ビジネスの中でよく出てくる言葉
競合
競合他社なんていう言葉で
しょっちゅう登場します
しかし私は今までこの競合という言葉に
自分のビジネス周りで
ほとんど出会わずに仕事を
してきました
それに私自身が競合という言葉から
感じる意味に余り価値を感じていない
とも感じてきました
競合とは簡単に言えばライバルです
しかし競合という言葉には
ライバルという言葉以上に
熾烈なエグさを含んでいると
私は感じます
もっといえば単純に
敵
を指す言葉の方がしっくりきます
ライバルという言葉は
同じ世界を築いている
パートナーのような仲間意識が
含まれており
一次元上の視点から眺めている
「余裕のある」言葉です
しかし競合という言葉には
「生き死に」
「サバイバル」
「弱肉強食」
といった言葉の方が似合うと
感じています
この「競合」ですが
経営の学問の世界などでは
「必ず認識するべきもの」として
どーんと登場します
もう一度言うと
「必ず認識すべきもの」なのです
そういう教科書の雰囲気です
どこかの会社を理解する時に
色々なフレームワークが登場します
それぞれのフレームワークの誕生には
学者なりのストーリーがあり
それは価値のあるものが
今でも残っている
それは間違いのない事実です
このフレームワークにも
勿論競合を認識するというのは
当たり前のように
出てくる訳ですが
最初に書いた通り
私は仕事の中で自分が属してきた組織で
それを意識することは
今まで全くなかったのです
それは立場のせいだろう?
と言われればそういう部分も
ある時期もありますが
私自身が競合を意識するような
組織に属したくない
そんな仕事をしたくない
そう思って属する組織を
選んできたからだと
今だととても感じます
競合とは
自分の立場を脅かすほど
恐ろしく利益が対立した存在です
そんなものは誰だって
いないに越したことはないのです
私も当然そういう目で
仕事での自分のポジションを
選んできました
利害がぶつかる競合とは
これは言い換えると
お互い同じものを価値あるものとして
戦っているということです
価値観が同じ世界なのです
それを共有する組織の集まりが
競合でもあり市場でもあり業界でもある
だから
本当の意味で同じ世界観で生きている
そんな人同士の競合なら
これはライバルになります
こんな独立資本同士は
競合でありよきライバルにもなります
しかし現代のビジネス戦争というのは
残念ながらそういう関係性の
競合関係の事を「競合他社」と
呼んでいるわけではありません
どんな手を使ってでも
相手をおとしめ
自分のポジションを優位にする
その対象としただけの競合
要するに
「金という共通規格の中での
戦いによる服従」
という観点のみで
競合という世界観を作り出す
その切り口で世の中は作られている
何も現代に限った事ではないが
その切り口自体が
「「実につまらなーい」」
と私はなってしまうので
そういう組織をどうしても
避け続けて生きている
そんな組織にいるととても面白い
本当に価値を持っている
(と少なくとも独立主体は考えている)
という世界と
共感するからそこにいるわけで
一緒に働いているのだけど
会社が大きくなったり
会社が潰れそうになったり
独立資本パワーが失なわれると
とたんに社会の餌食となり
つまらないつまらない
「共通価値観=カネ基軸」
のキリクチによって
途端に支配されていくのである
本当の価値は失われていなくとも
その蝕みのパワーは凄く
なんていっても全人口の大多数を
占めるサラリーマンという
「共通軸愛」を神とした人間種が
一斉に襲ってくるのであるから
当然である
競合なんてそもそもいない
本当に自立した人には競合なんていない
何故なら自分と同じ世界軸で
生きている人などこの世にいないことを
知っているからである
人間の凄みとは
こういうところから来ると思う
私はそういう人を師匠にしたいし
私はそういう塊の組織で働きたいし
私自身がいつかそうなりたいと
ひそかに思っている
私は相対評価の試験を受けたが
一回も自分の競合なんて
意識しないで勉強してきた
相対評価の試験を
相対評価として勉強するかどうかは
その試験に対する目的が
どれだけユニークであるかだと思う
概念上や先人の有難い言葉とかとは
関係なく
敵なんていない
遇えていうなら自分との戦い
そういう事になる
経営者なんてそんな人ばっかりだ
私は経営者には向いていないが
経営者の心は少しにたものを
理解することができる
競合なんてくだらない概念は
共通軸で生きる人にしかいらない