評価されないよりは
やっぱり評価された方がいい
心が健康であることは間違いない
でも評価されない時というのは
自分がどんな事を大切にしているかが
よく分かる
その大事にしているものの
理解者がいないから
評価されないのである
永遠と自分の気持ちが
自分の中だけでぐるぐるする
だから自分と他人の区別が
とてもわかりやすい
行きすぎれば病気になるが
常に評価され過ぎるのも
自分が誰だかわからなくなる
可能性もある
評価されると自分と評価者は一体になる
評価者が権力を持っていれば
表面上自分はそれ以外の人からも
評価を受けることになる
本当に自分を評価している人と
表面上そうしている人との差は
わかりにくくなるものです
こんな時は幸せなのだけれど
一人の自分が弱っていることを
理解しておかなければなりません
どいつもこいつも
私と同じに見えたら要注意
とても危ない危険信号ですね
これはバブルの力を持っています
気づいたときには時遅し何てことも
評価されないことは一人の自分として
自分をみつめ見直す
そんな大切な機会でもあります
何で評価されないのか
相手を理解していないから
相手から理解してもらっていないから
単純なのですが
これに気づいて実行してもなお
効果が現れなければ
間違いなく
そこにいるべきではない
それだけが答えです
いくら考えても時間の無駄
いつか理解し合える時がくるかも
しれない
でもそれは一代じゃ無理な次元の話かも
確実に
理解できる
理解してくれる
幻想でもそんな感覚になれる他人
というのは存在します
そんな人に出会うと
今までの苦労が嘘のように
自分が評価される人に変わるのです
たったそれだけ
でも頑張ろうとする人もいる
認められない状態から
認めてもらえるようになろうと
その中で
例えば
今まで認めてくれた人が
認めてくれなくなった
こんな時はなおさら諦めずらい
それは人が変わったのです
今は一緒にいるべきではない
それだけです
人はもっともっと流動的に
なればいいと思います
感情を排除しようとする
機能の大人社会も
結局評価となれば
感情で決まるのです
ただ本当に他人なんてどうでもよい
環境なんて自分に影響を与えない
そんな人になったときだけは
評価者を見つける旅も終わります
いつかそんな自分になりたいと
思いますが相当先になりそうです