はれのちくもり、雨、ときどきどき全部

生きているからしかたない

有明海からの雲仙・普賢岳

2021-04-23 | 日々の出来事
実家に帰省すると向かう場所
とはいっても自宅前に広がる田んぼの先


そこは、よくニュースになるあの諫早湾干拓事業の内側。1997年に水門が閉じられるまでは、有明海の一部として機能していた場所も、今では、すっかり緑で覆われている。

諫早湾干拓事業は古くから行われてきたが、のちの開門閉門問題となる工事は1989年からスタートした。
わたしがまだ小学生の頃だ。

なぜ、水門が設置される工事が始まったかと言うと、大雨による浸水での農作物の塩害や、諫早平野の浸水問題、諫早市を流れる本明川(ほんみょうがわ)の氾濫を防ぐためとのことだ(他にも理由があると思われるが、専門家ではないのでこれくらいの知識をお許しください)

諫早水害をへて、本明川には色んな水門が設置されたそうだが、有明海の満潮時など重なる台風や大雨の際は、人の手によって開門閉門がなされており、危険を伴うものだったそうだ。

実際、大雨や台風の後は
目の前に広がる田んぼは、いちめん湖のように豊かに水を蓄えて稲は見事に水中にいた、国道である207号線の決まった場所はいつも浸水していた。

まだ小学生だった頃でもそう言う状況下だった、昨今の大雨のレベルだと、さらに被害は甚大になっていたと思われるだけに、実家のある諫早市に住まう人々は、この干拓事業は必要だったと思っている。

しかしながら、今までの自然の摂理には反しており生態系は変化しているのは現実。
人が地球に手を加えていることに違いはない。

以前は干潟だった場所では、ムツゴロウを見ることができ、小学生の頃は、干潮時には、干潟へ降りて、ムツゴロウの住処への出入り口の穴に指を入れて遊んだりした。
今となっては叶わない遊びなだけに、貴重な体験をできたなぁと思って帰省し足を運ぶたびに懐かしくなる。

前方に見える雲仙・普賢岳は
今年6月に、あの火砕流から30年になる。
これも小学生の頃で、噴火前は地震が頻繁に発生し、怖かった記憶がある。
スマホ画像だからわからないが、斜め上にこんもり少し違う色の形状ができているのが肉眼では確認できる、噴火によって出来た平成新山と言われている。

島原半島へは、昔よく温泉に入る両親や祖父母に連れられていったものだ。普賢岳にはロープウェイがあり、何度も乗った記憶がある。次の帰省時には久々に雲仙へも行きたいなぁ。