内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

結婚と離婚

2020-06-15 21:45:05 | ビジネス境界線
家族の定義とは


ある人は
「一緒に生活している人」
だと言いました

だから
「一緒に住めなくなった」ので
家族ではなくなりました



私は
「お互いの事実を
最もよく知りあっている人達」
だと思いました

だから
私は結婚離婚とは関係なく
家族は家族で存在します

逆に一緒に生活していようが
一緒に生活していなかろうが

実の親でも「家族でない」状態が
存在します



一般的な家族の定義は
法律上の「結婚」「戸籍」などと
リンクしているように見えます

人間は社会的な生き物の要素も
強いですから
こういった社会上の概念を
自分の中に取り入れることも
重要です


ただし
その枠組みが自分自身の
感じている家族の定義と
ずれてくると
歪みが生じてしまいます


自分だけの定義と
社会のルールがずれていれば
社会に合わせる人も多いでしょう
それは単純に生きるためでもあり
重要な事です


でもどうしても
自分自身の考え
自分ルールを
無視する事が出来ない

そんな時には
社会の後ろだてを失っても
自分ルールを突き通す
という選択をする人がいます


「オリジナリティーを選択している」

そんな状態は
駆け引きのシーソーゲームがあった中に
生まれています

社会ルールを選択するも
私ルールを選択するも
同じこと



私は古風な家族感だと言われました

私の家族感の深い根底に
昔ながらの
亭主関白な家族間
すなわち
亭主が家族の唯一の個人
それに派生する枝葉が家族である


このコンテンポラリー組織論
が私の中にあることを
見事に見抜かれていました


どうしてなのか
それを考えれば
単純に育ちの問題




祖父祖母の家庭は
職業軍人
一代でのしあがった経営者
どちらのお家も
私が亭主最強
どうやって家族を
何人養うことができるか


こんな家族感が
自然に育っていました



祖父のように
自ら戦争を仕事とするような
強い意思で
家族を守り養うことが
出来るのか

祖父のように
大きな事業を掴みとり
時代の流れの中で
いつも美味しいものをご馳走してくれ
いつも楽しそうに事業を語り
いつも心に余裕がありながら
一族を繁栄させることが出来るのか


自分の親父みたいに
逆境の中でも
時代の流れにのり
自分の体を犠牲にしてでも
稼ぎに稼ぎに
うちのばばあの使っている
とても高い化粧品を買って
あげられるのか


こんなものが私の家族観

それは古風と言われて仕方ない



でもこんな私自身が
本当のところ
友達や女性や仕事仲間に
どう思ってきたか



自立していない人間
とは付き合いたくない

頼られると気持ち悪くなる

自分が誰かを「養う」
ということに気持ちわるさを感じる

個が立った変な人が好き

そんな人達と自分が渡り合えるくらい
自分が個が立ち

お互い個が立った
関係の仲間の中にいたい

そんな自分と他人が集まれば
私は家族になれる

それが自分の家族観

子供が欲しいとも思う

でも個が立つまでの間
私は自分の子供を
嫌いになってしまうかもしれない

私の本当の家族観はこんなもん