water steppe memo

日々、考えていることをここに記します。
ブログと呼ばずに「日記」としたいところです。

ホノミネオオヤマネコは何故消えたか

2012年12月24日 11時52分02秒 | ウソエッセイ
先日、
「ねえ、ホノミネオオヤマネコはどこにいったの?」
と、小学校に入ったばっかりの姪に聞かれて、その成長に驚くと共に、少し懐かしい気持ちになった。
「ホノミネは、本当に何処にいったんだろうね」
と困った顔をしてみた。姪はやっぱり知らないのか、という顔をして向こうに行った。そういえば、ホノミネオオヤマネコという単語を思い出したのも久しぶりだった。

私の地元の小学校では、地域の歴史を教える時間があった。それは例えば、地域の川の水運の歴史、そこから発展した街の歴史、産業がどう興ったか、などと共に、地域にいた動植物についても教える時間であった。私が小学校で学んだ時から20年近く経過したわけなのだが、今でもその授業があるのだろう。そして、姪は最近勉強したばっかりだったとおもわれる。姉や義兄も同じ質問をされただろう。そして私と同じように答えられなかったに違いない。
ホノミネオオヤマネコは何故消えたか。毛皮は、良いと言われたわけでもない。人間の開発によって生息域を追われたわけでもない。確かに最近見ないねなどと言われていた1959年の目撃情報から現在に至るまで、ホノミネオオヤマネコが生きているという情報は一切無く、ほぼ絶滅したと言われている。件の授業も絶滅したことは教えるが、何故絶滅したかについては教えてくれなかった。それに疑問を持つという事は、姪の年齢では素晴らしい事のように思われる。末は学者か先生か、である。
さて、実は私、ホノミネオオヤマネコについては一家言ある。姪と同じく、私もホノミネの消えた理由について知りたがった事があり、実際に調べたことがあったのだ。

私は高校時代に放送部というのに入っていた。放送部は、昼ごはんの時間に音楽をかけたり、集会のマイクを設置したりするくらいで、後は放送室という密室でなんかやってるあやしい集団のように思われがちだが、実はTV局が主催に名を連ねる立派な大会があり、そこに向けてドキュメンタリー(というと少し大げさだが)を作ったりし出展するのだ。普通は学校の細かな話題を取り上げたりするわけだが、中には学校外のいろんな所に突っ込んでいって、各種の取材を行ったりもする。私もそこでひとつ番組を作った。それが、
「ホノミネオオヤマネコは何故消えたか」
だったのだ。ホノミネが消えた理由は本当にわかってないのか、色んな人に聞きたかったのだが、高校生がただツツーっと行くわけにはなかなかいかない。いや、行ってもいいのだろうが、何しに来たの、という顔をされてしまうだろう。でも高校の放送部が地域の歴史を番組にしたくて調べるとなると、わりと多くの場所、状況で取材のハードルさがったものだ。
まだインターネットがこれほど普及する以前の話である。ホノミネの事を調べる取っ掛かりとして、地域の歴史の授業で使われている本を作った人に会いに行った。何のことはない、いわゆる、教育委員会の先生方である。先生だけあって、高校生のお願いにはかなりよく対応してもらったのだが、教科書に書いてある以上の情報は殆ど無かった。そもそもわからない、わかっていないのがホノミネオオヤマネコなのだ。しかし、ある先生が、教科書を書く上で取材したという方を教えてくれ、そして、連絡をとってくれたのだ。なんとその方は、ホノミネオオヤマネコを飼ったことがあるらしかった。ぜひお話を伺いたかった。改めて手紙を書き、その先生に渡してもらえないかとお願いした。2週間ほど経ってからだった気がする。取材OKという返事が返ってきた時は、本当に嬉しかった。

