内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

美しいものはどうにも出来ない

2020-06-16 00:34:20 | ビジネス境界線
私は死ぬほど猫が好きで

一緒に住んでいた猫を

抱きしめる
顔をすり付ける
怒らせて笑う
そっと観察する
手を持って一緒にふってみる
餌を食べている横に顔をつけて邪魔する
外でけんかしているのをじっと観察する
動物を残酷にいたぶる様子にひく
回転させて目を回させ笑う
反転できない高さから落として笑う

とにかく好きで好きでたまらないため
限度を知らない

いつでも見つければ近寄って
ちょっかいを出してしまうし
とんでもなく嫌われているのを
分かっているのに
くっつくことをやめない

昔から何でこんなに好きなのに
猫から好かれないのだろうとか
本気で思っていたのが恐ろしい

でも

本当にたまに
猫から甘えてくるときがある


だいたい寒いときとかに
膝にのってくるとかなのだが

寝ぼけているときには
だいたいすりよっくるし
ゴロゴロする


布団の中に入れてくれ
の時もあるし
わざわざ2階に上がってきて
部屋に入れてくれと
ねだるときもある


こんな時
不思議だけれども

あんなに好きで好きでたまらない
気持ちが
猫からすり寄ってこられると
5分くらいで嫌になるのである


猫様ともあろう方が
そちらから近寄ってくるなんて
なんてことであろうか

という気持ちで
何とも嫌な気持ちになることが多い



私にとって美しいものは
甘えてこないものだったのである



これは女性についても
同じ原理が働いてしまう



とても好意的に思う相手ほど
自分に方向が向いた瞬間に
気持ち悪くなってしまうのである



私は20前後の時に
この感情を捉えて
一生人を愛すことが
出来ないのじゃないか
と真剣に悩んだことがある



でも
段々と色々な経験を積むにあたって
その嫌になってしまう感覚は薄れてきた

色々な経験とは
自分自身の仕組みを理解していったこと
であり
自分の事が嫌いではなくなってきた
とも言えるかもしれない


今人から
好意的に接してもらったり
自分を誉めてもらっても
全然嫌ではなくなってきた



ただそれでも
やっぱり度を越えた接し方や
感情を向けられそうになると
とたんに防御の姿勢を
無意識にとっている



自分にとって美しいものとは
誰かになびいていたり
何かを頼っている何かではなく
自分自身そのままでも
しっかりと生きている存在なのだと

自分が嫌いだった昔の自分でも
自分が好きになった今の自分でも
変わらなく思っているのである


その美しいものは
手にいれることが出来てしまったら
もう美しくなくなってしまう

そういう不安が
自分の中にずっとあって

美しいものと
近くなりすぎると
わざと嫌がられる行動をしてみたり
遠くなりすぎると
好かれるように行動を修正したり

自分にとって一番美しいと感じる
ポジション
立ち位置
バランス

これをいつでも他人との間に
感じているようなのである