昨年のことですが、ベネディクト・カンバーバッチ主演『フランケンシュタイン』を観てきましたっ!
これは博士役と怪物役がダブルキャストになっていてベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーが交替で演じているのです。神戸朝日ホールで2ヴァージョン同日一挙上映という催しです。
一日限りの上映は、以前の『ハムレット』と同じパターンです。
この作品は映画の体裁をとっていますが、これはロンドン・ナショナル・シアターで上演された演劇をフィルム化したもので、ロンドンに行けないヒトのためにナショナル・シアターが用意してくれたフィルムによる地方上演なのです。
前売りチケットを買うときには『怪物と博士どっちにしますか?』と訊かれます。もちろん『カンバーバッチ様が怪物役を演じるヴァージョンを観るのか、博士役を演じるヴァージョンを希望するのか』と訊かれているのです(ジョニー・リー・ミラーさんゴメンねっ!)。私はモチロン迷わず怪物版を選択(わくわくっ!)。
最初に短いメイキング映像を観て、いよいよ本編が始まります。
画面が暗転すると、舞台中央に何やらボンヤリとした赤いものが・・・、よく見ると人工的な子宮のようで、中で人間らしい影が蠢いています。と、見る間に、中から何かが産み出されます。それは人間の大人の姿をした『何か』です。生まれた『何か』はビクビクと躯を震わせ、転がり、這い、やがて立ち上がって一歩を踏み出し、遂には舞台中を駆け廻わります。最初はバラバラだった身体の動きが徐々に統合され、最後には自分の躯を自由にコントロール出来る喜びが溢れ舞台狭しと走り廻ります。このシーンが最初の見せ場です。
突如場面が切り替わると蒸気機関車が現われ、この物語が産業革命前後の話だと分かります。生まれたその『何か』は研究所の外へさまよい出ています。初めて見る世界、その驚き、その美しさに感動する『何か』は、やがて人間に出会います。
この出会いは悲劇的です。人を好きになるかどうかは第一印象で決まる(実際には最初の5分間が勝負)といいますが、何せその『何か』の身体全体が手術で縫い合わせた傷だらけなのですから、第一印象は最悪です。説明しようにもまだ言葉さえ知りません。人々はその『何か』を恐れ、手にした棒や農具で追い払ってしまいます。
人間の姿をしながら人間に受け入れられない者、これは誠に恐ろしいことなのです。『怪物とは、それに襲われることが恐ろしい存在ではなく、それになることが恐ろしい存在である』という定義がありますが、このケースはまさにそれです。社会から忌み嫌われ、恐れられることほど恐ろしいことがありましょうか。
中世ではこの世界に住むものは3つに分類されていました。神と人と動物です。キーワードは共存です。神とは『自足して共存する必要がないもの』、人とは『都市に住み共存するもの』そして動物とは『争い合い共存できないもの』です。中世の都市は城壁に囲まれていましたので、追放され都市に容れられない人間は、森に棲んで獣のような生活をし、ときに旅人を襲ったりするので、都市の住民から恐れられていました。これが狼男伝説のもとになっているそうですが、人でもなく、獣でもなければ『怪物』に分類されるのは致し方ないことなのかもしれません。
いつしか『怪物』と呼ばれるようになった存在は、開拓者の一家(正確にはその中の眼の見えない老人)と出会います。元大学教授だったその老人は『怪物』(とは知らず)に言葉や文字を教えます。『怪物』はみるみる知識を蓄え、ついにはミルトンの『失楽園』を読み暗唱するまでに成長します。
この演劇は原作に忠実な造りになっていて、私は『初めて原作に忠実な「フランケンシュタインの怪物」を観ることができた』と喜んだのでした。
※ボリス・カーロフ演じるフランケンシュタインの怪物
これまで何回も映画化されてきましたが、博士の助手のちょっと頭のヨワいイゴールが屍体を集める際、研究室から脳の標本を盗もうとして誤って瓶を割ってしまい、隣にあった『犯罪者の脳』の標本を代わりに持ち帰ってしまう・・・という分かり易い失敗により、怪物は知能も足りずただ暴れるだけの存在として描写されてしまっていたのですから。
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