佐藤上江さん(仮名)は、市営の老人ホームで過ごしていらっしゃった。高校生が取材に来るというので、ホームに何か緊張と言うか、そういう雰囲気があったのをよく憶えている。上江さんには個室があり、そこで取材をさせて頂いた。私がカメラとマイクを設置している間、
「コレがカメラなの?、随分ちっちゃいねえ」
と、笑いながら話されていた。改めて取材理由と、こんなことをお伺いします、とご説明した。上江さんは、私が出した手紙と、何かファイルのようなものをもって来てくださっていた。
「上江さんは、ホノミネオオヤマネコを飼ってらっしゃったんですね。」
私が聞くと
「そうなのよ、この子よ。"チャッペ"って呼んでたの」
と、ファイルから写真を出して見せてくれた。いかにも古い写真という感じに茶色く変色していたが、若い頃の上江さんと、確かに家猫と言うには大きいホノミネオオヤマネコが綺麗に写っていた。農家の軒先らしい場所である。若い上江さんはホノミネをいとおしそうに抱いていた。
上江さんによると、ホノミネはとても人懐っこかったそうだ。
「野良猫なんかよりよっぽどだったよ」
との事である。当時、集落と表現されるような地方に住んでいたが、ホノミネオオヤマネコが居なくなるなんて誰も思って無かったらしい。
「だってそこら中で見かけたんだもの。畑でさ、作業してるとさ、むこうでこっちを見てるのよ。でね、屈むでしょ。そうすっとね、どんって、背中に乗ってくるの。可愛かったよ。タバコのとき(著者注、休憩のこと)ね、お菓子出すとね、手から食べるのよ。それがさ、普通だったの。いっぱいいたの。私は動物好きだから、チャッペを家につれて帰ってね、膝の上にのせたりしてただけでさ。その辺にいっぱい居たのよね。」
そのホノミネは、上江さんが結婚して嫁ぐ前くらいまで生きていたそうだ。毎晩いっしょの布団に寝ていて、ある朝、布団から出てこないので見たら死んでいたと。死の前の不安を過ごす場所として選んだのが上江さんの側だったと言うのだから、よっぽど懐いていたと考えてまったく差し支えないだろう。もともとの野生だったのだから、尚更だ。
「悲しかったよ。でもね、嫁ぎ先が決まっててね、チャッペ、どうすんだって話になってたのよ。連れてけるわけないでしょ。困ってたの。解ってくれたのかなあ、なんて思った事もあるよ」


学問の世界において、ホノミネの名前は殆ど見かけない。イリオモテヤマネコ、ニホンオオカミ、ニホンカワウソなど、絶滅危惧ないし絶滅した動物でも有名な種はあるわけで、ホノミネだってそういう動物と並べられた上で、理科の教科書で全国的に教えられ、その剥製が上野の国立科学博物館のハチ公の隣に展示されたって構わないような気がするのだか、そういう話は一切聞かない。そればかりか、ホノミネについて研究された形跡すら余り無いのだ。調べても、出てくるのは私の地元の件の教科書の記述のみ。あまりの資料の無さに実在を疑われる程である。高校時代に行った街の図書館でも、大学時代に行った学内の図書館でもそうだった。現代になってインターネットで試しに調べてもやはり同じである。
大学時代、生物学系をやっている友人にホノミネについて聞いたところ、やはり知らないし聞いたことがないとの事だったのだが、友人曰く、そんなのは当たり前のことだそうだ。絶滅危惧の動植物はたくさんいるし、その上から例えば231番目が絶滅したとしてもニュースにはならないし話題にものぼらないだろう。ただ絶滅しただけではダメなのだ。ひどく品の無い文字列で表現してしまうと、例えば地球温暖化なり、人間の悪い部分なりを象徴するような存在じゃなければ、絶滅しようがしまいが話題にはならないのが現実なのだ。と、やや批判的に書いてしまったが、この絶滅や危惧の状態ではなく状況によって話題になるならないが決まる事について、私はおかしいと思わない。視界とは常に有限であり、手のひらの大きさはたかがしれており、その両手で包む事のできる大きさも決まってしまっているのだ。無限の視界と手のひらを持つのは、お釈迦様くらいなのだ。


