道形記更新情報

日記の樣に綴る、自身のペイジの更新情報

鹽原町-藤原町、日鹽道路ノ橋

2021-12-28 21:38:10 | 更新情報
  【鹽原町中鹽原 名稱不明橋】
  【鹽原町湯本鹽原 名稱不明橋【一】】
  【鹽原町湯本鹽原 前黒橋】
  【鹽原町湯本鹽原 湯本橋】
  【鹽原町湯本鹽原 名稱不明橋【二】】
  【鹽原町湯本鹽原 錦領橋】
  【鹽原町湯本鹽原 溪雲橋】
  【鹽原町湯本鹽原 名稱不明橋【三】】
  【藤原町高原 名稱不明橋】
  【藤原町藤原 名稱不明橋【二】】


 日塩は鹽原側から通るのが拙は好きであります。
鹽原溪谷、日鹽と走つた方が歸りは平易な道に成りますから。

 と云ふ事は扠措いて、念願の日鹽道路、不取敢橋だけはやつと遣れました。
紅葉時期以降の天候や道路状況、其と拙の都合等が上手く合致せずに何年も經過して仕舞まして、やつと今年は全てが噛合つて探訪出來たと云ふ感じであります。

 とは云へ絶好の天氣と云ふ譯では無かつたのでありますが、多少雪が有つた方が日鹽らしいと云ひますか、良い雰圍氣だつたのでは無いかなと自畫自賛して仕舞ます。呵呵

 扠、今囘は全て戰前物件でありますので甲乙附難しなのでありますが、其でも一番印象に殘つてゐるのは溪雲橋でせうか。
彼だけの戰前、昭和十年の構造物がほゞ其儘殘つてゐると云ふのは壓卷でありました。

 因に冩眞でありますが、藤原側起點から上つて來て右ヘヤピンに成る大閤橋の舊線形部分であります。
昭和廿二年の航空冩眞と比較して、一體何處を通つてゐたのかずうつと謎だつのでありますが、何と内側の陸地、石積の擁壁が見えるのでありますが、其處が舊線形だつたのでありました。

 成程、一體何處に橋を架てゐたのかと思つたら、崖沿を通つてゐたと云ふ譯だつたのであります。
と云ふ事は、今以上に半徑の小さいヘヤピンカアブだつたのでありますから、日塩もみぢライン完成迄は可也の難所だつに違ひ無いと思つた次第であります。

 まあ、もつと良い構圖は無かつたのかと云ふ感じの冩眞でありますが、此所は實際に現地で擁壁、カアブの内側を見た方が面白いと思ひますので、此な物で良いかと思ひ使用致しました。

 併し日鹽、全ての跡を見ると成ると手荒く大變でありますね。
橋だけで三時間は掛りましたから。
多分、之でも見落してゐる橋が在るかも知れませんが、當分日鹽は遠慮して措きます。呵呵

 嗚呼さうさう、白瀧の橋は架替られて居りまして殘念でありました。
まあ、老朽化した高欄の低い橋では觀光地としましては危險でありますから仕方無いでありますね。

 併しまあ、卅キロ程の道で之だけ廢橋が殘つてゐると云ふのは、全國的に見ても結構珍しいのでは無いでせうか。


 本日も拙の日記を讀んで下さり有難う御坐いました。