動には反対しないが、日本を壊したいための反日運動には大反対だということである。
私自身は「反原発」賛成派だが、反日運動家の「反原発」には反対である。
反日左翼を区別しない盲目的な左翼運動には反対なのである。
さらに踏み込めば、私は「反原発」だが「再稼動反対」ではない。
現存する原発を廃炉するには30年とも40年ともいわれる年月を要するが、廃炉作業の期間中であっても稼働中と同様の安全対策が原発には必要である。
単に再稼動しなければ安全が担保されるというものではない。
では再稼動しないと決めた原発に、稼動する際と同様の安全対策を施してくれるのか?
施してくれるのなら、私は安心して「再稼動反対」を唱えるだろう。
しかし再稼動しないと決めた原発に、廃炉までの期間の安全対策を施すための予算を新たに割いてくれる電力会社はあるだろうか?
おそらく無いだろうし、それを求める運動家もきっといないだろう。
それなら、稼動を認めて安全対策を徹底させることに注力する方が現実的な安全対策ではないかと思う。
繰り返し申し上げるが、原発は稼動しなければ安全というものではない。
廃炉が完了するまでは、稼働中と同様の危険がそこに残っているのだ。
対案無き反対運動からは何も生まれない。
むしろその運動内容によっては、日本が壊れてしまう恐れすらある。
そういうことを現実のものとして捉える想像力や危機管理を忘れてはいけないと思う。
心からの願いは「この誇らしくも美しく素晴らしい日本が、私たちの子どもの時代にも、子々孫々変わらず平和に受け継がれていきますように」ということ。
コピペ元記事→ 「愛国心」とは何だろう?
お・ま・け → 「愛国心」とは何だろう? [その2]