上江さんの部屋に場面を戻そう。
「チャッペの遺体は、どうなさいましたか。」
「家の裏にね、おっきな木があったのよ。」
上江さんは両手を大きく広げて説明してくださった。
「家の裏にセキ(著者注:農業用の用水路)があってね、そこのヘリにおっきな木があってさ、そこの根の下に埋めたの。昔っからある木だからね、ここならいいんじゃないかなあって思ったの。」
遺体のある場所がわかっている。もし許されるなら掘り返させてもらい、DNA的に調べる事ができるのではないか、、、と、誰でも思うだろう。私もそう思った。上江さんもここまではわりと明るいトーンだった。
「でもね」
と、暗いお顔になった。
「流れちゃったんだって。おっきい台風あったでしょう。ほら、リンゴが落ちちゃうって騒いだやつ。セキがさあ、ドウドウーって強くなってさあ、木を流しちゃったんだって。」
どうも、1991年(平成3年)の台風19号によって、その木がゴッソリ流されてしまったようだ。当然、ホノミネのを埋めた場所ごと。その上江さんの実家に住んでらっしゃったお兄さん一家も代替わりして引越しし、そこにあった家は取り壊してしまったそうだ。つまり、上江さんのご実家に行って何かホノミネの手がかりを探そうとするのも不可能となってしまった。残されたのは、若いころの上江さんと一緒の写真だけであった。

上江さんへの取材は2時間くらいだったろうか。自分の祖母よりもお年を召した方から、既に失われてしまった事柄についてお伺いすると言うのは、ホノミネオオヤマネコという動物、つまり生物学的好奇心を刺激されるだけでなく、考古学というか民俗学と言うか、そういう方面ともシンクロするような、そういう気持ちになれて非常に楽しかった。
最後に私は、正解が分からない質問をしてみた。
「ホノミネオオヤマネコは何故消えてしまったと、上江さんはお考えですか?」
「んー、難しいねえ。」
上江さんは写真を見つめた。
「私はチャッペしか詳しくないから、ホノミネ全部の事知らないからねえ。チャッペはさあ、木になってさあ、川に流れてったんだけどねえ」
顔を上げて答えてくれた上江さんは、照れくさそうに懐かしそうに笑っていた。その顔がカメラに納められただけで、最後の質問をした意味があったと、私は思った。


ホノミネオオヤマネコが何故消えたかについて学問的ににもわかっていないのであるから、当然私も答えを持っていない。それでもなお推測100%で書かせていただくと、おそらく、イエネコとの交雑が原因ではないかと思っている。人間が直接圧迫したわけではないのだが、人間がなんとなしに連れていた普通のネコが、生物としてのホノミネを圧迫してしまったのだろう。
そういう話題を選別しているとはいえ、人間と動物の話はこんなのばっかりだ。狭い私の視界にみえるのは、ペットの殺処分が何十万頭だの、地域個体群の消滅だの、そういう話ばかりである。そして、ふと気になって多くの人の視界や学問的手のひらに入らなかった動物を調べても、人間との関係はたいてい悲しい結果になっていてうんざりする時が多い。
でも、上江さんとチャッペのような、どちらかと言えば幸せな関係を持った方々も、沢山知っている。上江さんの手のひらはとても小さかったが、写真で見たチャッペは気持ちよさそうに抱かれていた。私の狭い視界に見えるだけでも、動物との素晴らしい関係を築いた方々は沢山いらっしゃる。20年近い日々を愛犬愛猫と過ごし、最後を看取った方々の話は枚挙に暇がない。動物と人間という大きな関係の話がいつも不幸になるのに、個体と個人の幸せな話は沢山伺うのだ。
だから私は、動物の悲しい話を聞いたときも幸せな話を聞いた時も、我々の視界がこんなにも狭く、手のひらがこんなに小さく作られたのには何か理由があるのだろうなあ、と考えてしまうのだ。そこに少し諦めが入っている。不幸を不幸のままにしてしまうような、そんな怖さもある。でもそんなものなのだと、私はいつも思ってしまう。

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