MiddleDayTripperの徒然記

気ままな中年オヤジの独り言

理想は教師でなく講師?!

2013-03-01 22:08:11 | Weblog

尊い命問いかけた課題 「安易な体罰許さぬ」風潮浸透(産経新聞) - goo ニュース

◆読者の声2千通超
学校現場などでの「体罰」をテーマに、1カ月以上にわたって続けてきた今回の連載。読者の方々から意見や提言、体験談など2千通を超えるお便りが届き、この問題に対する関心の高さをうかがわせた。教員らによる体罰では、スポーツ指導上は否定的な意見が大半を占める一方、生活指導上は意見が分かれる傾向もあった。大阪市立桜宮高校の生徒自殺をきっかけにした今回の問題は、なお社会全体で考えるべき課題を投げかけている。
法務省が1日発表した昨年の人権侵害救済件数では、教職員による体罰が過去最多の370件を記録。桜宮高の問題が発覚した今年はさらに増加する可能性がある。心理カウンセラーの内田良子さんは、過去最多になった要因について「学校に人権を守る環境が整っていない証しではないか」と指摘。「今回明らかになったのは氷山の一角で、実際の体罰はもっと多いだろう」とみている。
小欄では、桜宮高のケースで問題となったスポーツ指導における体罰と、非行生徒らに対する生活指導での体罰に分けて考えてみた。長文の体験談を赤裸々につづる人も多く、真摯な思いでこの問題と向き合う読者の多さに驚かされた。
スポーツ指導では「殴ってもスポーツはうまくならない」といった意見が多く、体罰に否定的な声が圧倒的だった。ただ、生活指導では少し様相が異なり、「どんな体罰も許せない」という意見の半面、「ある程度の鉄拳制裁は必要だ」という声も根強かった。
特に、現場の先生たちの意見は切実だった。ある高校教員は、あえて「殴ってみろよ」と挑発する生徒の存在を指摘。「教員だから耐えろというのか。まじめに指導する先生が悪なのか」という訴えに、対応の難しさがにじんでいた。
◆社会的議論が必要
仮に生活指導でも一切体罰を認めないとするのなら、他の生徒や教員に危害を加える生徒に対しては「出席停止」などの強硬措置を取りやすくする環境整備が必要になる。しかし、「教育を受ける権利」などとの兼ね合いもあり、反対意見も少なくないだろう。
寄せられたたくさんのメッセージを読みながら、平成18年8月に福岡市で飲酒運転の男が引き起こし、幼児3人が死亡した事故のことを思い出した。それまでも「飲酒運転はしてはいけない」という認識はある程度浸透していたが、事故をきっかけに「飲酒運転は許されない」という社会的な意識が明らかに高まった。
体罰の問題でも、教員らの意識、態様によって、悪質な事例から一定の同情が寄せられるようなケースまでさまざまだろう。ただ、桜宮高の問題をきっかけに、少なくとも「安易な体罰をする教師を許さない」という風潮は浸透したと思う。今後も議論を重ね、社会全体でこの問題と向き合っていくことが必要だ。
小欄には国内だけでなく海外からもメールが寄せられ、中には「私の意見がなぜ載らない」「返信がほしい」といったご指摘もあった。十分にお応えできなかった点はおわびしたい。
「『体罰』を考える」は今回でひとまず区切りとするが、この問題は、まだ議論が尽くされたわけではない。今後、改めて考える機会を設けたい。

この事件はモヤモヤしたままで終わった。彼を自殺に追い込んだのは解雇された教師だけか?最終的にはそうかも知れないが、行程の大半は母親では無かったのか?と思っている。この事件の本当の被害者は桜宮高校の在校生や卒業生だ。学校と市教委が隠蔽したとしてマスコミが騒ぎ、市長が出てきて学校を侮辱する発言をした上で体育科の募集を停止させたが、その後どうなったのか?市教委も学校もペナルティーは未だ無い。在校生は「桜宮」と言うだけで嫌がらせを受けたり、バイトを解雇されたりしている。

「体罰=悪」の風潮から女子柔道の騒動が出た。色々あったが結局彼女らと監督コーチは全柔連の内部抗争に利用されただけだと思う。その中で「言葉の暴力」が生まれ、こちらも教育現場で問題化しつつある。

また学校の統廃合を巡って小学生の自殺があった。これは自殺をして統廃合反対の意思を示したのだが、桜宮高校の騒動も原因のひとつだったと思う。橋下大阪市長は前府知事でもあり、間接的に子供を死に追いやったと言える。

今朝のワイドショーで教師がモンスターペアレントを相手に名誉毀損の訴訟を起こした裁判で敗訴したニュースをやっていた。保護者が教師に対して執拗なストーカーまがいの抗議を行なったそうだ。事の発端は算数のテストの答案を巡るトラブル。保護者はマスコミのインタビューを受けていたがかなり弁が立つように思えた。あの調子で「何でウチの子を」とやられたらかなりプレッシャーになるだろう。判決は名誉毀損に当たらないとしているが、理由の中で保護者の行動がエスカレートしている点を指摘していた。問題はこの判決を保護者が子供にどう伝えるか?「あの先生をとっちめてやった。勝った」と言うとしたら、子供は増長してイジメなど次の問題に発展するだろう。もっと言えば発端となった出来事が本当は子供がウソを吐いていたとしたら、子供がどう思うか?だ。大事になってしまったと恐怖を感じているなら未だ良いが、「親は自分の意のままになる」と思いながら笑っていたとすると・・・背筋が寒くなる。

そのワイドショーでコメンテータ(自称:頭の良い人)が「教師は子供はお客さんと言う意識を…」とホザいていた。

「患者はお客さん」を思い出した。30年近くも前の話だが、ビジネスレッスンで聞いた言葉だった。「これからの社会は病院だって患者はお客さんと言う意識が無いと…」と言った講師に「一般のモノやサービスを提供する企業や意味も無くエラそうに踏ん反り返っている役所の連中はそうだろうが、病院に当てはまるのか?」と反論した。講師は半笑いで「病院だって患者に医療行為のサービスを提供してますよ」と説明したが、「国民皆保険の日本では患者ではなく患者の加入している保険組合だ。また患者の希望を全部聞き入れてたら治療などできなくなる」と反論したら顔を真っ赤にして怒り出したんだった。

しかし現実では患者はお客さん化していった。触診をセクハラ、忠告をパワハラと怒りだす患者が出てきて病院は患者に対してガードを固めた。その結果、医師は患者の反対側のモニターを見て話をするだけの治療が平然と行なわれている。

マスコミや教育評論家の言う理想の教育をするには、教師は要らない。大手学習塾のような講師で良い。マジメに授業を受ける生徒など前の方だけでいい。後は何をしてても注意などしなくて良い。子供の成長など一切気にする必要も無い。集団行動や道徳はそれ専門の学習塾を作れば良い。

ただし社会に出た試練は相当だろうが、その恨みは自分の親で晴らして欲しい。