こんばんは。
藤原です。
最近は、近々控えたワークショップのため、
チェーホフ『かもめ』を読んで色々考えておりました。
海外古典戯曲を、やりたい!
という欲が湧かぬまま今まできたので、
なぜその欲が湧かぬのだろう、むしろなぜ演出家はその欲が湧くのだろう、湧かぬなら、湧かせてみようホトトギス、
ということで、2/27に、一日だけ『かもめ』ワークショップを行うことにしたわけです。
詳細は
こちら
『かもめ』を改めて読んでみて、
面白い戯曲だなぁ。とは思うけども、今のところ課題として、仕事として、と、宿題的にやる分にはワクワクする回路を見つけられるけれども、
自らmizhenプロデュースで公演をうちたい、とは思うには至っていない。
『葵上』のときに少し思ったけど、結局自分が書いた言葉にしか興味がないのかもしれない。
果たして、ワークショップをやったら、その思いは変わるのか、それともそのままか。
それを試すためにも、できる時間で、できるだけ『かもめ』を、楽しんでみたいと思っている。
『かもめ』の中で、わたしが一番惹かれるのはニーナよりもアルカージナよりもマーシャだ。
冒頭でいつも黒い服の理由を問われ、
「わが人生の喪服なの」
と言っちゃうあたり、やべえやつだ。
酒と嗅ぎタバコが辞められない女。
この時点でもう好きだよマーシャ。
わたくし、シンパシーを感じるせいか、だらしない女が好きなのだ。
トレープレフに恋をして叶わず、好きでもないメドヴェージェンコと結婚し、それでもやはりトレープレフへの想いを捨てきれず、夫の出張先へ着いて行くことでなんとかその思いを断ち切ろうとした矢先、最後想いびとトレープレフは自殺するところで終わる。
哀しすぎるぜマーシャ。
トレープレフが一度自殺未遂をしたとき、
マーシャは、本当に死んでいたら、自分も後を追うだろう、と語っていた。
さて、実際のところ、マーシャはこの後、トレープレフの後追い自殺をするだろうか。
わたしは、しないと思う。
そのままトレープレフを思いながら、黒い服を着続けて、生きていく気がする。永遠に、喪服として。
マーシャの行く先を想像しながら、
溌剌と人生を謳歌しているよりも、悲劇的な女性はどうしてこうも魅力的なのか、と思う。
報われない女に色気を感じる。
しかし、報われない、でハタと思い出した。
映画『怒り』で、広瀬すずちゃん演じる女子の結末が、辛かった。行く末を想像しながら、一週間ぐらい落ち込んだ。
あれは悲劇だったなぁ。。
実際の事件を下敷きにしているリアリティがあるから、悲劇と思うのか。
ともあれ、チェーホフ『かもめ』のマーシャは、
哀しいけども、愛しい。
こう思わせるところが、『かもめ』が喜劇、と言われるところなのかしら。
と、考えていると、ついついマーシャに焦点を当てたものになってしまいそうだ。
このアプローチではいつも自分がmizhenで作る、1人の女を辿る作風と変わらなくなってしまう。
『かもめ』は、幸せになりたい、と、誰もが誰かを羨み、恋のベクトルが絡みあう人間模様を、箱庭的に眺めるのが面白い作品だと思う。
だから、群像にした方がいい。
というわけで、
『かもめ』のワークショップでは、
10〜15分ぐらいの群像劇『かもめ』を作ることにしようと思うに至った。
というわけで、今からテキストを準備〜。
初めましての俳優さんたちと会うのも、とても楽しみ。
藤原