世界を1つにする動きがあります
その1つに共有があります
ずいぶん前からグーグルは
この共有サービスで
とんでもない功績をぶっちぎりで
進めてきました
その当時私も
次はどんな事が出来るのか
とんでもなくワクワクしていました
間違いなく素晴らしい
発明といっていいほど
共有が進みました
その時から
プライバシーの問題は
よく言われていましたが
そんなことは全く気にもしませんでした
それが私自身が
プライバシーを本気で気にする状況に
陥った時には
今まで素晴らしかったその共有の世界は
一気に自分にとって脅威として
判別されました
身の回りのすべての電子機器に
触れることさえ恐くなる
今では笑い話ですが
実際に自分が経験した事として
これから一生忘れることは
ないでしょう
グローバリズムのような
大きな流れも
この共有と本質的に似ている流れだと
思います
そして今
ずいぶん前から
世界中で真逆の流れが
強くなってきました
共有や1つになることを
拒否する流れだとも言えます
どんな時に人間はそうなるのか
それは
人間にとって何か大切なものを
脅かされている時
ここまでは入ってきてほしくない
という
パーソナルスペースのような問題
これは言い換えれば
個人の命の原型とでも言える
命がむき出しになったときに
見えるような何かです
それを私は
「その人のオリジナリティー」だとか
「一つの生命の自分」
などと呼んでいます
これが脅かされ
これに反発しようとする力が
共有や全てを1つにする力を
阻んでいる核だと考えています
今超個人主義だとか
言われる時代になっている理由は
それだけ
一人一人のパーソナルスペースが
脅かされる状況に
世界がなってきているからだと
考えています
囚人のジレンマのように
それは社会全体のメリットを
考えた上では
得をしない動きに進んできている
とも言えると思います
それはさておき
人間が「生きる」ことを止めない限り
人間は「オリジナリティー」を
持っており
そのオリジナリティーが脅かされる時
爆発を起こします
境界線を作り出すのです
この境界線こそ
人間が人間である唯一の証と呼べる
ある意味人間にとっての「神」
なんではないかなと
私は思います
友達でも
家族でも
経営者でも
国家でも
原理は全て同じ事
それは
独立であり
自立であり
主体性であります
人間からオリジナリティーを
奪うことができない限り
世界は絶対に1つにはならない
これを考えたときに
「生きること」という難題にも
少し答えに近づくことができる
そんな気もします
私が生きるというのは
私にとってのオリジナリティーを
失わず奪われず
養って強めて
より純粋にしていく行為であり
まず
敵によって失わない事が一番大事
そして
敵がいない状態でも
それを育てて純粋にしていくことが
出来なければ
結局それは失われてしまう
一つの革命が起きたとしても
その後自分達のオリジナリティーを
維持できなければ
結局それは失われてしまう
「死ぬ」ということである
こんなことを考えていると
芸術家と呼ばれるような人達が
何をしているのかにも
理解が進む気もします