感情が動くところに金は流れる
まずそれを前提とします
感情は認識から生じます
認識が動くところに金が流れる
認識は信念から生じます
信念が動くところに金が流れる
信念は知覚から生じます
知覚が動くところに金が流れる
〜ここまでが心のメカニズムの領域
知覚はAから生じます
Aが動くところに金が流れる
AはBから生じます
Bが動くところに金が流れる
・・・・・
これを永遠に辿っていっても
ミクロの物理学のように
永久に終わらない気がします
でも大事なのは
「人間が捉えている領域」には
限度がある
それこそが大事だと考えます
この範囲で何か新しいものを行っても
それは人間の心を動かさない
という事です
例えば私は
YOUTUBERを職業として見たら
余りにも奴隷すぎる選択だと
ビジネスの観点からは考えます
人間の認識より後のものを「人工物」
と定義するなら
youtuberは
人工物の中の
人間によって飼い慣らされる
奴隷だからです
ここで飯を食って
ここで排泄をして
ここで寝る
をしつけられたペットと
<あくまでビジネスととらえるなら>
何も変わらない
人間社会が崖ギリギリでたどり着いた
秘境の楽園のオーナーは
既に確定しているからです
この楽園の最初のオーナーは
「人間の認識」より前の段階の
何かの道理を堀りあてた
それを実現させた
他の人間にとって
それにはじめて触れた時
それは「人工物」ではなく
「自然」だと捉えたに違いない
人工物の中に自然を捉える不思議
そんな話しはよくあるが逆である
もともと「自然」を「人工物」に
変えた事を知っている開拓者以外だから
そんな卵から鳥が生まれる事を
不思議だと思う
人間の認識前の「自然」
これを開拓する学問自体は
随分と未発達な領域
それは「人間の生命」の機能によって
どうしても阻まれているからだ
この阻まれている領域から
人間にとって受け入れられるものを
発掘する
海賊のようなアプローチ
これこそが
結果金を生むのだと信じ始めた